見出し画像

【ショート・ショート】手

 祖父のことはほとんど覚えていない。
 何せ今から半世紀以上前のこと、私が六歳になる前に他界した。只でさえ記憶力が衰えて来た、この頃だ。

 覚えているのは、その大きな手だ。その手でめられたり怒られたりしたこともあっただろう。
 だが私が唯一覚えているのは、散歩でのことである。

 散歩の時、祖父はいつも私の一歩後ろを付いてきた。そして後先もなく飛びだそうとする私を、背後から抱きとどめる。私はその度に、胸の辺りに温もりと柔らかいてのひらの感触を感じて、安心感に包まれたものだ。
 その手を振り解こうと足掻あがくと、それを面白がる祖父の笑い声がする。私が見上げると、そこに優しい顔があったはずなのだが、残念ながら思い出せない。

 祖父の厚い胸板をベッドに、抱きかかえた手を布団がわりにして、眠っていたこともあったそうだ。
 目を細めて話してくれた母も鬼籍に入って久しい。

 私は独り身だ。もし孫でもいれば、祖父の気持ちに触れられたかも知れないが、今さらせんないことだ。

 祖父譲りの大きな手をそっと胸に当ててみる。

 掌が触れている辺りがほんのり温かくなった。

<了>

いいなと思ったら応援しよう!

来戸 廉 よろしければサポートお願いします。また読んで頂けるよう、引き続き頑張ります。