間違った場所で最善を尽くすという矛盾
自分と同じように組織を見ている人がいるのだなと思う反面、自分とは違う結論に達することに驚くことがある。
「この会社は間違っている」
「上司の能力にも懐疑的だ」
「プロダクトにも将来性を感じない」
「組織文化も自分には合わない」
この状態になったら、自分としての答えは出ている。
「転職します」だ。
ところが、この答えではないものを導き出す人がいる。
「でも、この環境で最善を尽くします」
急に悟りでも開いたようだ。
さっきまで会社の方向性を疑い、上司の判断を疑い、プロダクトの将来性を疑い、組織文化まで否定していた人が、最後だけやけに達観する。
いや、別に悪いことではない。
目の前の仕事から逃げるよりはマシかもしれない。
実際、自分もそういう人を見て、責任感があるなとか、真面目だなと思うこともある。
ただ、どうしても引っかかる。
その「最善」は、本当に最善なのだろうか。
仕事の進め方を工夫する。
周囲とのコミュニケーションを改善する。
成果が出るよう努力する。
これらは確かに最善かもしれない。
しかし、一番大きな意思決定だけ最初からなぜか議論の外に置かれている。
「その会社にいること自体は、本当に最善なのか」だ。
ここだけは、なぜか前提として固定されている。
仕事のやり方については徹底的に改善しようとする人でも、働く場所については急に現状維持派になることがある。
プロダクトも疑う。
経営も疑う。
組織も疑う。
市場も疑う。
でも、なぜか自分がそこにいることだけは疑わない。
自分から見ると、それは最善ではなく、そこに居続けるという条件付きでの妥協に見える。
その環境の中で最善を尽くしているのではなく、その環境に居続ける理由を後から無理矢理に作っているだけではないかと。
もちろん事情もあるだろう。
転職活動は面倒だ。
収入の不安もある。
人間関係もある。
だから残ること自体は理解できる。
ただ、その場合は
「この環境で最善を尽くしています」
ではなく、
「様々な事情があるので、仕方なくここに残っています」
の方が正確な気がする。
さらに、間違った場所での最善は、そもそも最善ではない可能性がある。
何もかもおかしいと感じている中で自分だけ最善を尽くすことは難しい。
おかしな環境の中では、正しさが通るとも限らない。
異常な環境の中で最善を尽くしているつもりでも、採点基準そのものがおかしくなっているかもしれない。
もっと言うと、本人の認知や能力さえ歪んでいる可能性すらある。
だから、「この環境で最善を尽くします」という言葉を聞くたびに、前向きさより先に、少し不思議な気持ちになる。
異常だと認識している場所に留まり、その中で最善を尽くそうとする。
その時点で、もう最善から遠く離れている気がする。
最善とは、目の前の仕事を頑張ることではない。
どこで頑張るかを選ぶことまで含めて最善なはずだ。
環境を変えるという選択肢を外した時点で、
それは最善ではなく「残る」という結論に合わせて最善を都合よく再定義しているだけではないだろうか。
だから、自分は「どんな環境でも最善を尽くします」という言葉よりも、
「最善を尽くす場所を変えます」
のほうが、よほど冷静で、現実を直視しているように思う。
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