ウォルター・クレイン『A Flower Wedding』日本語版の試作本が完成しました
5月4日に開催された文学フリマ東京42の熱気が少し落ち着いた今、 ようやく心を整えて、言葉を綴ることができています。
SNSでは少しずつお披露目していましたが、 文学フリマ当日の少し前に、ウォルター・クレイン『A Flower Wedding』日本語版の試作本がようやく完成しました。
試作本とはいえ、自分が思い描いていた本が「現実の本」として手の中に現れたのは初めての経験で、 その瞬間は大変感慨深いものでした。
プロの職人の方々の手によって、想像以上に美しく仕上がった試作本。 今回は、その詳細をご紹介したいと思います。
① 装丁について──原書の美しさを受け継ぐ、小さな挑戦
今回の試作本は、装丁から製本までを、空想製本屋の本間あずささんにお願いしました。 本間さんの繊細で丁寧な技術と、経験から培われた美意識が、原書の雰囲気をなるべく再現するという試みを叶えてくださいました。
カバーデザインも原書の魅力をできる限り継承したいと思い、原書を踏襲しています。そのため、タイトルはあえて英語のままとしています。
装丁の仕様は、それぞれ以下のような背景で決定していきました。原書の雰囲気を再現しつつ、 ケルムスコット企画として大切にしていきたい「長く愛せる本」という思想に沿うように、 本間さんと相談を重ねながら決めていきました。
● 紙装丁
原書が紙装丁であることから、その質感を再現。 原書に近い色味で、意外にも凹凸の少ないサラリとした手触りの紙を選びました。
● 背のみ布装
原書は紙ですが、今回は「長く愛せる本」を目指すために、より頑丈になるよう背表紙のみ布装を採用。布の色味は原書の背に近いものを選んでいます。
● 表紙はリソグラフ印刷
現代の印刷手法の中でも、少し手作り感のある風合いを再現できるため採用しました。 インクの色は限定されてしまうため、忠実に再現とはいきませんでしたが、色付きの紙に映える色を選び、原書の雰囲気に寄り添う仕上がりになりました。
● 金箔押し
表紙・背のタイトル、裏表紙のイラストには金箔押しを。 華やかな物語にふさわしく、かつデザインのアクセントとしても大変美しく、仕上がりを見た際に「やってよかった」と心から思える仕様でした。
大きさは原書に最も近いB5サイズ。 タイトルページや奥付を含め、全42ページの美しい一冊に仕上がりました。

② 製本について──手仕事ならではの美しさと実用性の共存
製本は空想製本屋の本間あずささんによる手製本です。
学生時代から手製本を学ばれ、スイスでも修行を積まれたという本間さん。原書を持ち込んで打合せをした際にも、原書を見て当時の綴じ方をすぐに理解され、現代で制作する際のより良い方法をアドバイスくださいました。
原書は開きがあまり良くなく、両手を離した状態で開いたままにはできないのですが、そちらをより開きやすいようにご調整くださいました。
また、原書はインクの裏移りなどの観点で各ページが袋とじになっていたのですが、現代の紙と印刷技術であれば裏移りの問題はありませんので、両面印刷にすることにしました。
こうして、見た目の美しさと実用性の両面を叶える製本の方向性に決まったのでした。
今回はたった2部のみの制作でしたが、1冊ずつ糸を通し、丁寧に綴じていくその手元は、 まるで本そのものが「育てられていく」ようで、 完成した本を受け取ったときには、 ただの試作ではなく、「大切に育ててもらった子ども」を抱くような気持ちになりました。
私のうまく言葉にできない要望まで丁寧に汲み取り、 多くのアドバイスをくださった本間さんには、 心から感謝しています。

本番の出版では部数の関係もあり機械製本になるかと思いますが、手製本の温度をどう再現するかが、これからの大きなテーマです。 量産だからこそ叶う仕様もきっとあるはずなので、その可能性を探りながら、より美しい装丁を目指していきたいと思っています。
② 文字デザインについて──クレインの文字を、日本語で再現するという試み
続いて、中面のお話です。
試作本では、翻訳は冒頭の2〜3ページのみ。その日本語を、人気カリグラファーの原田祥子さんにお願いし、クレインの文字を研究しながら日本語で再現していただきました。
実は、依頼前にはずっと迷いがありました。 クレインの手描き文字の代わりに日本語の手描き文字をはめ込むという大胆な試みが、果たして本当に納得のいく仕上がりになるのか。時には弱気になり、「原書の文字を残したまま翻訳文は活字で小さく添えるだけの方がよかったのでは…」と考えることもありました。
しかし、その不安は、原田さんの描いた文字をページに置いた瞬間に消え去りました。
一文字一文字が愛らしく、それでいて読みやすい。 自身をクレインに憑依させ彼の筆致の雰囲気を纏いながら、日本語としてしっかり読める。制作途中の文字を拝見した時から胸がときめき、「この決断は大正解だった」と心から思えるようになりました。原田さんに出会えて本当に良かったです。
日本語の文字が添えられることで、 挿絵の世界観と物語の内容がより深く結びつき、 英語を母語としない読者にとっても、 クレインの描く花の世界に迷い込むような没入感が生まれたように思います。



今回の翻訳は仮訳として私自身が行いましたが、 花の名前を使った言葉遊びが多く、訳出が非常に難しいため、 本番では大学教授に翻訳をお願いする予定です。クレインの描く物語の解釈がさらに深まり、 読者の皆さまに原書を読んだときにと同じような深い読書体験をお届けできるようになるかと思います。
③ なぜこの本を復刊したかったのか
『A Flower Wedding』に出会ったのは、私がイギリスで一人駐在生活をしていた時でした。ロンドンのリバティデパートで思いがけず、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館が発行する本作のミニチュア版に出会い、あまりの可愛らしさにすぐにクレインのファンになったのでした。

擬人化された花々の美しい姿、淡く繊細な色彩、花々たちが身に着けるモダンな衣裳、その佇まいと調和する愛らしい物語――すべてが私の好みでした。
他のクレインの作品にも美しい本は沢山ありますが、中でもこちらの作品の美しさは群を抜いていると個人的には思っております。
「19世紀イギリスの美しい本を日本語で復刻する」、という事業アイディアを思いついた際に、ウィリアム・モリスの『News from Nowhere』に続いて頭に浮かんだのはこちらの作品でした。
「こんなにも美しい本の世界を、日本の読者にも知ってもらいたい」という思いが、長い時間をかけて少しずつ形になっていきました。今回の試作本は、その思いが初めて実体を伴った瞬間でした。
文学フリマ当日には、多くの方がこの試作本を手に取り、 温かい言葉をかけてくださり、 そのひとつひとつに勇気づけられ私の背中を優しく押してくれました。
試作本は、ただの「試し刷り」ではありませんでした。 装丁、製本、文字デザイン── それぞれの専門家の手が重なり、 ひとつの作品が立ち上がっていく過程を間近で見られたことは、私にとって大きな学びであり、これから進んで行く道の励ましとなりました。
次の記事では、 文学フリマ当日のことを綴りたいと思います。 ブースでどのように展示したか、どのような反応をいただけたか、アンケートでの反応── など、今でも夢のような余韻が残る一日を振り返りたいと思います。
よろしければ、続きも読んでいただけたら幸いです。
