persuade『説得』
写真は言語足り得るか?
私は写真を一つのビジュアル言語と考える
しかし、果たしてそうだろうか?
カメラを持ち、写真を撮る人は多い
SNSには写真が溢れ、写真を見る人も多いだろう
スマホで簡単に写真が撮れる時代
その中のどれ程の人が写真に言語性を感じるのか?
『説得』
今は離れてしまったが、仕事で人を説得すると云う事を生業としていた
「相手を納得させる」
これが実に難しい
人と云う生き物は理屈、感情、損得、幻想、様々に何を重視するかが人其々
さて、写真は人を説得出来るだろうか?
これは答えを言ってしまえば『可能』である
それは写真の持つ『真実性』
事故や事件の記録として写真が用いられ、その写真が法的根拠としての機能を有している
戦時中に写真がプロパガンダに用いられていた事もある
しかし、これでは話が終わってしまう
そこで『説得』について掘り下げてみたい
説得と云えば誰もが頭に思い浮かぶのがアリストテレスであろう
え?知らない?
アリストテレスは論理学の祖であり倫理学の祖である
学問を分類体系化した『万学の始祖』
そのアリストテレスの『弁論術』の『説得の三要素』
ロゴス(論理・根拠・真実)
パトス(聞き手の感情)
エトス(話し手の信頼)
アリストテレスはこの三要素の相互補完こそが実践的であると考えた
余談だが今の環境問題に於けるレトリックはロゴスに偏り、パトスによって反発を受け、またロゴスの歪みによってエトスが失われている状況に見える
写真への適用の試みは環境問題に対して写真は効力を持つか?と云う疑問によるもの
さて、この『説得の三要素』を写真に当て嵌めた時にどうなるだろうか?
写真のロゴス(記録性・真実性)
恐らく写真の中で最も強いのがロゴスであろう
写真は在るものを写す、それは写ったものが存在した事を現す
しかし、同時に弱点でもある
それは写真が改変を許す『非真実性』を持っている
デジタル時代の写真はロゴスの影響力は弱いと言える
写真のパトス(撮り手の感情・鑑賞者の感情)
「感情は感情によって動かされる」
これは僕の仕事上の経験則による言葉だが、人の感情を動かすのは自分の感情である
しかし鑑賞者は極めて主観的に自由に感情を抱く
写真に於けるパトスは強くもあり、弱くもあるとても不安定なものに思える
故に、写真のパトスの分配を増やす事は写真の説得力に大きく影響があるのではないだろうか
写真のエトス(撮り手の信頼・写真の信頼)
写真の真実性と云うロゴスの限界は改変を許す所にあり、写真のエトスは容易く失われる
AI時代に入り、写真のエトスが失われつつある中で如何にエトスを確立するか
これは撮り手の信頼に依存的と言える
AIによる改変を行った撮影者は「これもAIでは?」と云う疑念を抱かれ続ける
ここでもう一度『説得』を振り返ってみると『何に対して?』と云う疑問が湧く
当然である
説得とは単体で存在する概念ではなく『文脈』に依存的である
つまりその写真が『何の為の写真であるか』と云う目的性によって『言語性』が生まれ『説得』を可能とすると考えられる
この事から写真は極めて『不安定な言語』であると言える
それは撮り手によって強くもなり、弱くもなる
その性質は『パトス』に同じく、故に写真の言語性はパトスの強弱に依存的と考えられる
