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Netflix 映画 「聯合艦隊司令長官山本五十六-太平洋戦争70年目の真実-」


2011年公開の映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六-太平洋戦争70年目の真実-』
※この長い副題がついているのは、1968年に公開された、三船敏郎主演の「連合艦隊司令長官山本五十六」(アメリカ向けタイトルは、"Admiral Yamamoto")という別の作品があるからだろう。


山本五十六長官を役所広司が淡々と演じた戦争映画だ。


 史実を軸に、山本の日常の小さなエピソードを織り交ぜて描く作品で、派手な戦闘や劇的な展開で魅せるタイプではない。だが、その静かな語り口がかえって胸に残る、大切な一作だと感じた。

 物語は、少年時代の山本五十六が、戊辰戦争での先祖の戦いぶりを老人から聞かされる場面から始まる。

 続くタイトルバックでは、行進する陸軍部隊と、その後に立つ海軍省の建物が映し出される。短い場面だが、陸軍が海軍に圧力をかけていた当時の空気を見事に伝えている。

 太平洋戦争開戦当時、日本の軍部が一枚岩で戦争へ突き進んだと考える人は少なくない。私自身も、そう教えられてきた。
しかし、史実はもっと複雑だ。

 海軍首脳部の多くは、アメリカとの国力や工業力の差を冷静に見て、対米戦に消極的だった。山本五十六は、その代表的な存在である。

 一方、陸軍は資源、とりわけ石油の確保を求めて中国や東南アジアへの進出を拡大していた。その結果、アメリカは経済制裁と石油禁輸に踏み切る。追い詰められた日本は対米開戦へ傾き、海軍もその流れを止めきれなくなっていく。

 さらに、その空気を加速させたのが新聞だった。当時最大のメディアである新聞各紙は、世論を熱狂へ導き、「戦うべきだ」という空気を作り出していく。

 この映画が描く山本五十六は、「聯合艦隊司令長官」という英雄像ではない。ひとりの父として、また部下を思いやる上司として、そして組織に生きる一人の軍人としての山本である。

役所広司が演じる山本は、終始どこか寂しげだ。

 誰よりもアメリカの底力を理解していたからこそ開戦回避に奔走するが、軍人である以上、最終的には国家の命令に従わざるを得ない。そして、皮肉なことに、自らが立案した真珠湾攻撃を指揮する立場になる。

その矛盾こそが、この映画の背骨になっている。


 酒席で部下と笑い合う姿や、故郷の母へ宛てた手紙が描かれるたびに、巨大な国家の歯車に飲み込まれていく一人の人間の無力さが際立つ。部下に「命を懸けて戦え」と命じながら、その命の重さに誰よりも苦しむ指揮官の姿は、単なる戦争映画を超えて、「組織の中で人はどうやって良心を守るのか」という問いを投げかけてくる。

 この映画で、とりわけ印象に残ったのが、劇中の新聞記者だった。彼らは「国民の知る権利」を掲げながら、実際には売れる記事や熱狂を呼ぶ論調を追い求める。中立を装いながら世論を一方向へ導き、「戦わぬ者は非国民」という空気を作っていく。

 冷静な判断が弱腰とされ、慎重論は愛国心の欠如と受け取られる。その閉塞感は、決して過去の話ではない。

 新聞やテレビが「社会の木鐸ぼくたく」だった時代は終わり、いまや情報発信者は無数にいる。だが、本質は変わっていない。SNSでは刺激的な言葉ほど拡散され、感情的な投稿ほど注目を集める。

 私たちは、その情報を本当に自分の頭で吟味しているのだろうか。クリック一つ、リポスト一つで、分断を広げ、誰かを追い詰める「空気」の共犯者になってはいないだろうか。

 この映画は、太平洋戦争を振り返る歴史映画にとどまらない。情報の濁流の中で生きる現代人に対し、「世論」に流されず、自ら考え続ける勇気を静かに問いかけている。


 映画を見終えた後、私はふと手元のスマートフォンに目を落とした。流れ続けるニュースやSNSの投稿を前に、自分は本当に、自分の頭で考えているのだろうか。画面の向こうでは、今日もまた誰かが「空気」をつくり、誰かがそれに流されている。

 役所広司が演じた山本五十六のあの寂しげな背中と機内での絶命の姿は、八十年以上の時を越えて、今を生きる私たちへの静かな警鐘のように映った。



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