【こんな映画でした】980.[カッコーの巣の上で]
2023年 9月20日(水曜) [カッコーの巣の上で](1975年 ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST アメリカ 133分)
ミロス・フォアマン監督作品。1982年12月9日に大阪の毎日文化ホール(今はもうない)で観て以来、二回目となる。早くにDVDは手に入れていたが、ようやく意を決して観ることに。やはりしんどかった。
主演はジャック・ニコルソンで役柄であるマクマーフィと同じ38歳。ただし原題にある「ONE」とは登場人物の一人でネイティブのチーフと呼ばれた男性のことらしい。確かに彼はラストシーンで、一人旅立っていくことになる。そのやり方も以前みんなの前でマクマーフィがやろうとしてできなかった(力が足りなかった)やり方で。ただ、マクマーフィを一人で置いていけないとして、後始末をしてから出て行くことに。
原作の小説では、実はこのチーフの視点から書かれているそうだ。映画ではマクマーフィの登場時点から、目につく存在ではあったが。そして彼こそは、いわゆる精神病院的な意味での問題は、まったく持っていなかったようである。もちろん何らかの事情があってそこにいたのではあるが、それについては父親のことにほんの少し触れられているだけだ。死ぬ間際には酒浸りであった、と。
とまれ、何ら精神的に問題のない人間でも、その社会から異質で危険とみなされたら、精神科医の診断を根拠として拘束してしまうのだ。本当にそういう意味で精神科医の存在というのは怖いものだ。かのナチスドイツがそうであり、我が日本も同様であった。政治的・社会的に邪魔なものは精神病患者として抹殺されてきた歴史である。そしてそれは未だに続いているということだ。
このような映画が作られているにもかかわらず、現実のアメリカ社会は今もって何かあれば精神科医や分析医の診断を仰ぐのが当たり前のように考えられているようだ。私が映画で見ている限りは、だが。
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暗く深刻なだけにならないように、コメディタッチでも描かれている。悲惨なのはビリーだろう。ついに自死してしまう。キャンディとの束の間の愛を交わし合ったあとで。もちろん自死に至らしめたのは婦長なのではあるが。
演技としてはこの精神病患者を演じた俳優たちが凄いというべきか。そしてジャック・ニコルソンと婦長役のルイーズ・フレッチャー(撮影当時40歳)だろう。ともにアカデミー賞の主演賞とのこと。
たとえ演技とは言え、婦長のそのやり方は精神病院、そしてその治療法の非人間性・非科学性はもちろん、そもそも人間に対してすることではない、非情なものがある。マクマーフィの最後に行われた治療(?)の無残さを見れば分かることだろう。チーフはそんなひどいことをされて、もはや人間ではなくなったマクマーフィを見て脱出を決断し、そこに彼一人を置いて行くに忍びず、ある種の道連れにしたのだった。
チーフの愛情ある行為であったろう。法的には別としても、真の意味での殺人にはならないだろう。マクマーフィはすでに精神科医たちによって殺されていたのだから。
