医療の功績は誰のものか(専門職20年のホンネ : キャリア編⑥)
理学療法士になったとき父親に言われた印象に残っている言葉があります。
「数少ない感謝される仕事だから大事にしなさい」
確かにその通りかもしれません。
退院の日に、「ありがとうございました」と言われます。手紙をいただくこともあります。時には涙を流しながら感謝の言葉を伝えてくださる方もいます。
でも20年近くこの仕事をしていて、父親の言葉に引っ掛かっていることがあります。それは、
この人は何に感謝しているんだろうか
私は標準的な評価をして、クリニカルパスのスケジュールに合わせて進めただけです。と思ってしまう。
何も特別なこともしていなければ、あなたにも特別な事は何も起きていない。
ごめんやけど“通常運転”です。
自由度は高いけど、オリジナリティはない。それがリハビリ。
外科手術などは、もちろん患者本人にはできません。
点滴を入れたり、管理したりすることも難しく看護師さんが必要です。
薬の細かい調整や内容の理解も薬剤師さんから説明を受けなければ理解しにくいでしょう。
でもリハビリはどうでしょうか?
普段から「リハビリするのはご自身ですよ」と声をかけます。
結局私は、患者さんの「身体を動かす気持ち」の手伝いをしているだけです。
頑張ったのは「あなた」で、無事に退院してくれて「ありがとう」と思います。
例えば、入院した患者さんが無事に退院する。
歩けなかった人が歩けるようになる。
自宅へ帰れるようになる。
患者さんからすると、それは人生を左右する大きな出来事です。
だから感謝される。それはよく分かります。
しかし感謝の言葉を受け取るたびに、どこか落ち着かない気持ちになることがあります。
これは私の功績なのだろうか。
患者さんが回復したのは、
医師の治療があったから。
看護師が24時間支えてくれたから。
薬が効いたから。
家族が支え続けてくれたから。
医療ソーシャルワーカーが退院調整をしてくれたから。
そして何より、患者さん本人が頑張ったから。
そう考えると、理学療法士が成果を語ることに違和感があります。
当然、医療職としては患者さんが歩けるようになったら嬉しい。
でも患者さんが回復する理由がリハビリだけで片付けられない事はよく分かります。
だからいつ頃からか、「私が歩けるようにした」という感覚はなくなりました。なので退院の日の「ありがとうございました」という言葉を素直に受け止められません。
医療の功績は誰か一人のものではありません。
患者さん本人
家族
医師
看護師
薬剤師
栄養士
リハビリスタッフ
そして地域の支援者
多くの人が関わった結果として回復があります。
感謝されることに対する私のホンネ
だから私は今でも「ありがとうございました」と言われると少し照れくさいし素直に喜べません。
医療の功績は誰のものか。
残念ながら理学療法ガイドラインの内容が弱いこともこういうリハビリの本質が物語っているようにも思う。
患者さんは、筋力が上がった事や歩行練習をしてくれたことに感謝しているわけではないのかもしれません。
入院という人生の大変な時期に関わってくれたこと。
一緒に退院を目指したこと。
話を聞いてくれたこと。
見捨てずに関わり続けてくれたこと。
そういう時間を含めて「ありがとうございました」と言ってくれているのかもしれません。
父親が言った「数少ない感謝される仕事だから大事にしなさい」という言葉の本質について最近思う事があります。
感謝される仕事というのは、結果を出したからではなく、誰かの人生の転機に関われる仕事という意味だったのかもしれません。
20年経った今となっては父親がどういう意図で言葉をかけてくれたのかは分かりません。
まだ健在ですけど。
いいなと思ったら応援しよう!
私のお小遣いにさせていただきます.