遊びと心
「上上下下左右左右BA」
1980年代。
ファミコン版の「グラディウス」という、横スクロールシューティングゲームに夢中になっていた。
子供の頃に覚えたこの隠しコマンドを、何十年も経った今でもまだ覚えている。
それが人生の何の役に立つのか。
そう問われれば、あんまり役に立たないかもしれない。
でも、本当にそう切り捨てていいものだろうか?
中学生の頃。
英語の授業で先生が「『ルーラー』は日本語で何と言うでしょう?」とみんなに聞いた。
普段、授業で寝ている生徒が、珍しく手を挙げた。
彼は「瞬間移動」と答えた。
クラス中がどっと笑った。
ドラクエの呪文の「ルーラ」。
当時、みんなが知っていたからこそ、笑いが起きたのだ。
もちろん、英単語は知らないよりは、知っていた方がいい。
しかし、覚えようと暗記する英単語とは対照的に、ドラクエに出てくるたくさんの呪文は、遊んでいるうちにいつの間にか覚えてしまうのだ。
「遊び」が私たちにもたらすものとは一体何だろう。
機械にも「遊び」が必要だったりする。
部品同士がうまくかみ合ったり、ちゃんと機能するために、あえて「遊び」という余白を加えたりする。
人の心にも「遊び」という余白は必要なのかもしれない。
「遊び心」という言葉がある。
料理だったり、モノづくりだったり、作り手が「遊び心」を加えることで、くすっと笑えたり、ちょっと楽しくなったりする。
江戸っ子っぽい言い方をすれば、「粋」と言うのかもしれない。
それは、作り手のやさしさや、思いやりなのだと思う。
でも、そこに義務感や、自己犠牲的な感覚はない。
「遊び心」は作り手側が楽しんでやるものだ。
それは受け取る側にも伝わってくる。
だから、お互いに楽しくて、ちょっとだけ幸せな感じがあるのだろう。
そこに、心の潤いのようなものを感じる。
それは、別の言い方をすれば、「人の心の豊かさ」なのかもしれない。
