滋賀県にも、アイヌ語の地名が残っていた!
(はじめに)
昨日の7月11日娘婿のご母堂の葬儀が滋賀県湖南市であり、私の住んでいる長野県上田市からは遠方なので、その前日の7月10日電車を長野、名古屋、米原、草津と4回乗り継いで、向かいました。名古屋と米原の間は新幹線の「ひかり」に乗ったのですが、「ひかり」って、「のぞみ」などと違って、各駅に停まるローカル列車扱いなんですね。昔の新幹線のイメージと違いますね。さらに名古屋発の「ひかり」も各駅停車といえど、全部は米原で停まらないんです。通過してしまう「ひかり」もあるんですね。したがって、米原に行くのは、名古屋からは1時間に1本くらいしないというのを知りました。米原にやっとついて、それから、在来線のローカル列車に乗り、彦根、近江八幡など各駅に停まりながら、40分かけて草津まで行きました。
1. JR能登川駅
途中、能登川という駅もありました。私は、能登という名前が付いた地名が、滋賀県にもあることに非常に不思議に思いました。この能登川駅を過ぎるとなんと有名な織田信長が建てた安土城跡のある山のすぐ横を、電車は通過します。能登川あたりはまだ平地なのですが、安土城のあたりは山で、それを過ぎるとまた平地になり近江八幡に到ります。なんだか安土城のあたりだけが、平地に突き出た山になっているのに気づきました。
2. 能登川の能登ってアイヌ語
そこで、前に見た「ブラタモリ」で琵琶湖の東の平地は、たくさんの川がもたらした扇状地で、川の土砂で長い間に埋め立てられて平地になったというようなことを聞いていたので、この安土城の山って、昔は琵琶湖に突き出た半島だったんじゃないか。それに、「能登」っていう地名、石川県の能登半島をはじめ、秋田の能代、北海道の納沙布、能取など、アイヌ語のnot=半島が、付いた地名は、東日本に広く分布している・・・・、この滋賀県の能登川もきっと、昔「半島」だったんじゃないかと気が付きました。
3. 滋賀県の能登川の能登は、やっぱり半島だった
ローカル線でゆっくり走っていて、非常に時間があったので、スマホで、検索して調べました。そしたら、なんと、この安土城のあった山は、昔は琵琶湖に突き出た半島だったそうです。いやあ、私、大発見をしたような、気になり、興奮しました。
4. 以下は、その時のGoogleによる調査結果です。
【私の質問1】2026年7月10日
滋賀県能登川は大昔は琵琶湖に突き出た半島でしたか?
【Google Geminiの回答】
大昔、現在の滋賀県東近江市能登川(のとかわ)地区は、琵琶湖に突き出た「半島」や「岬」のような地形をしていました。能登川の南西部には標高433メートルの「繖山(きぬがさやま)」があり、その山が琵琶湖に突き出る格好となっていました。また、昭和30年代までは、山の周囲に「大中の湖(だいなかのこ)」をはじめとする広大な内湖が広がっていたため、その地形は半島のように見えていたとされています。
【私の質問2】
どのような半島になっていてか地図を見せてください。
【Google Geminiの回答】
能登川周辺がかつてどのような半島状の地形(突き出た地形)であったか、戦前の干拓前の地図や、現在の広大な干拓地(農地)の地図で確認することができます。
まずは、かつての内湖に囲まれた地形の雰囲気がわかる古地図(干拓前の大中の湖や安土山・繖山の位置関係)をご覧ください。 [1]
かつての「半島」の成り立ち
大昔(縄文時代〜昭和30年代まで)、このエリアは以下のようなダイナミックな地形をしていました。
水に囲まれた繖山(きぬがさやま):現在の能登川駅の南西にある繖山(標高433m)は、西側を琵琶湖最大の内湖であった「大中の湖(だいなかのこ)」に、北〜東側を「伊庭内湖(いばないこ)」に囲まれていました。 [1, 2]
突き出た半島:平野の中に繖山だけがそびえ立ち、その周囲のほとんどが深い水域(内湖)であったため、まさに琵琶湖(内湖)に向かって山全体が半島のように長く突き出た地形になっていました。 [1, 2]
陸続きの「安土山」:織田信長で有名な安土城がある安土山も、当時は三方を内湖に囲まれた島、あるいは半島の先端のような場所でした。 [1, 2]
現在の地図で見る干拓地
戦後(昭和21年〜42年)の大規模な国営干拓事業によって、「大中の湖」の大部分が頑丈な堤防で区切られて干し上げられ、広大な水田(農地)へと姿を変えました。 [1, 2]
現在の能登川・安土周辺の地図で、かつて「半島」を形作っていた位置関係を以下から確認できます。
地図上の「大中の湖干拓地」と書かれた広大な平野(網目のように整備された農地)は、かつてすべて**波の立つ大きな湖(水面)**でした。この水が引いた状態をイメージすると、繖山がどれほどくっきりと水に突き出た「半島」であったかがよく分かります。 [1, 2]
(終わりに)
皆さん、滋賀県にもアイヌ語地名が残っていたって、驚きですよね。
冨雄丸山遺跡の埋葬者のナガスネヒコはアイヌ系の縄文人だったと私は思っていますが、滋賀県にも明らかなアイヌ語地名があるっていうことは、ますます、その意を強くしました。皆さんはどう思われますか。
令和8年(2026年)7月12日 随筆
*なお、冒頭の地図はGoogleマップを利用させて頂きました。
(追記)令和8年(2026年)7月18日
この記事をご覧いただいた福家伸夫様から、下記の様な写真があることを教えていただきました。
https://archives.pref.shiga.lg.jp/index.php?view=category&id=43

昭和初期 安土山が内湖に囲まれていた時期の貴重な写真です。左手には安土山、安土山を囲むように小中(しょうなか)の湖、その奥には大中(だいなか)の湖が見えます。写真には写っていませんが、左側には西の湖があります。小中の湖は昭和17年に、大中の湖は同21 年に干拓工事が開始され姿を消しましたが、西の湖は洪水調整池と背後地の用水対策のため残されました。
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この写真を見ると、昭和初期まで、ちゃんと半島だったのがわかりますね。
