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観客97%、批評家38%──私が『Michael/マイケル』に拍手した理由

映画『Michael/マイケル』の感想・考察。世界最高峰のエンターテイナーの煌めきを、ライブ会場さながらの音圧で全身に浴びる映画体験について。上映後の劇場で起きた珍しい出来事、批評家と観客の評価がなぜ真っ二つに割れたのか、そしてスクリーンの左右に現れた謎の黒帯の正体まで、一観客の実感で綴る。

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エンドロールが終わり、場内が明るくなった。その瞬間である。

拍手が、沸き上がった。

誰かが音頭を取ったわけではない。あちらで1つ、こちらで2つ。気がつけば劇場全体が、ぱちぱちと温かい音で満ちていた。舞台挨拶があるわけでもない、ごく普通の上映回である。日本の映画館で自然発生の拍手に出会うことが、人生に何度あるだろうか。私は年間数百と劇場に通うが拍手が起きる映画は滅多にない。そして気づけば、私の両手も拍手をしていたのである。

IMAXシアターで鑑賞し、7割方埋まっていた。上映中、私の体は何度も勝手にリズムを刻み、心は何度もクスリーンを突き抜けた。帰り道はマイケルの曲を聴き浸り、家に着いてもまだ聴いていた。嗚呼、まんまと魔法にかかってしまった。

この多幸感の正体を、これから考察したい。だがその前に。

※この映画は、世界最高峰のエンターテイナーの半生や煌めきを、予備知識なしに全身で浴びたい人にオススメです。


▼ここからはネタバレを含みます。未見の方はご注意を▼

是非、映画はあらすじも予告編も観ずに、 作品の情報を知らないまま、映画館で鑑賞してほしい。

くらっくら の願い



■作品データ
タイトル:Michael/マイケル
原題:Michael
監督:アントワン・フークア
出演:ジャファー・ジャクソン、ジュリアーノ・ヴァルディ、コールマン・ドミンゴ、ニア・ロング、ケンドリック・サンプソン、マイルズ・テラー、ローラ・ハリアー、ケイリン・ダレル・ジョーンズ ほか
上映時間:128分
制作国:アメリカ・イギリス
日本公開:2026年6月12日
配給:キノフィルムズ



物語の骨格──1966年から1988年へ

ストーリーは、ジャクソン5のメンバーだった少年マイケルが、1988年『Bad』ツアーのステージへ1人で向かうまでの物語である。

本作は、キング・オブ・ポップの「光」のときだけを描く。そして観終えた私の結論はこうだ。これは、マイケルが父を乗り越え、キング・オブ・ポップの座を確固たるものにするまでの、イニシエーション(通過儀礼)の物語なのである。




フック船長の名は「ジョセフ」

幼いマイケルが読むピーターパンの絵本。そのフック船長の挿絵の横に、「Joseph(ジョゼフ)」の文字が書き込まれていたことにお気づきだろうか。

ピーターパンがフック船長を倒すように、マイケルはいつか父ジョセフを乗り越えなければならなかった。映画は冒頭から、この結末をひっそりと予言していたのである。ちなみにマイケルのピーターパン愛は史実で、「Peter Pan」という未発表曲まで録音していたというから筋金入りだ。

そして私が最も魂を震わせたのが、1984年Victory Tour(ヴィクトリー・ツアー)での脱退宣言である。ステージの上から、客席の父の目を真っ直ぐに見て、ジャクソンズとの決別を告げる。あの宣言は実際にあった出来事で、当時の映像も残っている。だが映画はそれを、息子が父の支配を断ち切る「儀式」として演出してみせた。私はここで奮い立った。そしてラスト、自由を掴み、自分の意思で作り上げたのステージへ歩いていく背中で、また卒倒したのである。




自分の性格の悪さに、気づいていない男

この映画には、悪役が1人しか登場しない。父ジョセフである。そしてその汚れ役を全て引き受けた俳優コールマン・ドミンゴが凄まじいのだ。

彼が演じるジョセフの恐ろしさは、分かりやすい暴君ではないところにある。自分の性格の良くなさを、本人があまり自覚していないのである。息子を殴り、罵り、搾取しながら、本人は「家族のためにやってやっている」と言い張る。私は擁護の余地なく、純粋な抑圧者として、毒親として彼を見た。劇場の暗闇で、静かに腹を立てていた。

コールマン・ドミンゴは近年の映画だと映画『シン・シン』でも大変素晴らしい演技を披露してくれている。基本的には映画『シン・シン』のドミンゴと見てくれは同じなのだが、まるで別の人格がそこに立っている。演じている感が、まったくない。恐ろしい役者である。




世界的スターに、怯まない男たち

脇を固める役者たちにも触れねばなるまい。

まず弁護士ジョン・ブランカ役のマイルズ・テラー。世界的スターに全く怯まず対等に渡り合う、落ち着いた佇まいである。映画『トップガン マーヴェリック』や『オンリー・ザ・ブレイブ』だと「後輩キャラ」の印象が強く、正直、エンドロールを見るまで誰が演じているのか分からなかった。それほどの変貌であった。

ボディガードのビル・ブレイ役、キーリン・ダレル・ジョーンズも忘れ難い。セリフは少ない。だが常にマイケルを見守るその眼差しだけで、雄弁に語るのである。

そして幼少期マイケル役のジュリアーノ・クルー・バルディ。あの小さな体から放たれる歌声と佇まいが、物語前半を完全に支えていた。最高の役者たちである。




批評家38%、観客97%の溝

さて、本作の評価は奇妙なことになっている。Rotten Tomatoesの批評家支持率は38%。ところが観客スコアは97%、CinemaScoreはA-。ここまで真っ二つに割れた映画も珍しい。

https://www.rottentomatoes.com/m/michael  より抜粋

批評家の言い分はこうだ。児童性的虐待疑惑などの負の側面を描かず、「事実を美化したプロパガンダ」「魂の抜けた浅薄な作品」である、と。気持ちは分かる。分かるのだが、私は思うのである。マイケル・ジャクソンの人生を、微に入り細を穿ち、疑惑も全て詰め込んだら、1000時間あっても足りない。はなから2時間に収まる人生ではないのだ。

ならば、彼の光の部分にだけ光を当てる。この割り切りは、良い選択だったと私は思う。コアなファンに言わせれば「あれが足りない、これが描かれていない」と文句の1つや100個も付けたくなるだろう。だがコアなファンではない私には、十分すぎるほど眩しかった。




幻の第三幕──「描かなかった」のではなく「描けなかった」

ただし、である。「忖度して負の側面を避けた」という批評には、事実をもって反論しておきたい。

報道によれば、当初の脚本は1993年の虐待疑惑を冒頭と第三幕の核に据えていた。つまり作り手は、描こうとしていたのである。ところが撮影後、或る裁判で1994年に告発者側と交わされた和解(2,000万ドル)の中に「映画で描写・言及しない」という条項があることが判明する。遺産管理団体の弁護士たちの見落としであったそうだ。

結果、第三幕は丸ごと作り直し。2025年6月に22日間の追加撮影が行われ、1,000万〜1,500万ドルとされる費用は、見落としの責任を取る形で遺産管理団体が負担したと報じられている。さらに監督と製作者に計2,500万ドルの追加報酬が支払われたという報道まである。

つまり本作は「描かなかった」のではない。法的に「描けなかった」のだ。その結果として生まれた「光だけの映画」が、世界中の観客の拍手を浴びている。私も無意識に拍手をしていた。映画史に残る、数奇な誕生譚ではないかと感じる。




1.85:1──左右の黒帯の正体

ところで、IMAXで観た方は気づいただろうか。スクリーンの左右に、細い黒帯が出ていたことを。

種を明かせば、本作の画面比率は全編1.85:1。一方、IMAXのスクリーンは1.90:1で、わずかに横長である。縦を合わせてはめ込むと、左右が少し余る。あの黒帯は上映ミスではなく、正しい姿なのだ。本作にはIMAX用に画面が広がる「拡張シーン」も存在しない。

ならばIMAX料金は損なのか。否、断じて否である。スリラーのMVを足先まで完全再現するあの構図は、どの劇場でも同じに見える。違うのは、画の巨大さと、そして音だ。全27曲が、ライブ会場の音圧で体に直撃する。ステージを1つ丸ごと再現するなど到底無謀な挑戦だと思うのだが、本作はそれをやり切っている。世界最高峰のアーティストの映画は、最高の環境で観てほしいのである。あの拍手は、その環境が生んだものでもあった。




私も、イニシエーションをする

白状すれば、この物語は私に深く刺さった。私にも、乗り越えたい相手がいるからである。それも過去形ではなく、現在進行形で。

映画のラストでマイケルは、立ち向かうべき相手の目を見て、しっかりと自分の言葉を伝えていた。ならば私も、そうしようと思う。立ち向かうべき相手の目を見て、伝えるべきことを伝える。映画を観て感化されただけかもしれない。それでも構わない。彼が父を乗り越えて KING OF POP の座に着いたように、私も私のイニシエーションを果たすのである。

あの夜の拍手は、マイケルに向けたものだった。いつか自分にも、小さな拍手を送れる日が来るように。




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