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【エッセイ】『客席の灯り――嘉穂劇場、四枚の切符』

劇場に宿る「魔物」と、消えなかった四枚の切符

“劇場には魔物が宿る”

この感覚は、舞台に一度でも立ったことがある人ならきっと理解していただけるはずだ。たとえそれが幼い頃の発表会のような、ささやかな催しであったとしても。誰もいない客席の暗がり、板張りの床から立ち上る独特の匂い、そして幕が上がる直前の静寂の中には、間違いなく人知を超えた「何か」が潜んでいる。

私は初めての土地に降り立つと、必ずと言っていいほどその街の劇場に足を運ぶ。サンクトペテルブルクのマリンスキー劇場、モスクワのボリショイ劇場、パリのコメディ・フランセーズやオペラ座。ミラノ、ローマ、アムステルダム、ロンドン……。

もちろん日本の劇場でも、古い木造の芝居小屋があると聞けば、できる限り訪ねるようにしている。古い劇場には一体何が存在するのか。そこには虚構の物語だけでなく、その舞台に立ってきた人々のリアルな緊張感と、生々しく削り出された究極の感情が染み込んでいる。私たちはその霊性を受け取ることで、時空を超えた壮大な人類の歴史を体感するのだ。


福岡県飯塚市に佇む実在の木造芝居小屋「嘉穂劇場」もまた、そうした濃密な記憶を抱え続けてきた場所である。かつて炭鉱の発展とともに栄え、煤で顔を黒くした男たちやその家族の歓声を受け止め、やがて時代の波に呑まれながらも一棟だけ残った歴史の証人。

この劇場を舞台に書き上げたのが、中編小説『客席の灯り――嘉穂劇場、四枚の切符』だ。

物語は、再開準備中の嘉穂劇場に届いた「所有者不明の木箱」から始まる。箱の中に収められていたのは、人間のものではない白い木の指、古びた会計帳簿、そして白黒の写真。父の痕跡を追う遺品整理会社員の黒木玲は、劇場の過去を掘り起こす中で、かつて人々の人生を強引に縫い合わせて作られようとした一つの芝居と、四十六年前の「裏切り」の真相に触れていく。

他者の人生を物語として編集することの身勝手さと、それでも己の過去を守るために沈黙を選んだ人間たちの選択。劇場という空間は、華やかな光だけでなく、言葉にならなかった人々の傷や祈りをもその木目に吸い込んで生きている。

劇場の過去をあばき立てて安易な感動の筋書きへと都合よく書き換えるのではなく、解けない解釈は分からぬままに残し、沈黙する場所をそっと残すこと。それがこの物語で描きたかった「劇場への、そして人の人生への誠実さ」であった。

劇場の客席に灯りがともるとき、そこにはかつて足を踏み入れられなかった人々の想いと、これからその空間を訪れる人々の未来が交錯する。

劇場を愛するすべての人へ。

客席の暗がりに腰を下ろすような気持ちで、この物語を開いていただけたら幸いです。


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