なんで「学歴」ってこんなに人をムキにさせるのか?|大学教授 vs wakatte TV
ここ最近、Xで学歴をめぐる話がずいぶん盛り上がっています。
きっかけは、wakatte TVの
「大学の入学難易度を基準に学生をからかうスタイル」に対して、
ある大学教授が強い嫌悪感を示したこと。
そこから教授の意見に賛同する人、反論する人、
その意見にまた反応する人……と、
かなり多くの人が「学歴」について語っていました。
それを眺めながら、思ったことがあります。
なんで「学歴」って、こんなに人をムキにさせるんでしょうか。
ちなみに、騒動の是非については触れません。
こうやって記事を書いている私も含めて、
この手の「学歴」に反応している時点で、
みんな同じ穴の狢なんじゃない?って話です。
⇩件の教授のXアカウント(一次情報として)
【私ってこんな人】
教育業界で約10年働いてきました。勉強や仕事、子育てなどを通して、自分自身が考えたことや、失敗から学んだことを書いています。正解を伝えることよりも『一緒に考える』ことを大切にしています。
学歴で嘲笑するのは、普通に下品
最初に書いておきます。
学歴によって人を嘲笑することは良くないことです。
wakatte TVについても、
大学名を使って人をからかう部分は、
率直に言えば、下品だと思っています。
ただ、私のこのチャンネルの捉え方は、
大学や受験について参考になる情報を見る
学歴いじりは話半分以上の気持ちでスルー
というくらいです。
wakatte TVを擁護したいわけでも、
「こういうのもアリ!」と肯定したいわけでもない。
下品だと思うなら、距離を置けばいい。
私自身はそれくらいの温度感でいます。
そもそも、なぜ「学歴」はこんなに燃えるのか?
今回の騒動を見ていて興味深かったのは、
本当にいろいろな立場の人が
「学歴」について反応していたことです。
高学歴の人もいれば、そうでない人もいる。
だから、
「高学歴だから学歴を気にする」
「低学歴だからコンプレックスを持つ」
という単純な話ではない気がします。
ここで、私が感じている一つの仮説があります。
「もっと努力できたかもしれない」という感覚を刺激されるから、学歴はこれほど人をムキにさせるのではないか?
「努力で全てが決まる」という
努力至上主義を掲げたいわけではないです。
ただ、受験勉強は他の分野に比べて、
「何をすればよかったのか」が見えやすい環境にある。
だからこそ「もっとやれたかもしれない」
という感覚が残りやすいのではないか?と感じます。
勉強は「努力の方向」が分かりやすい
今や、大量の情報がネット上にあり、
「何を、どのくらい勉強すればいいのか」を
調べることは以前よりずっと容易です。
特に、受験勉強は、何を努力すればいいかが
多くの側面において比較的体系化されています。
さらに、その努力も、
子どもの頃から勉強をしている日本国民にとっては、
イメージがしやすいものだとも言えます。
(まぁ実際にするのは結構大変ですけどね…汗)
逆に、例えば、「容姿」は違います。
努力できる部分はありますが、
生まれ持った要素もかなり大きい。
「スポーツ」も、努力はもちろん重要ですが、
身体的な資質の影響があります。
「コミュニケーション能力」も、
これだけやればこの水準まで到達できる!と単純に言えません。
一方で、受験勉強は異なる環境にあると思います。
教育業界にいる身としては、完全に私見ですが、
高校3年間を使って必要なことを調べ、
きちんと受験勉強に取り組めば、
独学でも日東駒専レベルに届き得ると思います。
「MARCHなんて大したことない」
「日東駒専なんてFランだ」
みたいなネット上の極端な言説がおかしいことは、
ちゃんと調べれば分かることです。
そんなことを本気で言っている人を、
相手にするだけ時間の無駄です。
ただし、これは
「努力すれば誰でも同じ結果になる」
という話ではありません。
むしろ受験と学歴は、
環境による差を強く受けながらも、
自分の行動によって結果を動かせる余地も大きい。
だからこそ、「環境なのか、努力なのか」という話が
余計ややこしくなる世界なのだと思います。
「全部努力」も「全部環境」も、どちらも違う
例えば、
「自分は努力してこの大学に入った。だから、できなかった人は努力不足だ」
と考えるのは、環境要因を軽視しすぎです。
同じ大学を目指しても、
家庭環境や経済状況
生まれ持った能力
それまでの経験
によって、必要な努力量は違います。
自分が努力したことと、自分が恵まれていたことは、
普通に両立します。
ただ、実のところ、逆方向にも違和感があります。
今回いろいろな意見を見ていて、
「努力できること自体も環境によって決まる」
という主張を何度か見かけました。
ただ、この主張を延長すると、
目標を持ったことも、
調べたことも、
努力を続けたことも、
結果を出したことも、
全部「環境が良かった」だけで説明できてしまいます。
これはこれで、非常に強い違和感を覚えます。
環境によって努力量は変われど、
本人が実際に努力したという事実まで消えるわけではありません。
環境を見ることは、努力を否定することではない。
努力を評価することも、環境を無視することではない。
競争する以上「差」が生まれることは避けられない
そして受験は、競争でもあります。
競争する以上、結果には差が出ます。
合格する人と不合格になる人がいて、
大学にも入学難易度の違いがある。
もちろん、その結果から、
「自分の方が難しい大学に入ったから、人間として上だ」
と考えるのは烏滸がましい話です。
ただ一方で、ある分野で競争した結果として、
差が生まれること自体は、学歴に限った話でもありません。
「競争によって差が生まれること」と
「その差を使って人間として嘲笑すること」は
分けて考えた方がいい。
高学歴の人たちは、そんなに騒いでいない(らしい)
今回、少し面白いと思ったことがあります。
騒動の発端となった教授自身がX上で、
「大学教員、特に自分が声を上げてくれると思っていた人たちが、ほとんど声を上げなかったことが分からない」
という趣旨の発言をしていました。
もちろん、声を上げなかった理由は分かりません。
ただ少なくとも、
「高学歴だから学歴に強く反応する」
という単純な構図でもなさそうです。
ここからは完全に私の想像ですが、
勉強だろうが、スポーツだろうが、
仕事だろうが、趣味だろうが、
何か本気で没頭することを積み重ねてきた人ほど、
「努力すれば何でもできるわけではない」ことも、
「それでも努力しなければ届かなかった」ことも、
両方を実感している。
だから、ネット上の学歴序列にいちいち付き合わない。
そういう人こそが、学歴の文脈で言えば、
正しい意味で「高学歴」なのかもしれない、
と私は感じました。
結局、反応している時点で「同じ穴の狢」
そう考えていくと、
今回の騒動についての私の結論はかなりシンプルです。
こんな話にムキになって参加している時点で、
みんな同じ「学歴(笑)」という土俵に乗っている。
この記事を書いている私も、完全にその一人です。
本当に「そんな学歴観はくだらない」と思うのであれば、
一番いいのは、黙って距離を置くことなのでしょう。
学歴は、あくまで一つの結果であり、一つの資格のようなもの。
持っていれば選択肢が増えることはある。
努力して手に入れたなら、それを誇ってもいい。
同時に、自分一人の力だけで手に入れたと思い込む必要もない。
そして、それで自分や他人のすべてが決まるわけでもない。
それくらいの距離感で付き合うのが、
ちょうどいいように思います。
ちなみに…今回の論争について思うこと
…最後に、チラシの裏ということで、
ちょっとだけ触れておきます。
個人的に今回の件で一点だけ違和感があるのが、
教授の「チャンネルを閉鎖しろ」という主張です。
学歴による嘲笑を批判するところまでは、私も同意します。
ただ、そこからコンテンツをキャンセルするところまで進むなら、
もう少し明確な理由が必要では?と思いました。
……まぁ、X自体がそんな高尚な場所ではないので笑、
一つの意見としては普通の話だと思いますが。
結局、今回一番得をしたのは誰?と考えると、
広告効果的な意味ではwakatte TVだった気がします。笑
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
もし共感していただけたら、スキやコメントをいただけると嬉しいです。
皆さんは、「学歴」という話題がこれほど人をムキにさせるのは、なぜだと思いますか?
さらに「そもそも学歴とはなんぞや?」を考えてみました。
ご興味あれば是非。
最後に、ちょっとばかし宣伝を。
「一人で考えていると頭の中がぐるぐるする…」という方は、ココナラでもご相談をお受けしています。
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