三角乗り-自転車の練習は三角乗りから
先日、空き地で自転車の練習をしている親子に出会った。
父親らしき人が自転車の後ろを支え、小学1年生くらいの子供が一生懸命バランスを取りながらペダルを漕いでいる。
しかし、父親が手を離すと10メートルも行かないうちに足をついてしまう。子供用の自転車なので倒れても大ごとにはならないが、なかなかうまく乗れないようだ。
見ているこちらも「ガンバレ!ガンバレ!もう少し!」と思わず応援したくなる光景だった。
そんな姿を眺めているうちに、自分が初めて自転車に乗れた時の嬉しさが蘇ってきた。小学校に入学したばかりの頃の思い出だ。
当時、我が家には自転車がなかったが、母の実家に行くと、大きな荷台のついた、フレームも太く頑丈な大人用の自転車があった。
その頃(昭和30年代初期)は今のように子供用の自転車などなく、ましてや補助輪付きの自転車など存在しない時代である。
その大きな自転車を借りて練習したのだが、小さな子供がサドルに腰掛けると、当然足は地面につかない。
それどころか、ペダルを一番下まで漕ぎきることすらできなかった。
見かねた祖父が「サドルには座らず、フレームの間に足を入れてペダルを漕ぐんだ」と教えてくれた。
これが世に言う「三角乗り」である。
しかし、これがなかなか難しい。
サドルの下のフレームが三角形の空間を作っているので、そこに右足を突っ込んで右のペダルに届かせる。
左足を左のペダルに乗せ、車体を「く」の字に傾けて前に進める。
瞬時に右足をフレームの間に滑り込ませて右のペダルを漕ぎ、バランスを取りながら走らせるのだ。
母の実家に行くたびに練習したが、ようやく乗れるようになるまでには数ヶ月かかったと思う。
乗れるようになると、どうしても自分の自転車が欲しくなる。
父親に何度も懇願したが、当時は高価なもの、簡単には買ってくれない。
友達の中には数人、自転車を持っている子がいて、遊びに行く時はみんな自転車で移動する。持っていない私は、当然走って彼らを追いかけることになる。
必死に自転車へついていこうと、ひたすら走った。
しかし、いくら走っても距離が遠くなるとついていけなくなる。
「ゆっくり漕いであげよう」とか「待っていてあげよう」といった気遣いは、当時の子供たちの間には生まれない。
当然のように置いていかれるのだ。
ようやく追いついた頃にはヘトヘトになっていたので、何としてでも自転車が欲しかった。
だからこそ、父親が町の自転車屋さんから中古の自転車(その頃は「チュウブル」と呼んでいた)を買ってくれた時は、天にも昇る気持ちだった。
「チュウブル」だろうが何だろうが、自転車には違いない。
嬉しくて、それからは習得した三角乗りで街中を乗り回した。
それでも当時の道は今のように舗装されておらず、小石だらけの砂利道だったため、よく転んでは怪我をした。
おでこからひざ小僧まで赤チンだらけになりながらも、自転車に乗りたい一心で、学校から帰ると三角乗りで遊び歩いた。
体が乗り方を覚え、自由自在に扱えるようになった時は、少し誇らしげな気持ちだった。
昭和40年代になると、子供用の自転車も売り出されるようになり、補助輪付きの自転車も当たり前になっていった。
現在では、大した怪我もせず、いたって安全に自転車に乗れるようになっている。
「自転車に乗れるようになる」という結果だけを見れば、三角乗りで赤チンだらけになりながら練習した時代と、大した怪我もせず安全に同じ結果を得られる現在とで、大差はないのかもしれない。
安全に同じ結果を得るほうが効率的で良いではないか、と言われればそれまでだが、結果は同じでも、その泥臭い過程で得た「何か」が違うのではないか…。
そう思ってしまうのは、古い人間のひがみだろうか。
