猿田彦と五色人:古事記が語らない太古の記憶
日本神話に登場する神々の姿は、
多くの場合、抽象的だ。
その性格や役割は語られても、具体的な身体的特徴が詳細に描写されることは稀である。
しかし、
一体の神だけは、
その異様さが驚くほど正確に言い表されている。
猿田彦。
彼は、なぜこれほどまでに異形の姿で現れ、
私たちに何を問いかけているのだろうか。
その姿は、
「バカでかい身長、長い鼻、赤い体」
とされ、
身長は2m以上、鼻も2m弱に及んだという。
「目がぐわ光って、赤く光り、口からの光を出し、それが天を照らし、お尻もビカーって光って、
お尻が地を照らす」
とまで描写される。
この異様な存在は、
古事記の記述を超えた、
何か太古の記憶を宿しているのかもしれない。
古事記が語らない真実の器
天孫降臨の際、ニニギノミコトの前に立ちはだかった猿田彦は、その異形にもかかわらず、道案内を申し出る。
彼は「導きの神」として、
天から降りてきた一行を地上へと導いた。
役目を終えた猿田彦は、
故郷である伊勢の五十鈴川あたりへと帰還する。
この時、
アメノウズメはニニギノミコトの命により、
猿田彦と共に伊勢へ向かい、
「猿女」と名を改めたと伝えられる。
猿田彦の最期は、
漁の途中で貝に手を噛まれ、
そのまま海に落ちて亡くなったという、
あっけないものだった。
古事記では簡潔に記されるこの物語の背後には、
伊勢を本拠地とし、
天と地を照らしていたとされる猿田彦が、元々伊勢に住んでいた太陽神であったという見方もある。
もしそうであるならば、
これは天孫族の神々と、全く異なる信仰を持つ土着の最高神との対話であったことになる。
古事記の記述だけでは見えてこない、
その深層に迫る鍵が、
日本の伝統的な儀式に封印されているという。
それが「神楽」である。
神楽は、
何百年、
何千年も、
昔の光景を舞と歌の中に閉じ込め、
変わらない形で受け継いできた。
歴史書が時代とともに解釈を変える可能性をはらむのに対し、
神楽は、
「鮮度の高い状態で、
何千年前の情報が受け継がれてる可能性がある」と、
その情報の正確性が指摘される。
アメノウズメが天照大御神を誘い出すために踊ったとされる舞が日本最古の神楽とも言われるように、
神楽は単なる芸能ではなく、
太古の記憶を伝える器なのだ。
御嶽神楽に秘められた「五色人」の対話
古事記では簡略に済まされた猿田彦とアメノウズメの交渉のやりとりが、大分県の豊後大野市に伝わる「御嶽神楽」には詳細に残されている。
この神楽の演目では、
二人の間で激しい押し問答が繰り広げられる。
アメノウズメは、
猿田彦の異様な姿を見て、
その正体を厳しく問い詰める。
「髪の毛はもうなんか夜叉のようだしいね、
もうすごい奇人みたいな髪の毛してるし」
「その眉毛やばくない!?眉毛めちゃくちゃ太いというか。眉毛めちゃくちゃおいしげってる」
さらに、
「鼻、岩石じゃね?鬼の口じゃんw両目光りすぎw」
とまで形容し、
「あなたみたいな姿を見たことがないです、私は。何者ですか?私たちに協力をしたいって言ってるけど、私はあなたのことが信じられません」
と、不信感を露わにする。
アメノウズメは、
肌の色を基準に
「東の人なら肌は青いはず。
南の人ならその色は赤いはず。
西の人なら肌は白いはず。
北の人なら肌は黒いはず。
中つ国、我々と一緒なら黄色いはず」
と五色人の概念を述べた上で、
「あなたは何色でもない。あなたは五色人。五色の人って書いて五色人のどれとも言えない」
と断言するのだ。
この厳しい問いに対し、
猿田彦は自身の正体を明かし始める。
「天地がね、まだピターンってなって開いてもない。混沌としていた時に9億10万8000畳の中から現れた猿田彦とは私のことだ」
「9億10万8000畳」という、地球の規模をはるかに超える壮大な出自を語る猿田彦。
彼は、天孫降臨のために禊をして準備していたと、自らの使命をアメノウズメに伝える。
世界を創りし神、そして太古の会議
猿田彦が自身の壮大な正体を明かしても、
アメノウズメは、
「全く信用せえへん」と反論を続ける。
しかし、
猿田彦は譲らず、自らの功績を語り出す。
「はるか昔に例えば東。東には12の船を揃えてそこに青い絹を積んで。6万里ぐらい漕いでいってねと。そこに東の柱をワシは創ったんだ」
と。
同様に、
西には白い絹、
南には赤い絹、
北には黒い絹を積んだ船を送り出し、
それぞれの地域に「柱」、
つまり、文明の基礎を創ったと主張する。
そして、
「この黄色を起点にして私は世界中にいろんな人種の肌の色を派遣していって、そこにその基礎を創ったんだよ」と、
自身が「五色人の基礎を創った」と語るのだ。
この猿田彦の語る「五色人」の概念は、
熊本県にある「幣立神宮」の伝承と深く繋がる。
幣立神宮では5年に1回、
「五色人祭」という祭りが開催されている。
幣立神宮の言い伝えによると、
「はるか昔に太古の神々、
五色人の人種の長みたいな人たちがこの幣立の地に集まって、
人類がどうやったらこう助け合って生きていけるかとか、自然と調和できるかとか。
この世界ってどうやったら平和になるだろうってことを話し合ってた」
という。
1万5000年もの昔から存在するとされるこの神社は、古代に世界中から集まり、人類の平和を議論していたという壮大な記憶を今に伝えているのだ。
縄文の海を渡る「超元祖」の問い
猿田彦が語る「五色人の基礎創り」と、
幣立神宮の「五色人祭」の伝承。
これらの話は、
猿田彦が「元祖縄文人」、
いや「超元祖縄文人」であったという見方へと繋がっていく。
近年、縄文人に関する研究は、
驚くべき事実を明らかにしている。
縄文人は、
「かなり早い段階から往復できる船を使ってた海洋民族だったことが分かってる」
とされ、ものすごい昔から船を使い、
世界中を旅して特定の地域に子孫を残した痕跡が見つかっているという。
1万6500年前の痕跡、
さらには3万3000年前の船の存在。
これらの発見は、
縄文人が単なる狩猟採集民族ではなく、
高度な航海技術を持った海洋民族であった可能性を示唆する。
猿田彦が語る「五色人の基礎創り」は、
この縄文人の世界規模の活動と響き合う。
天地混沌の時代から現れ、世界中に文明の柱を立てたという猿田彦の壮大な物語は、現代の考古学や神話研究に新たな光を投げかける。
猿田彦の謎を深掘りすることは、
日本神話の解釈だけでなく、
人類の太古の歴史、
そして、
文明の起源そのものを、
根底から覆す可能性を秘めているのかもしれない。
身体の奥に響く問い
古事記の簡潔な記述に留まらず、
神楽や幣立神宮の伝承に、
深く刻まれた猿田彦の物語。
異形の姿で現れ、
壮大な出自を語り、
世界中の人種の基礎を創ったと主張するその神は、私たちの「常識」や「歴史」の枠組みを揺さぶる。
猿田彦が示すのは、
単なる神話上の存在ではない。
それは、
人類が共有する太古の記憶であり、
この世界の成り立ち、
そして、
私たち自身のルーツに、
深く関わる問いかけであるように思える。
頭で理解しようとすればするほど、
その輪郭は遠ざかる。
しかし、
その語りが身体の奥に響くとき、
私たちは、
まだ知られざる歴史の入口に立っているのかもしれない。
猿田彦の問いは、
今も静かに、
私たちの内側に響き続けている。
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたお志は、調べものと現地に赴く路銀にあてます。