『結婚って、いいものかもしれない』と思えた理由
子どもの頃、食器用洗剤のCMで、おじいちゃんとおばあちゃんが、手をつないで歩いている姿をテレビで見た。
その姿が、可愛くて、とても素敵で
「歳を重ねても、こんなふうに手をつないで歩ける夫婦になれたらいいなぁ」
そんなことをぼんやり思っていた。
しかし、高校時代の私は、「結婚なんて絶対しない!」と強く思っていた。
なんで? と聞かれたら、
答えは単純。
両親が、とにかく仲が悪かったから。
小学校から帰って玄関を開けたら、
父は両手にテニスラケット、母は両手に包丁を持っていたこともある。
(そうっと玄関の扉を閉めて逃げた)
殴る、蹴る、暴れる。
そんな目に見える暴力だけじゃない。
無視されること。
心ない言葉を浴びせられること。
家には、いつも心も体も疲れ果てる空気が流れていた。
だからといって、両親が嫌いとか「かわいそうな私」と思ったことは、あまりない。
ただ、普通の家庭で育った人とは、少し感覚が違うかもしれない。
そんな自覚はある。
とにかく、私は、なんか激しいバイオレンスな家庭で育った。
だから、「結婚=幸せ」という未来は想像できなかった。
同じような家庭で育った人と傷をなめ合いたいとも思わなかったし、
自分の痛みは自分だけのものだし。
何かに救いを求めることも、なんだか格好悪い気がしていた。
でも、妄想だけはよくしていた。
もし私が大好きな人と暮らしたら。
毎日「大好き」って伝えたい。
何があっても話し合える夫婦になりたい。
些細なことでも笑いあって「うふふ」って暮らしたい。
そんなことばかり考えていた。
「まぁ、結婚はしないけどね〜」
そう思っていたのに。
恋人ができ、結婚を意識するような出来事が増えてくると、
「あれ? 私、結婚したいのかな?」
と、急に自分がわからなくなった。
そして、ある日、急に結婚した。
夫になった人とは、今まで付き合っていた人よりも短い期間だったのに、バビューンと結婚した。
結婚生活が始まると、喧嘩ばかりの日々になった。
好きだから、分かりあうためについつい熱の入った口調になることもしばしばあった。
何度もぶつかりあって、そのたびに話しあって、納得したり、しなかったりして。
そんなことを繰り返しながら、気がつけば夫と出会ってから30年近く経った。
今も夫婦として仲良く暮らしている。
私は優しい家庭で育っていない。
夫は父親が子どもの頃に亡くなっている。
楽しい家庭とか、あたたかい家族や、仲良しの夫婦が身近にいなかった。
だからこそ、お互いに結婚とか家族について、本当に呆れるくらい話し合った。
夫と一緒なら、どんな困難なことも、笑い話にして乗り越えていける。
そう思った。
まぁ、なんとかなるし、なんとかするよって。
私が、夫を幸せにするよ。って。
今まで、沢山しんどくて辛いことを一緒に過ごし、笑いあってきた。
性格は正反対の私たち夫婦。
だからこそ、お互いを尊敬し続けているのかもしれない。
先日、りぃりさんのエッセイを読んだ。
そこに描かれていた高校生のりぃりさんが思うことは、私の高校時代とは、まったく違っていて、とても新鮮だった。
それ以上に驚いたのは、りぃりさんが、自分の両親である私たち夫婦のことを、とても素敵に書いてくれていたこと。
本当に、有り難くてうれしかった。
りぃりさんの親という立場をいったん離れて、感じたことを書いてみようと思う。
このエッセイを拝読し、最初に感じたのは「愛情は言葉と行動で育てていくものなのだ」ということだ。
りぃりさんのご両親は、「大好きだよ」と言葉で伝え合い、ハグをし、毎日の出来事を話し合い、休日も一緒に過ごしている。
その様子は特別な出来事ではなく、当り前のこととして描かれているからこそ、二人が長い年月をかけて信頼関係を築いてきたことが伝わってきた。
愛情は心の中で思っているだけではなく、言葉や行動にして初めて相手に届くのだと改めて感じた。
特に印象に残ったのは、お母さんが「たくさん話し合ってきたからかな」と答える場面。夫婦は育ってきた環境も価値観も違う二人だからこそ、お互いを理解するために話し合うことが欠かせないという言葉には、大きな説得力があった。仲の良い夫婦とは、もともと相性が良い人たちではなく、違いを受け入れながら努力を重ねてきた人たちなのだと気づかされた。
また、お母さんが病気になった後も、お父さんが家事を手伝い、マッサージをしながら支え続ける姿には深く心を打たれた。「病めるときも、健やかなるときも」という結婚の誓いを、実際の生活の中で誠実に実践している姿は、とても尊く感じた。困難な状況でも互いを思いやり続けることこそ、本当の愛なのだと感じた。
文章全体を通して、りいりさんはご両親を理想の夫婦として見つめながらも、それをただ自慢しているわけではない。「愛しているからこそ努力を続けてきた」ということを、自分自身の言葉で理解しようとしている姿勢が印象的だった。
そのため読んでいると、温かい気持ちになるだけでなく、「自分なら大切な人とどのような関係を築いていきたいだろう」と自然に考えさせられた。
最後の「私の結婚相手になる人がこの高いハードルを飛び越えて、愛を誓ってくれることを」という締めくくりには、ユーモアがありながらも、ご両親への深い尊敬と、自分もそんな夫婦になりたいという素直な願いが込められている。
愛は偶然続くものではなく、日々の思いやりや対話、そして努力によって育まれていくものだということを教えてくれる、とても温かく心に残る文章だった。
(客観的に書くのが恥ずかしいけれど、遠回しに自分を褒めてないか? いいのか? まっ、いっか。いや、本当に素敵に書いてくださって! ありがとうでした)
人は、自分に似た人と出会い、惹かれ合うと言われている。
だから、りぃりさんがこれから出会い、お付き合いする人も、きっとどこか似た空気をまとった人なんじゃないかな、と勝手に想像している。
だから私は、この先りぃりさんが、自分の中にある「結婚相手のハードル」を軽々と飛び越えてしまうような人と出会う日を、心から楽しみにしている。
親が幸せに暮らしている姿は、子どもにとって、何よりの贈り物なのかもしれない。
そして、それは夫婦にとっても、長い年月をかけて子どもへ贈ることのできる、いちばん尊い愛のかたちなのかもしれない。
そんなことを、18歳の娘、りぃりさんのエッセイを読みながら、しみじみ感じた。
これからも夫と手を取り合い、笑ったり、ときにはぶつかったりしながら、一緒に歳を重ねていきたい。
その姿が、いつか娘にとって「結婚って、いいものかもしれない」と思ってもらえたら、それ以上にうれしいことはない。
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最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
心から感謝の気持ちを込めて。
横山小寿々
