創価学会の「教義変更」の本質───巨大資産の防衛と政治的適応

1. 昭和54年「面従腹背」の起点

 創価学会の現代史において、1979年(昭和54年)4月24日の池田先生の会長辞任劇は最大の転換点であった。表向きは日蓮正宗宗門との摩擦を鎮静化するための「引責辞任」とされ、池田先生は名誉会長へと退いた。しかしその実態は、教団内の主導権をめぐる実質的なクーデターであった。当時の教学部長・原島嵩や弁護士・山崎正友ら、そして秋谷栄之助をはじめとする執行部は、宗門からの批判を梃子に池田先生へ実務からの完全撤退を迫った。これにより、金銭、予算、人事といった教団運営の実権は公式に池田先生から執行部へと移る。
 この時期に生じた池田先生と執行部の深刻な亀裂は、数々のエピソードに表れている。第5代会長となった秋谷は、就任後の2年間にわたり池田先生を「先生」と呼称せず、後に本部幹部会で池田先生から叱責を受けた。
 また、山崎正友による「10億円恐喝事件」において、執行部は池田先生に一切報告せぬまま10億円を極秘裏に支払っていた。後にこれを知った池田先生は本部幹部会で激しい怒りを露わにしている。
 これらは、執行部にとって池田先生が「象徴的な指導者」にとどめ置かれるべき存在であり、実務中枢からは排除対象であったことを物語る。
昭和54年は、池田先生と実務執行部による「面従腹背」の持久戦が始まった瞬間であった。

2. 国税の影と自公連立――巨大な非課税資産の防衛

 公明党が長年にわたり自民党との連立政権に固執し続けた背景には、1990年から1992年にかけて行われた東京国税局による本部への特別税務調査という、教団史上最大のトラウマが存在する。1991年には墓石販売事業などをめぐり約23億8000万円の申告漏れを指摘され、修正申告に応じる事態となった。
 この攻防については、元公明党委員長・矢野絢也が著書『乱脈経理――創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント』で詳述している。学会の会計や資産、絵画取引、墓苑事業に関する国税当局との折衝において、竹下登ら政界有力者への接触や政治的働きかけが行われた経緯が記されている。
 この税務調査を通じて国家権力・税務当局の介入に対する強い危機感を抱いた教団中枢は、政権与党の座を維持し続けることこそが、数兆円規模に及ぶ非課税資産を守る最大の防壁であると再認識したといえる。

3. 2014年「教義改変」の真実

 池田先生が表舞台から姿を消し、2014年に原田稔ら実務執行部は、教義の根底的改変と『教学要綱』の編纂に踏み切った。これは牧口常三郎・戸田城聖・池田大作の三代会長が掲げてきた教義の事実上の解体であり、自公体制の維持と保守勢力への同化を目的とした再設計であった。
 表向きには、日蓮正宗の教義と完全に脱却し、独自教義へとシフトさせたことが最大の変更点とされている。しかしその本質は、教義の壁を取り払うことで「日本会議」をはじめとする保守・神社本庁系の支持基盤と融和し、政権中枢にしがみつくことによって、数兆円規模にのぼる巨大な非課税資産を国税のメスから守り抜く「国税逃れ」に他ならない。
 執行部は、仏教論理である「随方毘尼(ずいほうびに)」を拡大解釈・援用し、かつて「謗法(ほうぼう)」として厳禁していた神社の祭りや地域伝統行事への参加を「世俗的な市民行事」と再定義した。これにより、かつて折伏の原動力であった厳格な教義をかなぐり捨て、自民党や日本会議が牛耳る地方社会への同化を完了させたのである。
だからこそ、日本国内の「三宝(仏・法・僧)」の定義は政治的思惑に合わせて改変された一方で、日本の税務調査や保守政治との妥協を必要としない海外組織(SGI)においては従来の枠組みのまま変更されていないという、二重基準が生じている。
 かつて三代会長と池田先生が築き上げた純粋な信仰体系は、国内執行部が日本会議との摩擦を解消して政権与党の防護壁を死守し、国税による強制捜査から教団利権と莫大な非課税資産を守り抜くためへと完全に作り変えられたのである。