見出し画像

シールをやめた先生が、再びシールを配るまで



うちの園は月曜日が全員給食である。

私は長い間、

月曜日に限り、
給食を完食した子に小さなシールを渡していた。

本当に小さいただのシールである。


それでも子どもは喜ぶ。

よく食べる。

不思議なものである。

ただ、ずっと気になっていたことがあった。

私は年長担任が多かった。

年長なら卒園で終わる。

だからそのクラスだけの文化で完結する。

でも年中は違う。

次の担任がいる。

翌年、

「去年はシールもらえたのに」

と言われたら困るだろう。

子どもも戸惑うかもしれない。

そこで私は久しぶりに年中担任になった時、

シールをやめた。


しかしその翌年。

また年中担任になった。

そして私は負けた。

シールを復活させた。

理由は単純である。

よく食べるからだ。

保育理論とか、

内発的動機づけとか、

そういう話も分かる。

でも目の前で給食が大量に残る。

そしてシールを出すと食べる。

すごい効果なのだ。


ただ、このままではまずいと思った。

翌年は年長になる。

そこで昨年、
2学期の終わり頃に宣言した。

「もうすぐ年長さんだから、シールなくても食べられるよね?」

子どもたちは言った。

「はーい」

あっさりである。

もっと惜しまれるかと思った。

全然だった。



そして私は今年、
年長担任になった。

今年こそシールなしでいこう。

そう決意した。

ところが給食が残る。

とても残る。

絶対シールあれば食べれる子はいる。


そんな葛藤の中、

私は棚を開けた。

シールを出した。

敗北である。

するとやはり想定内なことが起きた。

年少の頃からずっと給食を残していた子が
初めて完食した。


そして、いつも最後まで食べていて、
毎回残す子が、

その日は他の子より先に初めて完食した。




私は揺らいだ。

理論とはなんぞや?



そしてもっと面白かったのは、

持ち上がりの子たちである。

彼らは覚えていた。

去年の私の言葉を。

「先生さ」

「なに?」

「シールやめたんじゃなかった?」

痛いところを突いてくる。

確かにそうである。

私はやめた。

やめると言った。

なのに今、

普通に配っている。

しかし持ち上がりの子どもたちは、

そう言いながら完食した。

ツッコミながら食べる。

矛盾を指摘しながら完食する。

そしてきちんとシールをもらう。



なんだろう。

保育者は色々考える。

理論も考える。

方針も考える。

次の担任のことも考える。




私は今でも、

シールが正しいのかは分からない。

でも、

年少から給食を残し続けていた子たちが完食したのも事実である。

そして、

「先生、やめたんじゃなかった?」

と指摘しながら、

ちゃっかりシールを受け取っていたのも事実である。

保育理論は難しい。

子どもはもっと難しい。

そして私は今日も、

棚の中にシールを隠している。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集