二極化とは~コロナ禍からホルムズ海峡~
○二極化○
これからの時代どうなるのでしょうか。
江原啓之さんが言うには「二極化」するそうです。この言葉を
紐解いていくと何が視えてくるのでしょうか。日本はアメリカ
の中の1つの州に過ぎません。
たとえば、米が足りなくなった時に
・だったら米を食べなきゃいい
・大変だ何としてでも米をゲットしなきゃ
と二極化します。
そもそも人のカラダはエネルギーの得方が
・糖質
・脂質
の2つがあります。どちらも無ければ
・活動をさせない
・筋肉を溶かす
でエネルギー消費をおさえて仕方が無いなら筋肉を溶かしていきます。これも「二極」である。そもそも、トップボディビルダーのほとんどは
・糖質をエネルギー源にする回路を持った肉体
「農耕民族Carbo回路」型
・脂質をエネルギー源にする回路を持った肉体
「狩猟民族Fat回路」型
の2つが有り「米」も「麦」も「パン」も「うどん」も糖質です。そもそも「狩猟民族Fat回路」型の人にとっては「実は無くても良い物体」なのです。しかしながら、「日本」という国が偶然に「米」を大量に生産するという特徴を持つ国だったがゆえに
・糖質型
・脂質型
どちらの日本人にも強制的に幼い頃から「糖質」を大量に流し込んでいるという特徴があります。「日本人」という遺伝型は「存在しない」と言われていて様々な民族の遺伝子が混ざっているだけと言われています。ゆえに「日本で生まれた日本人っぽい」人だからと言って
・農耕民族Carbo回路型
だとはまったく限らないという訳です。たしかにその人の方が割合としては多いかもしれない。しかし、たとえば小学生を見てみても
・デッカイ男の子
・細目の男の子
が居るようにその遺伝型はまったく違います。
そもそも「日本人」の中の「太りやすい子」は「狩猟民族Fat型」であり「蛋白質と脂質」のみで生きる事が前提となっている遺伝子型です。その人に「米」という大量の糖質を幼い頃から流し込んでしまうと、インスリンの質(体脂肪を増やすのか筋肉を増やすのか)もぶっ壊れていくしどんどん太ります。Fat回路にとって大量の糖質は毒です。
このように、一旦、「日本人=米」という図式を見直す必要があります。太っちょな男の子に大量のお米を流し込んでいませんか?。どんどんと肥満にさせていませんか。Fat回路の子にとって大量の糖質は毒です。糖質をどんどんと体脂肪にしていきます。全ての「日本人」が「農耕民族Carbo型」という訳では無いのです。農耕民族Carbo型では、対外から大量の炭水化物が入って来る事を想定している遺伝型ですから、糖質はエネルギー源として使い脂質は体脂肪へという回路です。米を大量に食べたところで別に体脂肪が大量についたりはしない。だからいつまでも大量の米と共に健康で居られる。脂質さえ食べなければ体脂肪は増えない。
このように、「日本人=農耕民族=Carbo回路=米」という図式さえも疑わなくてはなりません。この、物価高や米騒動を経てもう気が付かなくてはなりません。「そもそも米がカラダに合っていない人も居ますよ」と。農耕民族の遺伝子を持っている人は米を大切にしていくべきでしょう。しかし、糖質を摂るとすぐに体脂肪に変換されてしまう狩猟民族の遺伝子が発現している日本人はこれを機に米を食べる事から永遠に離れたって良いのです。これが、二極化の意味の中の1つの意味だと私は考えています。常識を疑わなくてはならない。古い太陽が沈み新しい太陽が昇る。そして二極化する。
別にアメリカに染まってしまったって良い訳です。特に、狩猟民族の遺伝子が発現しているタイプの人にとっては、
・肉
・魚
・脂
・油
・少量の糖
・草
さえあれば基本的には生きていけるわけです。必要としている、物質がそもそも違う。「狩猟民族」と「農耕民族」とでは。「日本人=農耕民族」ではない。生まれる時にどのような遺伝子が発現するのかは分からない。どのくらい古い時代の遺伝子が発現するのかか分からない。とんでもない昔からの遺伝子が全て刻まれている訳です。全てを踏まえている訳です。
アメリカの1つの州としての「日本」。これで良い訳です。あくまでも「日本」の「良い文化」は残したいならば、それを残していけば良いだけ。アメリカの一つ一つの州にはそれぞれに独自の文化があったりしてそれを大切にするべきでしょう。それと同じく、「日本州」も「日本州」の中の文化を大切に守るべきです。
江原啓之さんが言う「大我」と「小我」で言うならば、「日本国」と言い張ってそれを誇りに思っているのはとんでもない小さな「小我」という訳です。「大我」として「日本」を捉えるならば、
「地球星日本州」だって良い。「地球星アメリカ国日本州」だって同じ。どんなくくりだって別に「平和で楽しく生きられる」ならばなんだって良い訳です。これが「大我」である。地球星のみんなが「幸福で平和で楽しく生きられる」ならなんだっていいよという気持ちが「大我」です。その他は全て、みすぼらしい、小さな、「小我」です。
The United States of America is a federal republic consisting of 51 states.
アメリカ合衆国は51の州から構成される連邦共和国です。
The number of 51 is the state of Japan.
51番目は「日本州」です。
これで良い訳です。別に「日本」が「日本国」だろうが「日本州」だろうが、地球星のみんなが平和で楽しく生きられるならばなんだって良い。この姿勢が大事。意固地に成って「日本国」を守る必要なんて最初から無い。「日本」を守る必要は無い。「日本州の文化」は「州の文化」として尊重するべきで大切に保存していく必要が有りますが「意固地」に成る必要は無いです。保存した「方が良い」程度です。無いよりは有った方が地球全体の文化の種類が多くて豊かで良いですねというだけの事です。12色の色鉛筆よりも24食の色鉛筆の方が良いなという程度の事です。真面目に成る必要も無く真剣に成る必要もありません。臨戦態勢に成る必要も無く戦争をする必要もありません。
「日本人」の中にさえ「狩猟民族Fat回路」の人が居るように、最初から「国」なんてどうでも良い事です。地球星のみんなが良ければそれで良いだけの事です。アメリカという国はたしかに、他の様々な国に対してほとんど慈善事業の様に振る舞ってきた部分がありました。それを問題視したのがトランプ大統領でした。私はその視点には完全に賛成でした。しかし、一旦「善者でありお人好しのアメリカ」を辞めてみたら、地球上は思ったよりもずたずたに成ってしまいました。アメリカが居たから皆幸せだったんだよと皆思い知った事でしょう。アメリカという国無しでは、この星はまったく成り立たなかった訳です。どれだけこれまでアメリカという国が、他の全ての国に対して「色んな側面」で「手助けをしてくれていたのか」という事です。国交をしてくれていた訳です。輸入をしてくれていた訳です。輸出をしてくれていた訳です。日本はアメリカ無しではそもそも成り立っていない国だったと思い知らされたことと思います。
これは、逆をやれば逆も思い知るという事でもあります。日本があらゆる「他の国」への「お人好し」を切ったら一体いくつの国がぶっ潰れるでしょうか。今まで、地球上の一つ一つの国は牽制し合いながらも、つんけんし合いながらも、意外と仲良くやってきていました。輸出してあげる、輸入してあげる、国交をしてあげる。でもそれらが全て切られてしまったら地球は全く現在ある分の平和さえも壊れて無くなってしまう。
これを思い知らされた今、まだ、「日本は独立国だ」と言い張りますか?つんけんしますか?その姿勢は、アメリカが「俺はこれまで実はいろんな事をやってあげていたんだぞ!それを思い知らせるために一旦さまざまな繋がりを切ってやる!」という姿勢と同じですよと。やられた事をそのまま返しますか?それは「日本人らしい」と言えますか?
アメリカが今回「アメリカを偉大に」というテーマで動いた事はとても良い教訓を与えてくれました。これまでの地球は意外とそれぞれの国が手を取り合って協力しながら上手くやっていたという事です。そしてその中でも「アメリカ」は、やはり、要(かなめ)だったという事です。全ての国々は「今までの暮らしが何に支えられていたのか」を痛感したでしょう。アメリカのおかげだったという事です。アメリカがもたらしてくれた様々なものを「当たり前」として取り入れて受け入れて使用するのではなくて、感謝するべきでしょう。さまざまな考え方やシステムを提供してくれました。また、経済効果を。
「アメリカが」というところを抜きにして考えるならば、どの国もアメリカも「他の国の協力で成り立っている」という事です。それぞれの国の民からすれば「国」という括りは実はどうでも良くて、地球上のみんなでハッピーで楽しく暮らせればそれで良いというのだということ。国という括りがいかに無意味なものだったのか。今回の、トランプ大統領が気付かせてくれた事はこういった事です。「自分の生活が何によって支えられているのかを知り感謝すべきだ」という事。「アメリカに感謝せよ」もありますが、霊的に考えれば「アメリカ」だけではありません。もっと広い意味で「自分の生活が何よって支えられているのか」です。そして、そもそも、「何が必要」なのか。「何が必要では無いのか」です。日本人だから米が必須。そんなわけはないのです。米が無くても別に生きてはいけるのです。農耕民族型には米は必要でしょうが、狩猟民族型には必要がそもそも無かったと気付かされる。「自分」にとって何が必要なのか。何が意外と要らなかったのか。それを、考えなさいというメッセージです。
・米騒動
・コロナ禍
・トランプ大統領による関税
・ホルムズ海峡封鎖
どれをとってもそうです。
また、私が言いたいのは「自然界」への感謝を忘れていますよという事。畏怖を。日本州の人々が恐れているのは「お金」「つまらな過ぎる日々」「苦しすぎる日々」です。「お金」です。
・物質
・精神
・お金
で順番に進んできました。物質的な豊かさを追い求めた高度経済成長期。ものばかりでは「本当の幸せ」「本当の豊かさ」は手に入らないと気付き「精神」の幸福が求められた時代1990年代~2010年。そこから進んで、今や
・物質
・精神
・生活
・人々の動向
・人々の考え方のクセ
それら全てが、「お金を得る為のただの情報」でしかありません。どの物質も、どの精神も、どの情報も、金儲けの材料、金儲けのための動向チェック、金儲けのための参考文献でしかありません。金儲けのための道具でしかありません。音楽も、たましいも、楽しさも、何もかもお金儲けのための道具でしかありません。
何もかもが「お金」の前では「材」でしかありません。しかし、実際には違います。「人」の幸せの根源は違うのです。
・食べられて
・着る服があって 着る服を楽しんで
・住む家があって
・好きな人と過ごす 愛する人を愛する 恋する人を恋する
・やりたい趣味を存分に楽しむ
これらが人の幸せです。
そして、1人1人にアジャストするならば、細かく
「俺はこれは要るけどこれは要らない、これは要るけどこれは要らない。」という取捨選択があるわけです。1人1人の地球人に対して「ひとりの人物としての自分自身には、何が要るもので、何が要らないものなのかを考えなさい。」と神さまはおっしゃっているのです。それに気付けない限り、「自分には何が要るのか要らないのかを知りなさい」というメッセージ(天災・不幸・経済の悪化・地球単位でのトラブル)はずっと続きます。気付きなさい、気付きなさい、見付けなさい、見付けなさい、取捨選択しなさい、取捨選択しなさい、とずっと「気付くまで、見付けるまで、取捨選択するまで」ずっと続きます。
そもそも、「ひとりひとりにとっての幸せ」は違うというところに、気付かなくてはならないのです。いつまでも
・世界情勢
・世界に迎合する
・世の中に迎合する
・その国の文化に従う
・その地域の文化に従う
という態度ではダメなのです。なんの自我も無くただただ、「社会」に従うだけのロボットに成ってしまっているのです。知らず知らずの内に。金が儲かればそれで良いという、物事を集約させたり収斂させようとする流れが有るからです。どんな、特性も全て十把一絡げ。9割とその他1割。そういうまとめ方。「9割」側をどうのこうのする。その他1割は個人個人でやってください、無視します。そういう態度が「社会」というものの真髄です。性質です。そんな、「本当の個人」「本当の個性」を「実はガン無視する」存在である「社会」にいつまで、付き従うつもりですか。踊らされるつもりですか。殺されるつもりですか。自分自身の幸せをよく知り、良い意味で自分勝手に、アカペラで歌い、アドリブで踊りなさい。自分の人生を自分で創りなさい。楽しく創りなさい。そういう事です。
地震についても同じです。土台を考えなさいという事。そして、地震に関しては「自然に対して感謝せよ」という事。いまや、食べものも食べ物に関する気候も、ただの「お金を得る為の道具」でしかない。しかし、他の分野と違って
・食べ物 と その運搬
・介護看護医療
は「お金」というシステム関係無しに「必須」のこと。全然性質が違うのです。スポーツ選手になって何兆円稼ぐ人と、障碍者雇用枠で食べ物に関する職業に就いてコツコツと働いている人、どちらが「成功者」だと思いますか。どちらが「本質」だと思いますか。どちらが「偉い」と思いますか。答えは後者です。「お金」というシステム関係無しに「食べ物」「衣服」「住まう事」「介護看護医療」は「人」にとって必須の分野でありそれに携わっている人だけが、「人」なわけです。本質なわけです。「お金」という宙に浮いた架空の物体、架空の物質に囚われる人ばかりでは、実質この地球は回りません。劇をする時に全員が主人公ではアンバランスなわけです。実際には、脇役の方が数としては多い訳です。主人公無しでも、別に「その世界」は回るわけです。「その世界」における「幸せ」はむしろ「脇役たち」によってつくられています。
人々の「観念」「幸せ」があまりにも、宙に浮きすぎてきてしまった。お金を沢山稼いでいる人が偉い。そのような、物質的事実からかけ離れた価値観や物の見方があまりにも強く成り過ぎた。広がり過ぎた。「有名になりたい」「お金持ちになりたい」。そんな事よりも、
・食
・衣服
・住まい
・介護看護医療
にどのような形でも良いから携わって、自分と地球人みんなの生活を根幹からガッシリと支えるという事の方がよほど価値は高い。物事の本質である。宙に浮いていない、地に足の付いた事柄である。地に足を付けないといけない。地面から揺さぶられてしまうから。自然界への感謝をしなくてはならない。1兆円あったら、作物が獲れるような良い天候をつくりだせますか。地震そのものを止められますか。食べ物がじゃんじゃん採れますか?。採れません、獲れません。「お金」じゃないのです。「お金」に注目を向ける時代は終わりました。AIのロボットによって、どうしても必要な事柄についてはやってもらえるのです。「お金」というシステムそのもの必要性はAIのロボットの出現によって無くなるのです。残るのは
・一つ一つの物質や一つ一つの現象や1人1人の精神性の価値の高さ
だけです。「唯一性」だけが価値のある世界。
