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受洗から半年―葛藤と恵みのあいだで

私は2025年12月に受洗し、早くも半年以上が経ちました。

本当は受洗後すぐに記事を書くつもりでしたが、予期せぬことが起こり……、なかなか書く気になれませんでした。

気持ちの整理がついたので、私の受洗前と受洗後のことを赤裸々に綴りたいと思います。

受洗直前に起きた「予期せぬこと」

受洗準備は2025年2月から始まり、11月まで続きました。 主任牧師が他の教会と兼牧していたので、月に1回教会にいらっしゃる日に受洗の学びをしました。 ゆっくりですが、着実に準備は進んでいました。

しかし10月に、ひょんなことから中国のアニメにどハマり。 元々アニメが好きということもあり、魅力的だと思ったら最後、どんどん沼に落ちていきました……。

私はなにかにハマると、しばらく頭の中がそのことで埋めつくされてしまいます。さらに、作品の内容が神様の御心に反することだったことなどもあり葛藤が生まれ、この時期は大変苦労しました。 楽しいけれど、「ちゃんと神様に心を向けなきゃ!」と必死の日々でした。

期待外れだった洗礼式

そして、そのまま洗礼式を迎えました。 受洗準備の当初は「洗礼式は絶対泣いちゃう!」と思っていましたが、実際は淡々と終わり「……え?こんなもん?」と思ってしまいました。 正直、私が期待していた洗礼式ではなくがっかりしました。 それは決して教会に対してがっかりしたわけではなく、新しい趣味に半ば心を持っていかれていた自分自身にがっかりしたのです。
しかし、教会員の方々からの温かい祝福はとても嬉しくて、正式にこの教会の一員になれたことは今でも本当に恵みだなと思っています。

受洗後、祈りの中で

受洗後は、中国語の勉強を始めました。 趣味からの動機だけではなく、いつか神様に用いられたらいいなという思いもあって始めたことです。 専属のコーチをつけて半年間がっつり学んだところ、中級レベルまで身につきました。 これは素直に良い収穫だと感じています。

ひと月、ふた月と過ぎていくにつれて、趣味への熱もほどよくなりました。 心の葛藤については神様に祈りつつ、適度な距離感で今でも楽しんでいます。

今回、中国という国を詳しく知り、私たち外国人は中国国内で直接的な宣教活動ができないこと、政府公認の教会の中には聖書の教えから離れているところがあることなど、祈らなければならない課題がたくさんあると強く感じるようになりました。 また、正直なところ中国に対してあまり良くない偏見があったのですが、文化や人々という視点で見たら素晴らしいところがたくさんありました。
今思えば、作品に出会ったタイミングが少し悪かっただけで、全体を通して得られた学びの方がずっと多かったと感じています。

中国アニメにハマる前は、どこかのシスターのように「世俗的なことからはとにかく離れよう」と思っていたところがありました。「立派なクリスチャン」を目指していたのかもしれません。 しかし、今回の出来事を通して、己の罪深さとイエス様の十字架を見つめ直し、罪の赦しの恵みに改めて感謝することができました。

これからは、中国語の学びを細々と続けつつ、聖書も読み、信仰生活を楽しんでいきたいと思います。

そして今、私は将来のビジョンについて考えています。 献身するか、クリスチャンとして一般社会に貢献するか迷っているところです。 教会で色々な奉仕を任されるようになり、自分でも気づかなかった賜物を少しずつ見つけていけています。

これからも、祈り続けたいと思います。

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