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費用対効果が死んでいる施策を、なぜ続けられるのか?

マーケティング施策の話をするとき、前提はそこまで複雑じゃない。
使ったコストに対して、どれだけのリターンがあったのか。
極端に言えば、それだけの話だ。

だから、費用対効果が成立していないのであれば、
それはもうマーケティングとは呼べない。

少なくとも、「成果を出すための活動」ではなくなっている。

にもかかわらず、現実には明らかに費用対効果が合っていない施策が、
当たり前のように続いている場合もある。

一度や二度の話じゃない。
誰がどう見ても成立していない状態が、そのまま維持されている。

なぜ、そんなことが許されるのか。
そして、なぜそれは「続けられてしまう」のか。


考える余地なく成立していない施策も続く

施策の評価が難しいから続くのではないかと思うかもしれない。

いや、細かく指標を分解しなくても、
ダッシュボードを精緻に分析しなくても、
ざっくりとした数字を並べた時点で分かることがある。

例えば、月間で1,000万円以上の広告費を使っている。
それに対して、全社での純増はせいぜい100万円前後。
しかも、その伸びがすべて広告由来ですらない。
このような状態を1年以上続けている会社がある。

ここで一度立ち止まって考えられないのだろうか。
それは、何のためにやっているのか。

CPAだのLTVだの、そんな話を持ち出すまでもない。
使っている金と、増えている金。
この2つを並べた時点で、もう答えは出ている。

念のため、前提を揃えて例の費用対効果を見てみよう。
使う指標は基本的なROIとROAS。

では、この構造を今回の数字に当てはめてみよう。

仮に広告経由の成果をすべてこの100万円の純増に含めたとしても、
1,000万円の広告費に対して100万円のリターンしかない。

ROIで見れば0.1。
※ROI(投資利益率)は「利益 ÷ 投資」で算出され、1でトントン。
つまり1,000万円を投下するなら、
最低でも1,000万円分の利益が必要になる。
それ未満は投資回収できていない状態だ。

ROASで見ても0.1(=10%)。
※ROAS(広告費用対効果)は「売上 ÷ 広告費」で算出される。
一般的には業種差はあるが、少なくとも200〜300%(2〜3倍)以上が成立ラインとされることが多い。
つまり、1,000万円を投下するなら、
最低でも2,000万〜3,000万円規模の売上が必要になる計算だ。

それに対して今回の数字は10%、議論の余地がある数字ではない。

「将来回収できる」とか「中長期で見るべき」とか、
「もう少し様子を見よう」とか、「他の指標で見れば評価できる」とか、
そういう話は意味を持たないレベルだ。

見方の問題ではなく、もう結果が出ている。
しかし、それでもこの施策は続いている。

ここまでくると、「非効率」なんて言葉では足りない。
会社を悪くするためにやっているのか、と疑うレベルだ。

費用対効果が死んだ施策が続く理由

ROIもROASも成立していない施策を続けている。
例を見ればわかるようにする意味を証明する方が難しい。

普通の感覚があれば、止めるはずだ。
それでも続けるのは、なぜか。

シンプルな理由だが、
やめるという行為そのものにコストが発生するからだ。

施策を止めるというのは、成果が出ていないことを認めることでもある。
つまり、過去の意思決定を否定することになる。
しかも、例のような状態なら責任問題にも発展してもおかしくない。

それらを避けるためにも、続けることを選び「いつか」を待つ。

次に考えられるのは、成果よりも動いていること自体が評価される構造だ。

予算を使っている。
レポートが出ている。
施策としては動いている。

それだけで「仕事をしているように見える」状態になる。
効果がではなく、やっていることに意味があるという歪みだ。

関連して、やめたくない人間が普通に存在することだ。

予算が大きくなればなるほど、そこには必ず利害が乗る。
施策はいつの間にか成果の手段ではなく、自分のポジションの一部になる。

そうなると、合理性とは別の軸が混ざる。
成果が出ているかどうかよりも、続いているかどうかのほうが重要になる。自分の存在している意味や価値があるという状態を維持したいのだろう。

この思惑が、根拠のない未来への投資として正当化されるにつながる。

今は回収できていない。
しかし「将来的に伸びる可能性がある」「ここは先行投資だ」という言葉で説明がついてしまう。

問題は、その将来に具体的な根拠がないままでも成立してしまうことだ。
検証もなく、改善もなく、ただ時間だけが根拠になる。

そして気づけば、それは投資ではなく延期された評価の放棄になっている。

これらが生まれる最大の原因は、悪意ではないのが厄介だ。
無意識な正当化が、効果の見方そのものを歪めていく。

本来であれば、ROIやROASのような基本的な指標で、
「成立しているかどうか」は判断できる。

しかし現場では、なぜか一部の数字だけを切り取って評価したり、
本来の意味とは違う形で成果を解釈してしまうことがある。

その結果として起きるのはシンプルで、
効果が出ていないものを、効果が出ているように見せてしまうことだ。

これが意図的ではないなら、それはそれで別の問題になる。
つまり、単純に認識がズレているということだ。

ただ、もし意図的な側面があるとしたら話はさらに重くなる。

数字の一部だけを切り取り、都合のいい形で解釈し、
本来の損益構造を見えなくする。

そうなるとそれはもう評価ではなく、説明のために整えられた数字に近い。
簡単に言えば嘘だ。

どちらにしても結論は変わらない。

やめたくない人間がいることに加えて、
そもそも効果の認識そのものが歪んでいる可能性がある。

だから止まらない。

費用対効果を正常に判断できる状態でない

そもそもこの問題は「費用対効果をどう評価しているか」という以前の話かもしれない。

多くの組織では、予算は最初から使うことが前提になっている。

予算が決まれば、それは「使っていい金」になる。
そしてその時点で、ある種の正当化はすでに終わっている。

つまり、意思決定としては「使うこと」が確定していて、
その後に「どう使ったか」が付け足されていく構造だ。

本来であれば、そのお金がどう成果に結びついたのか、
施策単位で費用対効果を見ていく必要がある。

しかし現実には、そこまで踏み込まれないことが多い。

理由はシンプルで、
予算は承認された時点で正当なものとして扱われるからだ。

だから現場も、意思決定者も、
「その金は使われるもの」という前提の上で思考が止まりやすい。

そして厄介なのは、
そのお金に対して意味や価値があったことにしたいという力が働くことだ。

使った以上、何も生まれていない状態は認めづらい。
だから後からでも、どこかに効果を見出そうとする。

結果として、評価は「事実」ではなく「解釈」になる。

この状態が続くと何が起きるかというと、
費用対効果は検証されるものではなく、成立させるものに変わる。

そして、成立させるために数字や説明が後付けされていく。

さらに構造的に問題が大きくなるのは、
意思決定者側も同じ前提にいることだ。

予算が潤沢なうちは、使われていること自体が問題にならない。
むしろ「消化されている=動いている」として扱われる。

しかし、状況が悪化して初めて違和感が出てくる。
その時にはもう、途中で止めるという選択肢はほぼ消えている。

止めることは、過去の判断の否定になるからだ。

その結果として出てくるのは、
「もう少し様子を見る」や「ここまで来たからには続けるしかない」という判断になる。

こうなると、構造は完全に逆転する。

本来なら止めるべきものを止めないのではなく、止める方が異端になる状態が出来上がってしまう。

その領域のプロとしてどう振る舞うのか?

ここまでの話は、組織の構造や意思決定の問題として語ってきた。
しかし最後に残る論点がある。

それは、その中にいるプロとしての自分をどう扱うのかという話だ。

費用対効果が成立していない施策を、
構造的に止められない組織は確かに存在する。

予算は使われる前提で決まり、
評価は実行ベースで回り、
やめることはむしろリスクになる。

その中で「止める」という判断は、簡単ではない。

だから現実的には、選択肢は限られてくる。

組織に適応するのであれば、止めないという判断も答えになる。
それ自体を否定するつもりはない。

ただしその場合、整理しておくべきことがある。

それは、自分がマーケターとしての判断をしているのかどうかだ。

費用対効果が成立していないことを理解している。
にもかかわらず、それを意思決定に反映しない。
あるいは、理解していながら見ていないことにする。

この状態は、「判断している」のではなく、
マーケターとしての判断を放棄した上で業務を継続している状態に近い。

その状態が続いているのであれば、
マーケターとしての仕事はしていないと言われても仕方がない。

なぜならマーケティングという仕事は本来、
成果を見て改善し、成立しないものを止めることまで含まれているからだ。

さらに言えば、その状態で他の施策や数字について語ることにも、重みは残りにくい。

誰がどう見ても成立していないものを前にして、
それを止められない、あるいは止めない判断に加担をしている。

その状態で「何を理解しているのか」「何を分析しているのか」と問われれば、説明はかなり難しくなる。

結局のところ問われているのは能力ではなく、態度だ。
数字を見ているかではなく、見たものに対してどう向き合っているか。

そしてもし、それでもなお組織に残ることを選ぶのであれば、
それはそれで選択として否定はしない。

ただその場合は少なくとも、
マーケターとしての仕事をしているという認識は持つべきではない。


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