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エビフライのしっぽは食べないのが普通?!

占いをしていると、

「普通は〇〇ですよね?」

と聞かれることがよくあります。

「普通はLINEの返信って30分以内にはしますよね?」

「普通は上司から誘ってきた飲み会なら、上司が払いますよね?」

「普通は前日に確認しますよね?」

そして、

「普通はエビフライのしっぽは食べないですよね?」

なんてことも。

ちなみに僕は、エビフライのしっぽ、食べます(笑)


でも、これって面白いと思いませんか?

「普通はLINEの返信は30分以内にはしますよね?」

これ、「普通は」を外しても意味はちゃんと伝わります。

「LINEの返信は30分以内にしますよね?」

これで十分です。

それなのに、私たちはわざわざ

「普通は」

という言葉をつけることがあります。

なぜなんでしょう?


「普通」を確認したくなるとき

僕は、ここには

「自分は間違っていないよね?」

という気持ちが隠れていることが多いんじゃないかなと思っています。


「私の考え方、おかしくないよね?」

「私だけ変じゃないよね?」

「みんなもそう思うよね?」


つまり、「普通」という言葉を使って、

自分の判断に安心できる根拠を探している。

そんなことがあるんじゃないでしょうか。


特に、人間関係の悩みでは「普通」という言葉がたくさん登場します。

「普通はもっと連絡するものですよね?」

「普通はそんなこと言わないですよね?」

「普通はこうするものですよね?」


でも、ここで少し考えてみてほしいんです。

その「普通」って、

誰の普通なんでしょう?


「普通」は、意外と人によって違う

僕は、いろんな人の相談を聞いてきました。

すると、本当に人それぞれなんです。

連絡はすぐ返す人もいれば、翌日でも気にならない人もいる。

約束は10分前に着く人もいれば、5分前で十分だと思う人もいる。

仕事が終わったらすぐ帰りたい人もいれば、みんなで飲みに行くのが好きな人もいる。

そして、

エビフライのしっぽを食べる人もいれば、食べない人もいる(笑)

どちらが正しいのでしょう?

たぶん、

どちらも正しい。

というより、

「そういう人なんだな」

でいいんですよね。


ところが、私たちは自分と違う人を見ると、

「なんでそんなことするの?」

「普通はこうでしょ?」

と、自分の「普通」を基準に相手を判断してしまうことがあります。


逆に、自分が周りと違っていると、

「私がおかしいのかな?」

と、自分を疑ってしまう。

ここで、心が苦しくなります。


「普通」に合わせると安心できる?

もちろん、周りと同じだと安心することはあります。

みんなと同じ。

みんながやっている。

みんながそう思っている。

それなら、

「自分も間違っていない」

と思いやすいからです。


でも、その安心をずっと「普通」に預けてしまうと、少し苦しくなることがあります。

「みんながそう言っているから」

「普通はこうだから」

「これが一般的だから」

という理由がないと、自分で決められなくなってしまうからです。


そして、周りと違うことをした瞬間に、

「これで大丈夫かな?」

と不安になる。

でも、本当の安心って、

「みんなと同じだから大丈夫」

ではないんじゃないでしょうか。


「違っても大丈夫」が、本当の安心

本当の安心は、

「私はこう思う」

「私はこうしたい」

「でも、あなたは違うんだね」

と、お互いの違いをそのまま認められること。

そして、

「みんなと違っていても、私は大丈夫!」

と思えることなんじゃないかなと思います。

エビフライのしっぽを食べてもいい。

食べなくてもいい。

LINEをすぐ返してもいい。

翌日に返してもいい。

上司が奢ってもいい。

割り勘でもいい。

もちろん、社会の中ではルールやマナーもあります。

でも、それとは別に、

「こうするのが普通」

というものは、意外とたくさんあります。

そして、その「普通」の多くは、

誰かが決めた絶対的な正解ではありません。

ただ、

「そういう人が多い」

というだけだったりします。


「普通」を探すより、自分に聞いてみる

もし誰かに、

「普通は〇〇ですよね?」

と聞きたくなったら、一度だけ立ち止まって、

「私は、本当はどう思ってるんだろう?」

と自分に聞いてみてもいいかもしれません。

「みんながどうしているか?」ではなく、

「自分はどうしたいか?」

「正しいかどうか?」ではなく、

「自分は納得しているか?」

その答えを、自分で選んでいく。

もちろん、迷ってもいい。

誰かの意見を参考にしてもいい。

途中で考えが変わってもいい。

大切なのは、

「普通だから」ではなく、「自分で選んだ」と思えること。

そうやって少しずつ、

「みんなと違っても大丈夫」

「正解が分からなくても大丈夫」

「自分で考えて選んでも大丈夫」

という感覚が、自分の中に育っていく。

僕は、それも「安心を育てる」ということなんじゃないかなと思っています。


ちなみに僕は今日も、

エビフライのしっぽを食べます(笑)

「え?食べるの?」

と言われても、

「うん。おいしいよ(笑)」

それでいい。

あなたも、

「普通はどうなんだろう?」

と迷ったときは、少しだけ周りを見るのをやめて、

自分の心に聞いてみてください。

「私は、どうしたい?」

そして、その答えを選んだ自分に、

「うん。それでいいよ!」

と言ってあげる。

そんな小さな積み重ねが、

「なんだか大丈夫」

という、根拠のない安心を育てていくのかもしれません(^▽^)

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