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【創作大賞感想】日和見日和

 丸恵さんの作品は、読むっていつも決めている。

 食べ物の描写がどれもこれもおいしそう。
 親しみやすい登場人物は、皆、リアルにどこかの街に住んでいそうで。
 こまやかに描写された街並みに、思わず観光した気分になり。
 何より、時々、ほっこりする。
 あたたかいお味噌汁を飲んだ時の、あぁこれこれと、ほっとする安心感。

 丸恵さんと、ここでのおつきあいは意外と長い。
 丸恵さんも私も、この五年で変わっていない部分と変わった部分がある。
 お互いに、未熟だった部分も、失敗したなと思う部分も、たぶん見ている。そんなところも含めて、五年前よりは大人の距離感でお互いに存在しているのではと、私は勝手に思っている。

 丸恵さんは文章がうまい。
 私は文章の良し悪しは、正直プロでもないし、目利きができないのでよくわかっていない。けれども「これがうまいってことなんだろうな」と毎回ぼんやりと思う。そして丸恵さんは小説も素敵だけども、良いエッセイを書かれる。(ここでは今回は取り上げないけども、エッセイ部門もエントリーされている)
 丸恵さんのエッセイは、先ほどあげた要素が、同じようにつまっている。日常のおかしみや、おいしい食べ物、ぼやき、などなど。それが小説にも表れているが、やはり小説とエッセイに違いはある。
 小説では、現代人の寄る辺なさや、今の社会を切り取った課題を、大きなビッグサイズで扱うのでもなく、私たち庶民の、手のひらサイズに小さく小さく落とし込む。うまくいったり、いかなかったり、日常のバランスが程よくお話にちりばめられていて、読んでいてじんわりとした気分になる。 

 今回は、意外なシーンで、手に汗握りながら読ませてもらう箇所があった。

 それは、私の身の上に起きた人生の大事な出来事と、かなり内容が重なったからだ。

 読み始めた時は、まさかそのような展開になるとは予想もしていなかったので、少々驚いた。

 花 丸恵さんの『日和見日和』を読んだ。

「そんなんだから、嫁のもらい手がねーんだよ!」 時代錯誤な罵倒を浴び、婚活に惨敗した朝比奈日和。 彼女を救ったのは、異母兄・森岡駆からの求愛に揺れる、旧友の清水衣緒里だった。 二人はルームシェアを始めるが、程なくして衣緒里が失踪。 混乱の中、日和は瀬谷晶一との出会いに運命を感じたが、彼とも音信不通になってしまう。 動揺する日和の前に現れたのは、不敵に微笑む整形外科医の森岡明音。 日和は明音と共に、衣緒里の潜伏先である愛媛へ向かう。 不倫と近親愛、二重のタブーを抱える衣緒里。 メリケンサックを忍ばせ、夫の駆を追う明音。 強烈な個性に翻弄されるうち、日和の臆病な心にもかつてない情熱が沸き上がる。

あらすじより

 このお話は、主人公の朝比奈日和さんの視点で展開していくが、大きな二つの物語で構成されているのではないかと感じた。

 第一章から二章までの【ひよりん、巻き込まれ旅情編】
 第三章の【日和の伴走恋愛編】と、勝手に名づける。

 一~二章があるからこそ、三章で日和の個性が花開く感じになり、話自体はきちんと繋がりを持っているが、出てくるキャラクターやストーリーが途中で変わるので、一粒で二度おいしい(アーモンドグリコのキャッチコピーみたい)作品だと思った。

 前半は、ジェットコースターのように日和が巻き込まれていく。
 日和はコンプレックスがあり、
(彼女の「背が高い」という悩みは、私自身も170mあるので、とても共感できる)
 度重なる知り合いの披露宴から世間の圧を感じながらも、なかなか恋愛を発展させることができない。そこで、旧友のいおりんこと清水衣緒里のアパートに転がり込む。日和と衣緒里は、名前は似ているものの、お互いの性格が全然違うタイプの人たちだ。

「普通かぁ。いいなぁ、普通」
「そう?」
「うん。だって、あたしなんてこのままいったら一生、普通のレールに乗れなさそうだもん。皆、ちゃんとしててすごいよ。すっごくうらやましい」
 実感を込めて言う衣緒里を見て、日和は我が身を振り返る。
「確かに普通って馬鹿にできないかもなぁ。わたしも今、そのレールから脱線しかけてるもん」
「そうなの?」
「うん。もうレールの上に石でも置いてるやつがいるんじゃないかって感じだよ」

一章二話

 最近、白鉛筆さんの作品の感想文でも取り上げた「普通」がここでも出てくる。
 日和も衣緒里も、普通から外れてしまっている自分をこの場面で感じている。
 
 「隣の芝生は青く見える」でもないが、私も同世代の同級生に会ったり、子供たちの親が集まる場所に行くと「あれ?私ってちょっと外れているかも」と感じる。けれどもそれはお互いに話さないだけで、それぞれが自分の「普通になれない苦悩」を大なり小なり抱えているだけなのだと思う。

 属性が近いからこそ、ほんのささやかな違いが目に着くし、全然違う人種には「私もあのように生きられたのかもしれない」という羨望や軽蔑が入り交じって、それはそれで苦悩する。
 
 人って、なんて不器用なんだと思う。

 そして、似ていても違っても、仲良くなれる人は仲良くなれるから、それも不思議だ。

 婚活を始めてから、人を見る目が辛辣になった。欠点や難点を察知するセンサーが過敏に働き、加点や減点をしてしまう。婚活の性質上、仕方がないことかもしれない。でも、値踏みしたり、されたりすることには、はっきりとした痛みがある。
 条件や釣書からは見えない場所に、《本当の自分》がいると叫びたい。
 でも、はたから見ればその叫びは、ただの自惚れでしかないのだろう。

一章六話

 私の友人に、同世代で未婚の女性もいる。
 そして日和と似たようなことを、彼女が婚活をしていた時期に話していたことをふと思い出した。自分にはこんな人たちしか残されていないと感じてしまう悲しみと、こんな人と思ってしまう自分に対しての苦しみ。(初対面で説教したりお皿をなめられたと言っていたので、彼女の言いたいことはよくわかる)それは痛みであると。私は彼女の真の痛みを理解できていないのは十分にわかっているが、私も一緒に想像する事はできる。
 そして《本当の自分》を見てほしい、見つけてほしいという叫びは、婚活場面以外でも誰にでもあるものだと思う。

 日和は、衣緒里に大きく巻き込まれていくが、彼女の複雑な生い立ち、焼き鳥屋「居酒屋かっちゃん」の大将とのただならぬ関係、根無し草のように奔放に生きる衣緒里を、どこかうらやましいと感じつつも、彼女に仲間意識のようなものが芽生える。

 ままならない現実に揺れているのは自分だけではない。衣緒里もそうなのだと思ったとき、日和はこれまで感じたことのない仲間意識を抱いた。

一章六話

 二人の同居生活は、正直うらやましい。同性と同居したことのない私にとっては二人のささやかな生活ぶりは憧れである。七夕まつりの《おいしくてつよくなる》ビスコのエピソードや仙台名物、油麩丼のエピソードは読んでいて微笑ましくなる。(食べたことがないので食べてみたい)

 和やかな衣緒里との生活は、ある日突然休止符をうたれる。

 年上の瀬谷さんとの出会いを経て
(瀬谷さんは、ぽっちゃりしていて不器用で抜けているので、現実にいたら私がかなり好きな人種と思われる)
(中華料理屋さんのシーンがおいしそうだしにんにく食べちゃう感じが好き)
 自分から湧き出た情動のようなものに戸惑う日和。

 瀬谷から連絡が来ないまま、ここで、大将をめぐるもうひとつの女性、妻の森岡明音が登場する。
 明音は強引に日和を巻き込んでいく。そして大将と衣緒里が駆け落ちした、愛媛の四国に突然行く事になる。

 ここからの女二人旅は、同じ旅程で、旅に出たくなるような魅力を持っている。飛行機が苦手な明音は鉄道旅の予約を取って、岡山名物を食べながら、瀬戸内海の景色を車中から楽しむ。

 「夫をメリケンサックで殴る」という目標を持った明音の強さと健気さ、前向きな朗らかさに引っ張られながらも、目的地につくのだが、この先どうなったのかは、ぜひ本編を読んでほしい。

 (タクシーの玉井さんが最高のおじ様なのでそちらも確認してほしい)

 旅が終わる時に二人は約束をする。からっとしながらもさみしい場面。

 でも、また会おうと言える人がいるっていいな。
 約束があるってことだけで、それがたとえ果たされなくとも。
 そのような関係を人と結べただけでも。

 きっと人間て生きていけるんだと思う。

 私が自分を重ねたのは三章だった。

 瀬谷は日和に連絡を取らない理由があった。それは彼が「脳梗塞」であると告げられていたからだ。
(余談だが「脳梗塞」としか書かれていないので、私には詳細がわからない。「破裂」というワードが出てくるので動脈瘤がある可能性も考えられた。つまるだけなら脳梗塞の進行、血管が破れるなら出血の可能性がある。この動脈瘤が破裂してしまうのが一番やっかいなのだ)

 彼は日和に自分の人生を背負わせるわけにはいかないと、日和や日和の両親の心配をしているが、ここからの日和は、物語の前半に見られた、他者に巻き込まれてしまう彼女と、かなり様子が変わっている。それは、別人になったというよりも、日和のそういう一面が瀬谷によって、恋によって、引き出されたという感じだ。彼女は強い。

 この数日間、日和は衣緒里と明音の行く末を、天気を眺めるように、見続けてきた。人の人生の空模様を《見るだけ》だった日和の日常は、いつのまにか終わっていた。気がついたら、人の空ではなく自分の空の下を歩くようになっていた。

三章五話

 「自分の空の下を歩くようになっていた」という表現がとてもいい。

 七話からの入院と、手術当日の場面。
 私は夫が大腸がんで入院して手術した当時の自分と状況が似ていたので、どきどきしながら文章を目で追った。手術室までは徒歩で途中まで送っていく様子や、手術を待つ時間の果てしなさ、不安で本に集中できない感じ(私は村上春樹のエッセイを読んでいた)、術後に声をかけたことなど(うちの夫は朦朧としながらピースをした)、様々な出来事が脳裏に浮かんだ。

 手術は上手く行ったが、日和と瀬谷には、もう一つ越えなければならない出来事が訪れる。これもぜひ本編を読んでほしい。

 人生には様々な巡り合わせがある。
 それは、頑なに自分本位で抗い続けてもうまくいかないし、他者の存在に委ねて身をまかせたり、ここぞという時は動くべきタイミングで動くことで出会うものだと思う。丸恵さんが手のひらに乗せて優しく渡してくれた物語のあらすじに、「情熱」ということばが記されていた。

 情熱はpassionでありpassionは「受難」という意味も含まれるそうだ。(最近、Xの佐渡島庸平さんのpostで拝読した)

 passionとは「自分の内側から燃え上がるもの」というより、「何かとの出会いによって心揺さぶられ、その結果として火が灯るもの」と考えることができる。
 出会いが手に負えないものだと、受難になり、なんとかできると感じると情熱になる。

https://x.com/sadycork/status/2080461461131018745?s=46

 人から見たら受難と思われるものを、彼女は情熱に置き換えたのではないかと思った。 
 火を灯すためには、まず他者の存在があり、受難にはしない心を持ち合わせること。

 丸恵さんの作品は来年も読みに行くと思う。待ってますねと遠くから手を振って、私はまた一年を過ごしたい。


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