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恐れは、大切にしたいものの、しるしだった。

この前、ある動画を観ていた。

小笠原諸島、父島への旅の記録。24時間かけてフェリーで向かう、東京から一番遠い島。動画の中身は、その土地や道中の紹介がほとんどだった。

でも私が涙したのは、思いがけない場面だった。

フェリーが島を発ち、東京へ戻っていく——
その船出のシーンだ。

島の人たちが、小型の船に乗ってフェリーを追いかけ、大きく、いつまでも手を振っていた。
港でも、多くの人が見送っていた。見ず知らずの旅人を、そこまでして見送る。その姿に、ただ涙が出た。

不思議だったのは、涙したのが私だけじゃなかったことだ。
コメント欄には「お見送りの場面で号泣した」「何回見ても感動する」——同じように心を動かされた人の言葉が、たくさん並んでいた。

なぜ、これほど多くの人が、あの船出のシーンに涙したのだろう。

悲しみではない涙

その涙は、悲しみの涙ではなかった。

感じていたのは、温かさ、優しさ、人と人のつながり。
そして、なぜか懐かしさ。じんわりとした、ありがたさ。

見ず知らずの島の人たちが、見ず知らずの旅人を、船まで出して見送る。
その中に、たぶん多くの人が「本来こうありたい」と願う、人と人のつながり方を見たのだと思う。

でも、なぜ「懐かしい」のだろう。見たこともない島の、会ったこともない人たちの光景なのに。

考えてみて、こんな言葉が浮かんだ。
本当は、みんなもともとつながっていたのかもしれない。
あの光景を見て、そのつながりに改めて気づけた。そこに戻ってこれた。だから懐かしい。

あの涙は、忘れていた「つながっていた記憶」に触れた涙。還れたことへの涙だったのかもしれない。

分かち合いの手前で、止まる


なぜ、この船出の話から始めたのか。

実は最近、内観していて、あることに気づいていた。

自分の中には、静かな流れがある。

何かを深く味わう。
すると美しさや意味が見つかる。
それが自然と言葉や映像になってあふれる。
そして、誰かと分かち合いたくなる。

味わう。
見つかる。
あふれる。
分かち合う。

この流れの、最後の一歩だけが、いつも引っかかる。

味わうことも、美しさを見つけることも、自然にできている。
でも「分かち合う」ときだけ、急に頭が働き始める。
色眼鏡を通して、あれこれ考えた上で出している自分がいる。

なぜだろうと掘り下げると、そこにあったのは恐れだった。

その「誰か」の正体

分かち合おうとするとき、頭の中に「誰か」が現れる。

その誰かは言う。
「こんなのじゃダメだ」
「誰にも見向きされない」
「幻滅される」。

最初は、その声を「他人の反応の予測」だと思っていた。
でも、よく見ると違った。
その「誰か」は、他人じゃなかった。

自分の声だった。
自分が自分をさばく、恐れの声。

自分ひとりしか登場しないときは、何も気にならない。
でも登場人物に他人が増えた瞬間、その反応を勝手に妄想し始める。
でもその妄想の中の他人も、それをさばく声も、全部——自分だった。

恐れの向こうに、待っているもの


では、その恐れの向こうには、何があるのだろう。

分かち合うことを恐れているのに、その先に本当に欲しいものがある。

それは——
あの船出のシーンで感じた、「みんなもともとつながっている」という安心感。
満たされた感覚。

そこに、浸りたい。

つまり、恐れの向こう側に、一番欲しいものが待っている。

一番浸りたいものへ行くために、
一番怖いものを通らなければならない。

少し切ない構造だ、と最初は思った。

でも、掘り下げていくうちに、まったく違う景色が見えてきた。

恐れは、しるしだった

こんなことに気づいた。

恐れや、山や、障壁があるからこそ、その先に得たものが、とても大切に思える。

もし何の恐れもなく、するっと分かち合えてしまったら——

その先にあるつながりを、こんなにも尊いと感じるだろうか。
こんなにも「浸りたい」と渇望するだろうか。

たぶん、しない。

大切に思いたいからこそ、そこに恐れがある。
尊いと感じる気持ちを、新鮮に感じたいから——

もしかしたら、その恐れを、自分で創っているのかもしれない。

恐れは、乗り越えるべき障壁じゃなかった。

恐れは、その先にあるものが、自分にとってどれほど大切かを教えてくれる、しるしだった。

分かち合うのが怖いのは、分かち合いが、自分にとってそれほど尊いものだから。
どうでもいいことなら、怖くもない。
怖いのは、大切だから。

恐れを、味方にする


そう気づくと、恐れとの付き合い方が変わる。

恐れの声が聞こえてきたとき、「またダメな自分が邪魔をしている」と責めなくていい。

むしろ、
「ああ、これはそれだけ自分が大切にしていることなんだ」というサインとして受け取れる。

恐れが大きいほど、その先にあるものは尊い。

あの船出の見送りが、24時間の船旅と、たった数時間の滞在と、また24時間かけて帰るという「簡単には行けない遠さ」の果てにあるからこそ、あれほど胸を打つように。

たどり着くのが難しいからこそ、そのつながりは、涙が出るほど尊い。

さいごに


分かち合いの手前で足が止まるのは、そこに恐れがあるから。

でもその恐れは、敵じゃなかった。
分かち合いが、自分にとってどれほど大切かを教えてくれる、しるしだった。

あなたにも、何かを外に出そうとする手前で、足が止まる瞬間はありませんか。

もしそのとき、恐れを感じたなら——

それは、その先にあるものが、あなたにとってそれだけ尊い、という証かもしれません。

怖いのは、どうでもいいからじゃない。
大切だからです。

その恐れの向こうには、涙が出るほど嬉しいつながりが、待っているのかもしれません。

それではまた!

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