「⑦仏教の東漸と西還――仏教交代の原理」について

宮田幸一氏のホームページに掲載されていた以下の論考の矛盾点を考えてみたい。
『須田晴夫 「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察(修正版)」へのコメント(2024.10.22up)』

宮田氏の論考は、「仏教の東漸と西還」をめぐる須田氏の主張に対し、「須田氏と日寛の日蓮本仏論の差異を論じなければ、それほど問題のある箇所ではない」と上から目線で評価を下しています。

しかし、この宮田氏の評価は、これまでの反論でも証明してきた「日寛上人の本仏論と『教学要綱』以前の創価学会の本仏論には何ら差異や矛盾はない」という事実を無視した、独りよがりな前提に基づく妄難に過ぎません。のみならず、「仏法西還」という法理が日蓮大聖人の「御本仏としての証明」においてどれほど重要かを全く理解できていない、極めて浅薄な認識です。

1. 「須田氏と日寛上人の本仏論の差異」という架空の前提への破折

宮田氏は、須田氏の論が日寛教学と異なるかのような前提で「その差異を論じない限り問題ない」と述べていますが、全くの的外れです。 日寛上人は、釈尊の仏法を「月」、日蓮大聖人の仏法を「日(太陽)」に譬える大聖人の御指南を根本とし、大聖人を「文底下種の本仏(本因妙の教主)」と明確に位置づけました。須田氏が『顕仏未来記』や『諌暁八幡抄』を引いて「天竺国(インド)の仏=釈尊」「扶桑国(日本)の聖人=日蓮」と対比して日蓮本仏論を論じているのは、まさに日寛上人が体系化した「種脱相対(釈尊の仏法から日蓮仏法への教主交代)」の法理そのものです。ここには「差異」など微塵も存在せず、宮田氏の勝手なレッテル貼りに過ぎません。

2. 「仏法西還」の現証こそが「日蓮本仏論」の究極の証明である

宮田氏はこの箇所を「それほど問題のない箇所」と軽く流していますが、実はこの「仏法の西還(一閻浮提広宣流布)」の実現こそ、大聖人が末法の全人類を救う根源の仏(御本仏)であることの最大の証明です。 大聖人は『諌暁八幡抄』で、「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」 と仰せです。釈尊の「熟脱の仏法(月)」がインドから日本へと伝わったのに対し、末法においては、釈尊をも成仏させた根源の法を体現した大聖人の「下種の仏法(太陽)」が、日本からインドへ、そして全世界へと還り広まっていくと宣言されました。この「太陽の仏法」による全人類救済のスケール(教主交代)こそが日蓮本仏義の核心であり、決して軽く扱えるような傍論ではありません。

3. 世界広宣流布の「現証」を無視する観念論の限界

大聖人の仏法は、理屈(文証・理証)だけでなく「現証」を第一とします。 池田先生は、「この未来記の通り、月氏──すなわち仏教発祥のインドまで妙法を弘め伝えたのは、創価の師弟である」「その御金言に寸分違わず、我ら創価の師弟は、世界192カ国・地域に、妙法を弘通して、全地球を包みゆく地涌の菩薩の陣列を築き上げたのだ」 と指導されています。 「仏教西還」という大聖人の予言を、現実の歴史において実証したのは、初代・牧口先生、二代・戸田先生、三代・池田先生という創価学会の師弟のみです。この未曾有の「現証」こそが、大聖人の仏法が世界宗教たる「本仏の教え」であることの揺るぎない証明なのです。 宮田氏は、この壮大な広宣流布の「現証」から目を背け、机上の空論で「日寛教学との差異がどうこう」と言葉遊びに終始しています。

宮田氏の論評は、日蓮仏法における「仏法西還」と「教主交代」の法理が持つ宇宙大のスケールを理解できず、またそれを現実のものとした創価学会の師弟の「現証」を直視できない、重箱の隅をつつくような狭い文献学の域を出ていません。須田氏の論証は、大聖人の未来記と日寛教学の法理、そして学会の世界広宣流布の現証に完全に一致した正論であり、宮田氏の的外れな批評は痛烈に論破されます。