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否定や反論がないからって、正解というわけじゃない

否定や反論をすると空気を悪くする人みたいな扱いをされやすい。
疑問を投げかけることでさえ、嫌な顔をされる。

心理的安全性を乱すな、
もっと相手を尊重しろ、
まずは受け止めろ、

みたいな話になる。
というか、したがる。

その結果どうなるか。

誰も深く突っ込まない。
誰も壊さない。
誰も本気でぶつからない。

会議には「なるほどですね」が並び、
Slackには肯定的なスタンプだけが増え、
何も否定されないまま結論として通過していく。

仲良く、ほんわかしていて、良さげな感じ。
少なくとも、社内の一部は。

ただ、その平和な意思決定を市場に出すと、普通に否定される。
もっと言えば、無関心という形で処刑される。

でも不思議なことに、社内では誰も反対しなかったので、

「なんでだろうね」と言い始める。

いや、なんでだろうねじゃない。

否定や反論がないことを、

「良い状態」や「正しいことの証明」だと、勘違いしているだけだ。


否定や反論がない状態はプロセスを歪める

否定や反論がない状態は、一見するとスムーズだ。

誰も揉めない。
空気も悪くならない。
会議も早く終わる。

ただ実際には、それは単に「検証工程を飛ばしているだけ」のことも多い。

本来、意思決定というのは、

  • その解釈で本当に合っているのか

  • 他の可能性はないのか

  • 願望を現実として扱っていないか

  • リスクを都合よく無視していないか

みたいなものを疑い、削り、壊しながら精度を上げていく作業だ。

つまり否定や反論は、空気を悪くするノイズではなく、意思決定の質を上げるためのプロセスでもある。

否定や反論がないからといって、「正しいから通った」のではない。
ただ、「否定されなかったから通った」ものが増えていく。

しかも厄介なのは、否定や反論がないからといって、全員が素晴らしいと思っているわけでもないことだ。

実際には、

  • 誰かが一方的に話している

  • すでに決定事項のように扱われている

  • 反論しても仕方がない空気になっている

  • 面倒だから黙っている

  • どうせ聞かれないと思われている

だけのことも多い。

つまり、「異論がない」のではない。
「異論を出す意味がない」と思われているだけかもしれない。

それにも関わらず、「誰も反対しなかったので合意形成できました」
みたいな扱いになる。

しかしそれは、合意ではなく、ただの沈黙である。
もしくは、意思決定のプロセスがすでに破綻しているサインかもしれない。

否定や反論がない状態は認知を歪める

否定や反論がない状態が危険なのは、単に議論の質が落ちるからではない。もっと厄介なのは、認知そのものを歪め始めることだ。

人は、自分の考えに反論や疑問が返ってこないと、
それを「正しい」と錯覚し始めてしまう。

  • 誰も反対しなかった

  • 会議を通過した

  • 周囲も頷いていた

  • Slackでも特に異論はなかった

こういうものが積み重なると、「検証された」ではなく、「承認された」
だけなのに、自信だけが強くなっていく。

もっといえば、承認されたかも怪しい。
誰も聞いていなかった、ということすらありえる。

それでも、人は通過した事実を「正しさの証明」として扱い始める。

否定や反論がない状態が続くと、穴だらけの決定や、筋の悪い意思決定ですら、良い判断として昇華され始める。

つまり、現実を見る前の段階で、すでに認知が歪み始めている。

そして失敗したあとも、現実を見るよりも、「自分たちは正しい」を守り始めてしまう。

  • 都合の悪い数字を軽視する

  • ユーザーの反応を矮小化する

  • 批判を理解不足として処理する

  • 失敗を外部要因に変換する

みたいに、さらに現実を歪め始めてしまう。

否定や反論が起きていないわけではない

誰も否定や反論をしていないのが悪いのではないか、と思うかもしれない。
しかし実際には、否定や反論そのものは普通に起きていることも多い。

ただ、それが機能していない。

例えば、

  • これでいく空気になってから共有される

  • 決定事項として話される

  • スケジュールありきで進んでいる

  • 反論しても変わらない前提になっている

みたいな状態だ。

つまり、議論や検討の場に見えて、
実態は「決まったことを通す場」になっている。

その状態で否定や反論が出ても、「一応意見は聞きました」で終わる。

あるいはもっと酷い場合、適切な否定や反論に対して、

  • 気合い

  • 根性

  • 覚悟

  • 抽象論

  • 立場

  • 圧力

みたいな力業の否定や反論で押し返される。
結果として起きるのは、否定や反論が存在しないことではない。

適切な否定や反論を受け入れ、意思決定に反映する気がない、ということだ。

だから現実とのズレが修正されない。

そして最後は、「誰が悪かったことにしようか」という話になる。

否定や反論は知性と理性がないと機能しない

別に「もっと否定し合え」と言いたいわけではない。
実際、否定や反論というのはかなり難しい。

否定や反論をするのも、それを受け止めるにもまず知性がいる。

  • 何が問題なのか

  • なぜ違和感があるのか

  • どこにリスクがあるのか

  • 感情ではなく、何を根拠にしているのか

を整理しなければ、ただの好き嫌いや攻撃になる。

そして、理性も必要だ。

否定や反論を、人格否定や敵意として処理しないことも求められる。

また、する側も指摘や論破をしたいということではなく、あくまで良くするためという考えでする必要があるだろう。

しかし実際には、これが難しい。

感情もある。
立場もある。
プライドもある。
空気もある。

だから、否定や反論を避ける空気が作られていく。

ただ、それは「しない」のではなく、本当は「できない」のかもしれない。

最終的に意思決定者が責任を持ち、失敗も含めて引き受けるなら、それでも成立する組織はある。

だが現実には、意思決定の責任を曖昧にしたまま、

  • 否定や反論は機能しない

  • 認知は歪む

  • 正解だと思い込む

  • 現実に壊される

ということが繰り返される。

その結果、誰にも否定されなかった意思決定だけが残る。

否定や反論は、結果として深く返ってくるだけになるかもしれない。

しかし、それが本当の答えだ。

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