子どもの勉強に伴走することは、"教える"ではなく"観察する"ことだと気づいた話
3月。息子の小学校入学が近づいている。
本屋で買った算数ドリルを一緒にやっています。そのささやかな時間の中で、ふと考えました。「勉強に"伴走する"とは、何だろう」と。
教える前に、まず観察すること。そのことの大切さに気づいた、いくつかのエピソードを書き留めます。
【診る】 苦手ではなく、"見えていない"だけ
足し算・引き算のドリルをやっていた際、引き算を間違える確率が少し高かった。息子は自分でもそれを感じていたのでしょうか。「ひきざんにがて」と言いながら、笑顔で私のほうを見ました。
私「苦手じゃないと思うよ」
息子がそう言ってくる前から、原因はわかっていました。問題をしっかり読んでいない。+とーの記号を見て、この問題は足し算なのか・引き算なのかを理解するプロセスが抜け落ちているだけでした。
少し長めの問題文が出てきたとき、「パパ読んで〜」と言ってくることがあります。しかし、問題文を読んで理解することは、解くことと同じくらい大切です。
「苦手」という言葉は、原因を見えなくする。観察すれば大抵の場合、苦手ではなく「まだ見えていないだけ」だとわかるものです。
【待つ】 余白に生まれた、"問題をつくる"自主性
10という数字が何と何で構成されているかを教えようと思い、私は紙に図を書き始めました。そのとき、息子も同時に何かを書き始めました。
息子「ねずみが10匹いました、そこから3匹にげました...」自分で問題をつくり始めたのです。
私「お、いいね!」
問題を解くのではなく、問題をつくる。その発想がとてもいいなと感じました。息子は自分で問題を書き終えた後、それを自分で解きました。
教えようとした瞬間に、子どもが動いた。私は賛同し、見守り、何もしないことを選択しました。伴走には、"介入しない"という選択もあるのだと思います。

【聞く】 解き方ではなく、どうやって考えたか
少し難しいかなと思った13−4という問題。しかし息子はそれをすぐに解きました。私は「どうやって考えたの?」と聞きました。
息子「3から4をひくと、あと1ひかなきゃいけないから、それを10からひいて9だよ」
なるほど。私は「13を10と3に分けて、まず10−4をやると簡単だよ」というアドバイスを飲み込みました。
答えではなく、解き方を見つめること。答えを見るのではなく、思考のプロセスに目を向ける。だからまず、聞く。「どうやって考えたの?」という問いは、評価ではなく、観察につながる問いです。

【乗る】 やりたいと言ったタイミングを逃さない
ある日の早朝「ドリルやろう」と起こされました。
普段は乗り気ではないドリルを、昨晩一気に複数ページやり切っていました。その翌朝でした。理由は、"ポケモンドリルのシールを貼りたいから"。「あとセレビィをゲットすれば終わりなんだよ〜」とのこと。
ポケモンの偉大さを感じました。そのドリルは、問題を解く=ポケモンがゲットできる=シールを貼ることができる。つまり「シールを貼りたい→ポケモンをゲットしよう→だから問題を解こう」となる設計でした。
以前から買っていたドリル。突然やってきたやる気。内発的動機は最も強い。今、やりたいからやる。そのタイミングを見逃さないこと、その波に乗ること。これも観察であり、伴走です。


【在る】 一緒にやる。伴走とは"態度"である
結局のところ「一緒にやる」が一番大切なのかもしれません。一緒にやりながら、それが楽しいということを、自分が楽しむことで伝えていくことです。
心から一緒にやりたいという気持ちを、子どもは受け取ります。そう信じています。「教える」という立場に立った瞬間に、少し遠くなるものがある。隣に座り、同じ気持ちで問題に向き合ったとき、心が伴走する。
伴走とは、技術ではなく態度です。観察する、待つ、余白を渡す、思考を聞く、タイミングを逃さない。それらはすべて、「一緒にいる」という姿勢から生まれるものなのかもしれません。
入学後も、勉強の伴走は増えそうです。ただ、「教えよう」と思う前に、まず「よく見て、よく知ろう」という姿勢で在りたい。それを今後も意識して、子育てを楽しみたいです。

