唐揚げなんだよ、人生は。
あたしね、今日本当は吉野家に行こうと思ってたの。ほら、うちの会社から近いじゃない、吉野家。久々の出社だしさと思ってね。ホントはうちで弁当でも作ってきたらよかったんだけど、そんな時間なんてないじゃない。
だから、吉野家。もうすんごいんだから、最近の吉野家。何がすごいって値段よ値段。ビックリしちゃってあたし。だって牛丼一杯にタマゴつけたら700円くらいするでしょ?ちょっとねぇ。出せないわよねぇ。家で作ったらいくら?って考えちゃうじゃない。
あ、ごめんごめん、それでね、話が逸れたんだけど、結局行かなかったのよ吉野家。こんだけ話しといてそれかい!ってね。で、代わりに何を食べたかっていうと、唐揚げ弁当。あ、知らない?ほら、会社の横に最近できた。そうそう、そこそこ。気になってたのよねぇずっと。でさ、ほらこう見えてあたしって奥手でしょ?だから、お店の前をちょっと通ったのね。そしたらガラスの扉が閉まってて。看板に唐揚げ弁当って書いてあって美味しそうだなぁって思ったんだけど、ほら、通りの向こうに家系ラーメンあるじゃない。そんなふうに思ったら、その閉まってたガラスの扉がちょっと開いてね、こっちを見てるのよ。
もうすんごいイケメン。誰って、マスターよ。もう、あたしびっくりしちゃった。そんで、どうします?って聞かれて、あたし唐揚げ弁当くださいって言ったのね。そしたらさ、ちょっとこっちの顔マジマジと見ながら、「ふっつうでいいですか」って言うわけ。もうちょっと勘弁してよって、ねえ。「あ、じゃあ大ください」って言うしかないじゃない。
で、払ったわよ!960円。高いわよねぇ。吉野家だったら700円よ。もう自分でもおかしくなっちゃって。すんごいのご飯の量も。がっしりとした指でね、お弁当箱のトレーを掴んで、ご飯も唐揚げもモリモリ入れていくんだから。え、フタなんか閉まんないわよ。輪ゴムをこう、十字にかけてね。今どき袋が有料じゃないなんてすごくない?すんごい重さでね、「はい、どうぞ」って言われて、思わず「ぬへへ、ありがとうございますぅ」なんて気持ち悪い声出しちゃった。
それで席に戻るでしょう。フタを開けてぞっとしたわ、あたし。
まずね、この唐揚げ骨付き肉なの。しかもご丁寧に手羽中と手羽先。そんで、ご飯は一合半くらい。
◇
なんてふざけて書いてはみたものの、当時の心境を思い出すとそこはまるで地獄だった。私の会社はリモートワークが中心のため、オフィスにはほとんど人がいない。なのに、今日に限って、私の座っているフリースペースの真横に別の社員が座り、弁当を広げ始めた。
その社員とはこれまで一言も言葉を交わしたことはない。ただ、黙々と弁当を食べている。そして、私は自分の場所で、手羽先に口をつけた。
手羽先、しかも唐揚げを無音で食べることが可能な人類はこの世に一人として存在しない。どんなに頑張っても無理がある。
どこまでも静かなフロアにピチャピチャ、ペチャペチャという音だけが響く。人の咀嚼音など聞きたい人間はいない。頼むからイヤホンをしていてくれと横を見たが、1秒後にはその期待は脆くも打ち砕かれた。
もうこうなったら私にできることはさっさと食べきることだ。だが、おもむろに米を掻きこんだ瞬間にぶほっとむせた。
クチャクチャという咀嚼音に加え、ブホブホという聞いたことのない動物の鳴き声。都心のオフィスに突如現れたクリーチャー。もし勇者がいるのなら、いっそひと思いにこの首を刎ねてくれと願ったに違いない。
ようやく唐揚げ弁当も終盤戦に差し掛かった。自分の築き上げたキャリアを捨て去り、手羽中と手羽先を食べきった私にもう怖いものは無い。そう、その時は私もそう思っていた。
白い唐揚げ。塩唐揚げ。それがちょうど二個あった。見たところ骨は無い。もう手を汚すこともなければ、不快な咀嚼音を響かせることもない。
私は安心して、その塩唐揚げを頬張った。瞬間、口、喉、鼻に突き抜ける強烈なニンニクの香り。この小さな唐揚げにここまでのニンニク臭を詰め込むために、一体どれほどの犠牲を払ったのか。スーパーで売られている生ニンニクのチューブを鼻からぶち込まれたかのような衝撃。
そうか、最初からこれが狙いだったんだ。
私の様な日陰者の吸血鬼を言葉巧みに誘い出し、ニンニクでとどめを刺す。思えば、パックに掛けられた輪ゴムの十字架の時点で私は気づくべきだった。
ちらっと時計を見た。時刻は12時38分。私はカバンの中から大急ぎで歯磨きセットを取り出して給湯室に向かった。
これが何の足しになるのかは分からない。だが、私にはもうそうするしかできなかった。クリニカをいつもの3倍量つけて、ゴシゴシと歯を磨く。だが、あまりにも急ぎ過ぎたため、歯ブラシが喉の奥の方に当たり、それがスイッチとなり巨大なゲップが私の口から飛び出した。
オゥエッ!!!グェエエエップ!!!という地鳴りのような音がオフィスの廊下にこだまする。そして、辺りに充満するケモノの臭い。
そこから先の顛末を語る必要はないだろう。
私は先ほど13時からのミーティングを終えた。ちょうど備品置き場の引き出しにコロナの頃に買ったであろう、使い捨てマスクがあった。
ミーティングは私の最後の引継だった。お相手は総務のお姉さま。
準備した資料と共に、私は淡々と説明した。口を開けるたびに喉の奥からニンニクがマスクの外に這い出ようとする。私は必死になり、それを止めるため、息を大きく吸い込んだ。
だが、ぴったりとしたマスクは吸い込むたびに肌に吸い付きヘコヘコ、シュコシュコと奇妙な音をぶっ放す。
たぶん、「あ、で、そこは(へコー)、ごごを押じてもら(へコー)っで、ぞのあどに(へコー)、ごっちの承認(シュコー)ボタンを(ヘコへコー)押じて(シュコッ)もらっだら(シュコー)だいじょう(シュコシュコシュコー)ぶですぅ」みたいになっていたはずだ。
お姉さまは大人だ。きっと私よりも何倍もの修羅場をくぐっている。本当は私に聞きたいことは山ほどあったはずだ。
なぜ目の前のこの男が真夏にも関わらずやたら分厚いマスクをしているのか、なぜこいつはこうもヘコシュコうるさいのか。
だが、彼女は眉の一つも動かさず淡々と質疑してくれた。
会議は1時間を予定していたが、結局30分で終わった。
そして私のこの会社での最後の仕事も終わった。
駆け抜けた一年と九か月。
最後の思い出は、唐揚げだった。
あとがき
昨日に引き続き、えむのマイトンさんから受け取ったお題の「#エッセイしりとり」で書かせていただいた。
詳細はマイキー🐣さんの記事をご覧いただきたいが、大まかなルールはこちらとなる。
🔸開催期間は~8月31日23時59分まで。
🔸審査基準は「ヤバい」「ニヤけた」「ぽかった」「この続き、読みたい」「心動いた」
🔸 濁点・半濁点・小文字はゆるく判断
「が」→「か」
「ぱ」→「は」
「ゃ」→「や」
「っ」→「つ」
🔸「ん」で終わるタイトルを書いてしまった場合は
罰としてスポンサー側に回る
※審査員になりたい方🖐️スポンサーになりたい方は
あえて、「ん」で終わらせてもOK
ここでバトンをお渡ししてもいいのだが、私は一旦止めておこうかと思う。
理由として、今回の企画自体がエッセイを普段書かない人や、エッセイを初めて書く人向けということであり、私が書いてほしいと依頼した人たちがこれから本気で仕上げるであろうエッセイが大量に並ぶと、それはそれでちょっと本来の企画の趣旨から外れてしまうような気がしたからだ。
(それに、私がフォローしている人ならば、どこかしらかからバトンが回ってくるだろうという算段もある)
その代わりと言ってはなんだが、もしこの企画に参加されたい方はぜひ私の記事を「しりとりのお尻」として「は」もしくは読みで「わ」から始まるエッセイを書いてもらえたらと思う。
改めて、マイキー🐣さん、素敵な企画に参加させていただきありがとうございました。これからも楽しみにしています!
