自分の人生を取り戻す3つの力――私がこの考え方にたどり着いた理由
「今の人生は、本当に自分が望んだ人生ですか?」
もしそう聞かれたら、あなたは何と答えるでしょうか。
私は長い間、どこかに違和感を抱えながら生きていました。
毎日仕事をして、休日を迎え、また仕事へ向かう。
決して怠けていたわけではありません。
むしろ、人より頑張っていたと思います。
それでも、心のどこかで思っていました。
「本当は、こんな人生を送りたかったわけじゃない。」
その違和感の正体が分からないまま、毎日を過ごしていたのです。
最初は「体力」の問題だと思っていました
以前の私は、すべての原因は体力不足だと思っていました。
「もっと体力があればできる。」
「しっかり寝れば回復する。」
そう信じていました。
実際、私はそこまで体力がないとは思っていませんでした。
だから、睡眠を取ればまた動けるようになるはずだと考えていたのです。
ところが、現実は違いました。
十分に寝た朝でも、やりたいことができない日がありました。
仕事へ行くことはできる。
でも、自分のために何かを始める気力が湧かない。
「どうしてなんだろう。」
その疑問が、すべての始まりでした。
時間ではなく、脳力が足りなかった
ある時、気づいたことがあります。
私には時間がありませんでした。
……そう思っていました。
でも実際には、時間が少し残っている日もありました。
それなのに動けない。
その理由は、時間ではありませんでした。
仕事で一日中、
考え、
判断し、
選び、
集中し続けた結果、
その日に使える力が残っていなかったのです。
私はこの力を、
「脳力」
と呼ぶようになりました。
私にとって脳力とは、
選択・判断・集中のために使われる、限りある認知資源です。
人は毎日、無意識のうちにこの資源を使っています。
だから仕事が終わる頃には、
「本を読みたい。」
「楽器を練習したい。」
「noteを書きたい。」
そう思っていても、もう残っていないことがあります。
時間があるのに何もできない。
その理由は、脳力が尽きていたからでした。
「やりすぎ」が人生を奪っていた
さらに考え続ける中で、もう一つ気づきました。
私は何でも全力でやろうとしていました。
仕事も。
趣味も。
運動も。
頑張ること自体は悪いことではありません。
でも、毎日限界まで使ってしまえば、本当に大切なことへ向ける力まで失ってしまいます。
そこで生まれたのが、
「適力」
という考え方です。
適力とは、
本当に大切なことに体力と脳力を使えるよう、日々のエネルギー配分を調整する力。
必要な場面で力を出すために、
必要以上に力を使わない。
「やりすぎはよくない。」
この言葉は、私の経験から生まれた実感でした。
そして「3つの力」がつながった
こうして振り返ると、私が探していたものは一つではありませんでした。
まず、
体力。
毎日、自分がやりたいことを継続してやり続けるための土台となる力。
次に、
脳力。
選択・判断・集中のために使われる、限りある認知資源。
そして、
適力。
本当に大切なことに体力と脳力を使えるよう、自分を調整する力。
私は、この3つは別々ではなく、一つにつながっていると考えています。
体力だけでは足りない。
脳力だけでも足りない。
その二つをどう使うかという適力も必要です。
だから私は、この考え方を
「自分の人生を取り戻す3つの力」
と呼ぶようになりました。
私が目指したい人生
私が目指しているのは、もっと忙しくなることでも、もっと成果を出すことでもありません。
毎日、自分が本当にやりたいことのために生きることです。
音楽を学ぶ。
文章を書く。
本を読む。
誰かの役に立つ。
そんな時間を、自分の意思で選べる人生です。
3つの力を育てていけば、
少しずつ他者や環境に振り回される人生から解放されていく。
私はそう信じています。
これは完成した理論ではありません
ここまで読んでくださった方へ、一つだけお伝えしたいことがあります。
この「自分の人生を取り戻す3つの力」は、完成した理論ではありません。
そして、放っておけば自然に身につくものでもないと思っています。
だから私は、毎日の暮らしの中で少しずつ育てています。
失敗しながら。
試しながら。
考え直しながら。
このnoteも、その実験の記録です。
最後に
もし今、
「何か違う。」
「本当はこんな人生じゃない気がする。」
そんな思いを少しでも抱えているなら、まずは気づいてほしいのです。
もしかすると、
自分の人生を生きられていないのかもしれない、と。
そして、自分に問いかけてみてください。
私は本当は何をしたいのだろう。
そのためには、何が必要なのだろう。
この「自分の人生を取り戻す3つの力」が、その答えを一緒に探していく第一歩になれば、これほど嬉しいことはありません。
これは、私の答えではありません。
これからも育て続けていく、私自身の実験の始まりです。
