その分析で、分析完了ってことになってんの?
「まとめておいてください」
「レポート作っておきました」
「今週の数値更新しておきました」
「シートも最新化してあります」
毎日毎日、どうやら分析のために、みんな忙しそうだ。
会議が始まる。
画面共有される。
綺麗に整えられた数字とグラフが並ぶ。
そして、記載された内容を丁寧に読み上げていく。
なるほど、数値の内容はわかった。
ありがとう、まとめてくれて。
でも正直、ここまではツールの管理画面を見ればわかる。
なんなら、そのシートやドキュメントがなくても見れる。
いや、そうだ一応はやっぱ言っておこう。
本当にありがとう。
綺麗に整理されている、見やすい、丁寧だ。
でだ。
分析っていうのは、ここからが始まりなんじゃないの?
結果の読み上げと比較は、分析の手前なだけ
簡単に言えば、多くの現場で分析と呼ばれているものは、ツールに蓄積されている週次や月次の数値を、シートやドキュメントへ移動した作業のことを指しているに過ぎない。
GAを開く。
広告管理画面を見る。
BIツールを確認する。
そこにある数字を抜き出し、比較し、整え、資料へ貼り付ける。
そして会議で、その内容を丁寧に読み上げる。
もちろん必要な作業だ。
現状を把握しなければ分析は始まらない。
だが、多くの組織ではそこまでの作業を分析として扱う。
前週比、前月比、前年比。
CTR、CVR、CPA。
「上がった」「下がった」を確認する。
そして、その時点でなぜか分析したことになっている。
はっきり言ってしまえば、管理画面に存在している数字を別の場所へ運び、みんなで再確認しているだけである。
本来、分析とはそこから始まるものだ。
なぜそうなったのか。
どこに異常があるのか。
本当に見るべき数字はそこなのか。
どの施策が影響したのか。
構造として何が起きているのか。
次に何を変えるべきなのか。
そこまで掘らなければ、データを何となく整理してみただけである。
分析に入る前に、綺麗なレポートと「共有ありがとうございました」で会議が終わる。
分析の入口部分だけで、分析業務が完結しているケースはかなり多い。
分析する気がないか、分析する能力がない
数値を出すこと自体は、もうそこまで難しい時代ではない。
GAを開けば見れる。
広告管理画面にも出ている。
BIツールもある。
ダッシュボードもある。
AIだって使える。
前週比も、前年比も、自動で出せる。
グラフ化だって一瞬だ。
つまり、「数字を確認する」という行為そのものは、どんどん簡単になっている。
でも、分析というのはそこから先の話だ。
なぜそうなったのか。
どこに違和感があるのか。
何が原因なのか。
本当にその解釈で合っているのか。
そこを掘るには、まず考えようとする意思が必要になる。
そして残酷なことに、考えようとしても能力がなければできない。
数字を見ても、異常がわからない。
比較しても、構造が見えない。
因果を追えない。
仮説を立てられない。
だから結局は、
「たまたまですかね」
「タイミングかもしれないですね」
「一旦来週まで様子見で」
こういう便利な言葉で終わる。
本当はいつもと違う何かが起きているかもしれない。
でも、それを解明したいわけではない。
ただ、会議を無事に終えられる説明が欲しいだけだ。
特に、ずっと同じように回している施策ほどこの傾向は強い。
改善もしていない。
検証もしていない。
構造も見直していない。
ただ惰性で回し続ける。
だから分析しても、大した発見がない。
いや、正確に言えば、発見できる状態をこれまで作ってこなかった。
適切に分析してこなかった結果、
ただ同じことを回し続けるだけの施策群が残る。
そして、その施策群をまた毎週眺めている。
そう考えると、別に分析する必要がないとも言える。
何も変える気がないなら、深く分析する意味もない。
だから、分析していないままでも何となく続いているのだろう。
その分析は、組織の認知を破壊していく
分析という認識のレベルがこの程度なのだから、当然その上にいる人間たちの認識も似たようなものになる。
毎週、毎月、綺麗に整理されたレポートが届く。
それっぽい数字が並び、それっぽい会議が行われる。
そして意思決定者たちは、その数字を眺めながら難しい顔をする。
だが、やっていることを冷静に見れば、「増えた」「減った」を漠然と確認しているだけである。
なぜそう言えるのか。
本当に分析できている組織なら、「それ分析になってないよね」という話がどこかで起きるからだ。
でも実際には、各所から分析っぽい報告が延々と上がり続け、それで成立している。
つまり、「数字を並べて比較したら分析」という認識が、組織全体で共有されてしまっているのである。
これはかなり危険だ。
なぜなら、意思決定の位置にいる人間たちが、そのレベルで分析しているつもりになっているということだからだ。
すると当然、実態と認識がどんどんズレていく。
何をしたから悪化したのか。
何が改善要因だったのか。
どの施策に意味があるのか。
どのコストが無駄なのか。
どの投資に再現性があるのか。
本当のボトルネックはどこなのか。
それらをまともに把握できない。
だが本人たちは、
毎週レポートを見ているので理解している気にはなっている。
これが厄介だ。
何も見えていない組織より、
「見えているつもりの組織」の方が修正が効かない。
数字を見ている。
会議もしている。
資料も大量にある。
だから、自分たちは分析できていると思い込んでしまう。
結果、意思決定だけがどんどんズレていく。
そして最後には、「何をしたら改善するのかわからない」「なぜ悪化したのかわからない」「でも毎週ちゃんと分析している」という、かなりホラーな状態が完成する。
分析不足っていうより、分析の放棄
別に「もっと気合いを入れて分析しろ」と言いたいわけではない。
問題なのは、多くの組織で分析が途中で止まる構造になっていることだ。
数字は見ている。
レポートもある。
比較もしている。
会議もしている。
だが、そこから先へ進まない。
なぜか。
ひとつは単純に能力不足だ。
数字を見ても異常がわからない。
比較しても原因を追えない。
因果を整理できない。
仮説を立てられない。
だから、「増えました」「減りました」は言えても、その先が続かない。
しかし、もっと厄介なのは心理的な部分だ。
深く分析するということは、都合の悪い現実に触れる可能性がある。
施策が弱い。
商品に魅力がない。
ターゲットがズレている。
運用が雑。
意思決定が遅い。
そもそも戦略が破綻している。
そこまで辿り着いてしまうかもしれない。
しかも、それを認識した瞬間、「じゃあどうするのか」という責任まで発生する。
だから、多くの現場では無意識に分析が止まる。
「たまたまですかね」
「季節要因かもしれません」
「様子見でいきましょう」
こんな説明が何となくできそうな言葉だけが並び、本当に知るべきことには触れない。
本当は分析したいわけではない。
大きな問題が存在しないことにしたいだけなのだ。
そして、その状態のまま毎週レポートを作り続ける。
だが、何も解像度は上がっていない。
分析不足なのではない。
数字を見た先へ進むことを、自らやめている。
それは分析不足というより、もう分析の放棄である。
いいなと思ったら応援しよう!
もらえることってあるのだろうか、
いただけるなら遠慮なく使わせていただきます!