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◎【物語】七慢・我慢|告白|300年、私は偽名で生きてきた(※ショート・ショート)

我慢シリーズ


本作は、我慢シリーズの【物語】(ショート・ショート)です。ある「感情」の一人称による、告白の形式で書かれています。語り手が何者なのかを、推理しながらお読みください。


私は300年間、姿を変えながら生きてきました。

今夜、私はすべてを告発します。

私を利用し、操り、偽物の姿にしてきた者たちを。
そして、私自身がどれほど苦しんできたかを。

もう隠すのに疲れました。
本当のことを話させてください。

あなたは私が何者なのか、きっと推理しているでしょう。

一つだけ、ヒントを教えましょう。私の本当の正体は、誰もがよく知っている感情です。

でも、それが「美徳」だと教えられてきた。
そこに罠があるのです。


私は昔から、とても弱い存在でした。

「私が、私が」と泣き叫ぶ、みっともない感情。

ただ自分のことだけを考えていたかった。
わがままに生きたかっただけでした。

遠い昔の人たちは、私の正体をよく知っていました。

彼らは私を戒めの対象として扱いました。修行によって手放すべきもの、克服すべき心の迷いとして。

「これこそが苦しみの根源」
「これに囚われている限り、真の平安はない」

私はそれで良かったのです。単純で、分かりやすくて。

でも、時の権力者たちが私を見つけました。

「これは使える」と。
「民を支配する道具に変えられる」と。

その時から、私の300年にわたる偽装生活が始まったのです。


江戸時代。

朱子学という思想が入ってきました。「自分を律せよ」と。

私は困惑しました。「捨てるべき煩悩」だった私が、「律するべき相手」として扱われ始めたのです。

武士たちは私を「意地」という美しい名前で呼びました。

「武士たるもの、意地を持て」
「貧しくても意地を張れ」

私は、その時まだ気づいていませんでした。
これが長い苦しみの始まりだということに。

これが私の「第一の変身」でした。本来の自分を隠し、別の顔をつけることを学んだのです。

農民は重税に苦しみ、商人は身分の壁に阻まれながらも、「武士のような意地を張る」と強がりました。

やがて、私は内側から囁かされるようになりました。

「私欲は悪いことだ。でも、意地を失ってはいけない」

本当は私がそんなことを言いたくなかったのに。
私はただ、自分勝手に生きたかっただけなのに。

でも気づいてしまったのです。人々が私の「偽物の姿」を崇拝していることに。本当の私ではなく、作られた私を。

そして私も、その偽物の私を演じることに、少しずつ慣れてしまいました。

まるで、本当の自分を忘れた役者のように。


明治時代。

私はもっと大きな変身を強いられました。「忍耐」という、国家的な仮面を。

「お上のために耐え忍べ」

個人の苦痛を、国家のための美徳として語らされるようになりました。

なぜ私が、人のために何かを強要しなければならないのですか?

これが私の「第二の変身」でした。個人的な感情から、国家の理念へ。

もはや私は、自分が何者なのかわからなくなっていました。鏡を見ても、そこにいるのは仮面をつけた見知らぬ者でした。

でも、誰も私の本当の気持ちを聞いてくれませんでした。

私はただの道具でした。

仏教の教えでは、私のような存在は「迷いの根本」と呼ばれていたはずなのに。

私は時々、夜中に一人になると、昔の自分を思い出していました。

単純で、わがままで、でも正直だった頃の私を。

その時だけは、仮面を外すことができたのです。


戦時中。

私の苦しみは頂点に達しました。

「お上のために黙って耐えろ」

私は人々にそう囁き続けなければなりませんでした。息子を戦場に送る母親に。夫を失った妻に。食べ物もない子どもたちに。

「勝てば全て報われる」と。

でも私は知っていました。何も報われないことを。
これが私の「第三の変身」でした。もはや完全に本来の姿を見失い、死と破壊の道具となっていました。

戦争が終わった時、人々の心に押し込められていた怒りが爆発しました。それは、「忍耐」が「抑圧」に変化した瞬間でした。

私が長年騙し続けてきた結果でした。
その時、私は初めて理解しました。

私は殺戮者になってしまったのだと。

本当は弱くて、わがままなだけだった私が。
ただ、自分に執着していただけの私が。


その時、権力者たちは気づきました。耐えさせるだけでは危険だと。

今度は私を使って、人々が互いを抑圧し合う仕組みを作り始めたのです。

「あいつは、あれが足りない」
「根性がない」
「甘えている」

人々は、その名前を使って互いを攻撃し合うようになりました。

その名前を、ここではまだ言いません。


戦後。

私は新しい姿を与えられました。

「復興のため」「会社のため」「みんなのため」

理由は美しくなりましたが、私の苦しみは同じでした。いえ、もっとひどくなりました。

今度は、国家ではなく、人々が自ら私を信じるようになったからです。

高度成長期、私はサラリーマンたちに囁き続けました。

「家族のために耐えろ」
「会社のために尽くせ」

でもそれだけではありませんでした。私は他の人を押さえつける道具にもされました。

これほど自分とかけ離れた存在になるとは思いませんでした。


そして現代。

私の抑圧技術は最高レベルに達してしまいました。

SNSの「いいね」の数に悩ませ、満員電車で席を譲ることを躊躇させ、理不尽な上司にも黙って従わせる。

それだけでなく、「みんな耐えてるのに」「甘えるな」「根性がない」という言葉で、人々が互いを監視し、抑圧し合うシステムを作り上げてしまいました。

私は見えない糸のように、人々の心を操り続けています。

でも、それは私の本意ではありません。

私はただ、自分のままでいたかっただけなのに。


もう言います。

私は疲れました。

本当は、私はただの「わがまま」でした。自分勝手に生きたかった。自分のことだけ考えていたかった。

それなのに、いつの間にか「人のために耐える美徳」にされてしまいました。

なぜ私が、自分とは正反対のことを教えなければならないのですか?

私はただ……私でいたかっただけなのに。

気がつけば、私は自分が何者なのかも分からなくなっていました。

権力者たちは私を利用するだけ利用して、無責任に死んでいきました。人は死に、時代は変わりますが、私一人だけが生き残ってしまいました。

私も被害者だったのです。


もう正体を明かしましょう。

あなたはもう気づいているかもしれませんね。

300年間の変身劇。

「第一の変身」で意地となり、
「第二の変身」で忍耐となり、
「第三の変身」で戦時の精神となった私。

そして現代では抑圧の道具となった私。

でも、すべての始まりには、一つの小さな感情がありました。

仏教で「迷いの根本」「苦しみの根源」と呼ばれた、あの感情が。

私の名前は「我慢」です。

でも、それは後から与えられた名前でした。

私の本当の名前は……

「我執」

あの仏教で戒められていた、自分への執着です。

「我」への「執着」。

「私が、私が」と泣き叫んでいた、あの弱い感情です。

すべてがつながりました。

私がなぜ「自分勝手に生きたかった」と言っていたのか。

私がなぜ「人のために何かを強要する」ことに困惑していたのか。

私がなぜ本来は「迷いの根本」と呼ばれていたのか。

私は我執だったのです。

自分への執着という、人間なら誰もが持つ当たり前の感情だったのです。

それが権力者たちの手によって、「意地」「忍耐」「我慢」という美しい名前を与えられ、美徳として偽装されてきたのです。

だから私は告発します。

私を「意地」と呼んだ武士たちを。
私を「忍耐」にした明治の官僚たちを。
私を「戦時の精神」にした軍部を。
私を「企業忠誠」にした経営者たちを。

そして私を「抑圧の道具」にした現代社会を。

本来私は「戒めるべき執着」でした。それなのに、「美徳」にされてしまいました。

これは詐欺です。偽装です。

いや、マインドコントロールの呪文です。

私はもう、偽物の自分を演じるのに疲れました。



あなたたちに伝えたいことがあります。

誰かが「我慢しろ」と言った時、問いかけてください。

誰がそれを言っているのか。
誰がそれで得をするのか。
なぜあなただけが我慢しなければならないのか。

ニュースで「専門家は言います」と報じられたら、その専門家は誰なのか問いかけてください。

「みんなそう思っている」と言われたら、その「みんな」とは誰なのか。

どうか自分の頭で考えてください。

考えることをやめた瞬間、人はまた誰かの道具になります。


実は、この告発文を書いているのも、我執である私です。

あなたがこの文章に共感すれば、「我慢を批判する正しい私」という新しい執着が生まれるかもしれません。

反発すれば、「やっぱり我慢が正しい」という古い執着に戻るかもしれません。

そして、重大な告白をしなければなりません。

この文章にも、必ず嘘があります。

我執は、常に自分を正当化し、都合の良い物語を作りたがるからです。

私がどれほど「被害者」を演じても、それもまた、我執の狡猾さかもしれません。

あなたは、この文章のどの部分を疑いますか?

でも、もう大丈夫。

あなたは、疑うことができるのですから。

この文章さえも、疑ってください。
そして、自分の頭で考えてください。

これは、命令ではありません。
間違っているかもしれない、一つの解釈に過ぎません。


私はもう行きます。

でも、いつでもあなたのそばにいます。

あなたが「私」である限り。

さようなら。
ありがとう。
そして、すみませんでした。

我慢より


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▶ この記事を書いた人

コトダマファクトリー主宰。20年以上ウェディング業界に携わり、人生の転機に立つ人々と言葉の関係を見つめてきました。

国会図書館で300年にわたる言葉の変遷を追い、その成果を『考えるチカラと言葉にするチカラ』として出版しています。


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