田中小実昌 著 日下三蔵 編 『幻の女 ミステリ短編傑作選』 ちくま文庫
練馬区立美術館が建て替えのため休館する。休館前の最後の企画展が「野見山暁治追悼 野っ原との契約」(前期:2024年10月6日-11月10日、後期:11月12日-12月25日)だ。先日、陶芸教室の帰りに立ち寄った。野見山は田中小実昌の義兄で田中と大変親しかったという。野見山展を観たのとは別の週末、マッサージの帰りに立ち寄った書店で本書を手にした。このところ短編集が気に入って、通勤の車内で読んでいる。田中と野見山の関係は、本書のことをnoteに書こうと思って田中の生い立ちを調べている中で初めて知った。偶然、義兄弟のそれぞれの作品にほぼ同時期に触れたことになったのだが、無意識の世界の必然のような気もして、なんとなく面白い。
区立美術館で追悼展をするくらいだから、野見山は練馬に縁がある。野見山は1970年代に練馬区氷川台にアトリエを構えた。田中も1986年から亡くなる2000年まで練馬区早宮で暮らした(ロサンゼルスで客死したが、当時も住所は同所)。氷川台と早宮とは隣接する町域だ。どうでもよいことなのだが、個人的には「へぇー」という感じなので、敢えて記す。
書き手の背景は読者にとってはかなり重要なことだと思う。なぜなら、人は経験を超えて発想はできないので、書き手と読み手との間に何がしか経験の共有がないとわかりあえない。経験の共有にはさまざまなパターンがあるが、最たるものは生きた時代だと思うのである。だから古典が今に残るのはよほど普遍的な何かがそこにあるということなのだろう。
例えば私は1962年に生まれ、1981年に大学に入り、1985年に就職して、1992年に最初の結婚をして、1995年に娘が生まれ、2007年に離婚して、2013年に再婚し、2022年に還暦を迎えて、あと数年で定年だ。生理的な成長、成熟、老化と、日本という国の高度経済成長、成長鈍化、衰退とがちょうど重なっている。生きる場の風景として、自分の成長とともに経済成長があるという体験は、なんだかんだ言っても、未来に対する素朴な信頼感を醸成していると思う。日常の風景として、身の回りに家電製品が増え、しかもそれらが時代を追うごとに機能を増すとか、通学や通勤に利用するバスや電車に冷房がつくようになったとか、新幹線や地下鉄の路線網が拡大したとか、なんでもないことのようだが、風呂を焚くのに薪を割っていたとか、便所がぽっとんだったという経験を持つ身にとっては、なんでもなくはないのである。本書の物語の世界は、私自身は経験していなくとも、身近な人々の話とか世間を騒がせた大きな出来事に纏わる記憶、街中の風景の記憶をきっかけにして想像することくらいはできるものだ。
1964年に東京でオリンピックが開催された時、世界各国から集まった選手や報道陣に衝撃を与えたのは、空港から競技会場に至る沿道に広がる街並みの貧しさだったという。そのわずか19年前の1945年には東京だけでなく日本の主要都市の殆どが焼け野原だったのだから、街並みが貧しいのは当然だ。街並みが貧しいというのは、そこで暮らす人々が貧しいということだ。オリンピックの6年後、1970年に大阪で開催された万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」だったが、焼け野原からオリンピックだの万博だの世界から人々を呼び込もうという気になったのは、他所からどう見えていたかは兎も角、少なくとも自意識としては、その間の復興が順調であったということの裏返しであり、その経験があればこそ「進歩」を素直に素朴に信じることができたのである。国力回復の傍証として、1970年代には日本の産業の国際競争力が世界からは脅威と見做されるほどになり、戦後復興の中で策定された国内産業保護育成策がいつまでも継続していることが「不公正」であるとして、主に米国が日本製品を排除する動きに出る。いわゆる「日米貿易摩擦」だ。摩擦の対象は繊維にはじまり、鉄鋼、自動車、半導体と続く。そして1985年にプラザ合意という形で為替レートという通商の土台に手を入れるとこにまで進む。これにより日本製品の対外価格が一気に上昇して競争力が削がれ、日本は円高不況に突入する。その対策として大規模な金融緩和が実施されて過剰流動性に陥り、行き場のないカネによる不動産や金融資産への投資・投機が活発化して「バブル経済」と呼ばれる事態になる。一見すると好景気なのだが、肝心な実物投資や研究開発が疎かになり日本の産業はそれまでの競争力が見る影もなく凋落し「失われたン十年」と呼ばれる長期低迷に入り現在に至る。
本書に収載されている短編の初出は1959年から1979年にかけてだ。田中個人は1944年12月に19歳で出征し、中国戦線を生き延びて復員して1946年に大学に無試験で入ったものの、敗戦の廃墟を生きるのに必死でガクモンどころではなかっただろう。米軍施設や劇場で働いて暮らしを立て、大学の方は1952年に除籍となった。大学に行かなくとも、米軍施設で手にした書物を読むうちに、短い期間ではあるが、推理小説の翻訳をするようにもなった。何が縁になるかわからないものだ。本書の短編に兵隊時代のことは出てこないが、米軍施設での勤労経験が反映されいると思しき箇所は随所に見られる。そのことが意味するのは何か、なんてことは考えたら面白いかもしれない。
私自身は米軍施設でバイトをしたなんてことはないのだが、大学1年の時、ベトナム難民に古着を送る運動をしている人たちを手伝ったことがある。相模原に米軍の倉庫があり、そこで日本各地から集められた古着を分類し、コンテナに詰め、各地の難民キャンプへ向けて送り出すのである。その分類作業を一度か二度、手伝った。倉庫といっても、当時すでにその相模原の施設の過半は使われている様子がなく、広大な敷地はほぼ更地で、その一画にボロボロの巨大な倉庫が二棟並んで建っていた。古着は主にスーパーなどの店舗で一般顧客から集められたもののようだったが、古着というよりボロ切れのようなものもあれば、クリーニングされて丁寧に梱包されたものもあり、「寄付」とか「援助」というものへの理解とか考え方が人によってかなり違うことがはっきりとわかって興味深かった。
なんて、うだうだと思い出を書き連ねたところで、まとまったものになりそうにはないので、備忘録として付箋をつけた箇所を書き留めておく。
このひと、わりと筋のとおったはなしをするときは、かならずデタラメなの。
ケチなパトロンほどいばりたがる。
たとえば、夢の世界は、夢をみているひとにとっては、全宇宙、全世界だが、たとえ、いっしょに寝ている恋人や女房にとっても、まるで関係のない、その人ひとりの空間と時間をもつ世界なのだ。
そして、こうしてわれわれがおくっている毎日が、眠っているときにみる夢とはべつの、とほうもなく長い夢ではない、と言いきれる者がはたしてあるだろうか? あなたの上役も、あなたの妻子も、ただあなたの夢に登場する夢のなかの人物かもしれないのだ。
いったい、ひとに使われていて、不満のない者があるだろうか?
カンケイがない者は恨みようがない。
考えてみれば、結婚式とか新婚旅行なんてものも、社会的な集団暴力かもしれない。
応接間というのは、どうして、こう寒々としているのだろう。ながいあいだしめきっていた倉にはいったときのような、人の体温を拒絶するようなよそよそしさ。
そんなことで、二人はケンカ別れし、しかし、なにかでヨリをもどしてコンビニなり、すると、また女をとられて頭にきた11PMが、舞台の上で、「おまえ、今まで、なん人、おれの女をとった?」なんて11AMに文句を言ったり……。
そんな漫才やコントが、客におもしろいわけがないが、そういう芸人は、今では、もうすくないのではないか。いや、芸人そのものがいなくなっている。
ふつうの人ならば、11PMのようではしょうがないが、芸人だと、おもしろがられて出世するかというと、芸人でも、やはり着実な人のほうが出世する。11PMなどは、けっして出世はできない。また、出世できないようだから、みょうなおかしさがあるのだ。
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