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【雨季の宿】第六章🧭朝、あの若者が方向を指し示してから、どれほどの距離を歩いたのか。

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第六章🧭朝、あの若者が方向を指し示してから、どれほどの距離を歩いたのか。

もはや時計の針など何の意味も持たなかった。

森の中では、時間は光の移動によってではなく、肉体の損耗具合によってのみ測られる。

生ぬるい水を求めて何度喉が鳴ったか。 不快な汗が何度シャツを濡らし直したか。 鉛のように重い脚の筋肉が何度、限界を訴える悲鳴を上げたか。

その絶望的な反復だけが、唯一の時計であった。

若者の足跡を追い、ブラザーはその少し後ろを無言で歩き、わたしはさらにその後ろで、顔を叩く枝を払い、滑る根を跨ぎ、腐葉土に沈みかける足を引き抜きながら、ただ機械のように進んでいった。

難民キャンプが近いという事実は、視覚的な景色よりも先に、まず歩き方の変化となって現れた。

若者の足運びが、明らかに変わったのだ。

昨日までなら、危ない場所に差しかかった瞬間に、彼はほとんど反射で進路をずらしていた。

だが、今日は違う。

足を上げたまま、わずかに空中で保つ時間が増える。

その視線は足元の地面だけではなく、膝の高さ、腰の高さ、胸のあたりまでを一度にスキャンするように動く。

何かを探しているのではない。

致命的な何かが「ありそうな場所」を、すでに骨の髄まで知っている者の目で、慎重に確認しているのだ。

ブービートラップの密度が高まっている。

そう理解するのに、言葉は必要なかった。

最初に目についたのは、地面の異様な凹みだった。 えぐり取られたような浅いすり鉢状の窪み。

その周囲だけ、落ち葉が吹き飛ばされて裏返り、土の乾き方が決定的に違っている。

近づいて見れば、炭化した竹の破片と、赤錆の浮いたワイヤーの一部が泥に半ば埋もれていた。

さらに少し離れた木の幹には、無数の細い傷が横一線に走っている。

何かが破裂した痕なのか、飛び散った金属片が肉の代わりに木肌を抉ったのか、素人のわたしには判別できない。

古い残骸なのかもしれなかった。

何年も前の罠が、ここではまだ誰の足も吹き飛ばさずに残っていても不思議ではない。

だが、昨夜の音の残りかもしれない、とも思った。

闇の奥から聞こえた、あの重い爆発音。 その続きを、いま足元に見ているのかもしれない。

この土地では、その二つの可能性に大した差はない。

昨日の暴力も、十年前の殺意も、どちらもまったく同じ鮮度で現在の地面に食い込んでいるからである。

若者は、そこを大きく迂回した。  説明はない。ただ、そこへ近づかない。

それだけである。

わたしも、張り詰めた糸のような緊張を腹に抱えながら、黙ってその後をついていく。

進むほどに、人間の痕跡が増殖していく。

枝を山刀で払った切り口は生々しくなり、踏み固められた地面は広くなる。

折れた竹。潰れた空き缶。色褪せた布切れ。泥にまみれた煙草の吸い殻。

自然の中に人の痕跡が増えれば、本来なら安心してもよさそうなものだ。

だが、この狂った森では逆だった。人間の気配が濃くなるほど、歩くことそのものが致命的なリスクへと変わり、胸の奥に沈む重圧は増していった。

ときおり、若者はしゃがみこみ、地面の落ち葉を指先でずらすようにして何かを確かめた。

細い線が隠れていることもあった。竹を鋭く削って作られた杭のようなものが、泥の中から上を向いて覗くこともあった。

いずれも、こちらの側から意味を解釈してはいけない種類のものであることだけはわかる。

構造を理解しようとするより、とにかく触れないこと。それが唯一の生存戦略であった。

森の匂いも、少しずつ毒気を抜かれるように変わっていく。  湿った木と腐葉土の匂いの中に、煙の気配が混じり始める。

さらに、その下に別のものが重く沈んでいる。煮炊きの古い油、淀んだ汚水、乾ききらぬ布、濃密な汗、そして不釣り合いな薬品のような匂い。

それらが空気の底に薄く溶けている。風が吹くたびに、その不快な層がわずかに入れ替わる。

やがて、音も変わった。  

最初は、子どもの泣き声だった。

木々の向こうから、短く、途切れ途切れに聞こえてくる。

続いて、女たちの甲高い話し声、乾いた咳、金属を叩くような音が混じる。

鍋の蓋が当たる音。誰かが乱暴に怒鳴る声。  

それらは互いに打ち消し合うことなく、雑然と重なり合っている。

人が密集して暮らす場所にしかない、熱を帯びた騒音であった。

森が、不意にほどけるように薄くなる。  木々のあいだから、斜面にへばりつくようにして並ぶ小屋の群れが見えた。

難民キャンプである。

それは、これまで通り過ぎてきた村とは違っていた。

生活があるという意味では同じでありながら、その生活のすべてが、どうしようもなく「仮の形」をしている。

竹で粗く組んだ骨組みに、UN(国連)のロゴが消えかかったブルーシートが張られ、さらに別の布切れや錆びたトタンが継ぎ接ぎされている。

ひとつひとつの小屋は、風が吹けばいつでも吹き飛ぶように見えるのに、それが幾重にも重なり、斜面を埋め尽くすことで、逆にひとつの異様な景色として固定されている。

泥の上に細い通路が血管のように走り、その脇に悪臭を放つ水たまりがいくつも残っている。

あばらの浮いた犬が寝そべり、裸足の子どもが泥を跳ね上げながら走る。

赤子を抱いた女が、虚ろな目で火のそばの鍋をかき混ぜている。

そこには間違いなく生活があった。

だが、それはいつ誰の足で蹴り崩されてもおかしくない、砂上の楼閣のような張り詰めた緊張感の上に成り立っていた。

男たちの何人かは、ただ無為に座っているように見えた。

だが、その視線は決して止まっていない。

あからさまにこちらを睨む者もいれば、見ていないふりをしながら、確かに外から来た人間の数と顔を正確に記憶している者もいる。

武器は、見える場所にはない。

だが、見えないことが不在を意味しないことを、わたしはここまで来る途中で嫌というほど学び始めていた。

木の陰、壁の裏、ビニールシートの向こう、殺意を隠す場所などいくらでもある。

若者は、キャンプの内部へまっすぐ入ることはせず、その外縁をなぞるように進んだ。

まず、周辺の森を見るのだ。ここまで来てもなお、わたしたちの最優先の目的はあくまで「カブトムシ」であるということらしい。

その執着が、いまのこの状況下ではひどく滑稽に感じられた。

同時に、それ以外の理由、たとえば死の匂いに惹かれて、でここまで来てしまったのだと認めることもできず、わたしはただ、泥を跳ね上げながら後をついていく。

キャンプの外れに立つ木々は、斜面の下の深い森とは少し様子が違った。

人が出入りし、燃料として薪を拾うせいか、下草が極端に薄くなっている。だが、その分、古い木が切り倒されずに残っている場所もある。

境界の印として立っているような太い幹。その樹皮の深い裂け目に樹液がしみ出し、甘ったるい匂いを放つものもある。

若者が立ち止まる。  幹を見上げる。  手で樹液の粘りを触る。  地面の周囲を歩き、根元の倒木の陰を覗く。

わたしも、息を詰めて視線を巡らせる。  だが、いない。

黒い角も、甲殻の濡れたような反射もない。  小さな虫だけが無数にいる。

蟻、羽音の高い別種の甲虫、名も知らぬ気味の悪いものたち。それらは群がっているのに、目当ての王の姿はない。

また、別の木へ移る。  また樹液。  また覗き込む。  また、いない。

日が高くなるにつれ、わたしの中の焦りは少しずつ歪んだ形へと変わっていった。  

昨日は、ただ見つからないことそのものが疲労の一部であった。

だが今日は違う。

すでに昨日、あの圧倒的な黒い角を見てしまっているのだ。

存在を確信してしまった以上、見つからないことはただの空白ではなく、明確な「欠落」になる。

すぐ近くにいるはずなのに、決して自分の手の中へは降りてこない。

そのいらだちが、不快な汗とはまったく別の粘つきを持って、胸の奥底に張り付く。

昼を過ぎるころ、キャンプのなかの様子が、少しずつ視界に入るようになる。  

小屋と小屋のあいだを、女たちが重そうな水桶を持って歩く。

洗濯物は泥色の空気の中でほとんど乾いていない。

痩せた男が、無表情に竹を割っている。

子どもは何も持たずに遊んでいるように見えながら、ときおり急にこちらを見るその瞳が、ひどく冷めた大人びた色をしていることに気づく。

年寄りが地面に座り込み、遠くを見ている。その視線の先に故郷があるのか、ただの虚無があるのかはわからない。  

鍋の匂いが流れてくる。煮込まれた砕け米と、少量の野菜と、正体不明の肉の匂い。

飢え死にするほどではない。だが、豊かさとは絶対的な距離がある。最低限の命のサイクルを回し続けるためだけの匂いであった。

ところどころに、援助物資らしい袋や箱が積まれているのも見えた。

印字は剥げ、泥に汚れ、すでにただの雨よけや容器として使われている。

それが本来は外部から運ばれてきたものだという事実だけが、この場所が完全に閉ざされてはいないことを示していた。

だが、その外部とは、法や安全をもたらす強固なものではなく、ただ必要物資がかろうじて流れ込んでくるだけの、極端に細い管のようなものでしかないのだろう。

午後も遅くなり、狂ったような光がようやく傾き始めたころ、ついに「いた」と思える一瞬があった。

キャンプの外れ、斜面の途中に孤立するように立つ一本の古木である。幹は大きく裂け、そこから濃い樹液が多量に滲み、黒く固まりかけていた。匂いは強烈だ。若者が近づき、首を少し傾ける。  その鋭い視線を追ったとき、幹の裏側、裂け目の深い陰に、見覚えのある鈍い反射が見えた。

黒。  磨き上げられたような、丸みのある甲殻。  そして、その前へわずかに突き出た、紛れもない一本の角。

心臓が、肋骨を打ち据えるように強く鳴る。  わたしは、完全に呼吸を止める。

だが、その瞬間、キャンプの中から突然、荒々しい怒鳴り声が響いた。  

短く、鋭い声である。何が起きたのかはわからない。単なる口論か、あるいは誰かへの威嚇か。


だが、その人間の声に反応したのか、あるいは単に光の加減が変わったのか、虫はすっと滑らかに身を引いた。幹の裂け目の奥の、絶対に手の届かない暗闇へと、音もなく入り込んでしまう。

若者は手を伸ばさない。  追わない。  追ってはいけないのだろう。

木の位置が悪い。幹の裂け目が深すぎる。無理に指を入れれば、逃がすだけでは済まない別の虫がいるのかもしれない。  

あるいは、ここがキャンプに近すぎるのかもしれなかった。無数の視線がある。異邦人の不審な動きは、ここでは命取りになる。

わたしは、その場に立ち尽くす。

見えたのに、また取れない。  

しかも今度は、森の深部ではなく、人間の生活のすぐ縁でのことである。

その事実がひどく奇妙に思えた。  

これほど人間の殺気や匂いが濃く、これほど不安定な場所のすぐ脇で、なおあの虫は生きている。

人間の愚かな争いとも、難民の悲惨な暮らしとも一切無関係な時間を、自分だけの速度で完璧に維持している。

その圧倒的な冷たさと無関心さが、かえって羨ましかった。

若者は、短く何かを言う。  言葉の意味はわからない。  

だが、「今日はここまでだ」と、冷酷に宣告するような響きであった。

日が暮れ始めている。  わたしたちは、ついにキャンプのなかへ足を踏み入れた。  ここで夜を明かすことになったのだ。

そう理解したとき、安堵より先に、ねっとりとした妙な緊張が来た。森の闇の中で眠るのとはまったく別の種類の緊張である。  

人が多い場所ほど、自由が少なくなる。誰がどこから来たのか、何をしに来たのか、どこまで見たのか。

そうした情報が、自然には消えず、誰かの粘着質な視線の中へ確実に残るからだ。

若者は、ひとつの小屋の脇へわたしを連れていった。小屋の内部ではない。

隣に粗末な庇のように張り出した、半ば物置のような空間である。

斜めに傾いた竹の床があり、上には穴の開いたビニールが張られている。

雨はしのげるが、夜風は素通りする。  

だが、完全に閉じられていないところが、いまの精神状態にはむしろ救いでもあった。

得体の知れない人間の家の内部へ深く入り込むより、この半端な外縁に放置される方が、まだ気が楽であった。

やがて、食事が運ばれてくる。

欠けた器に盛られた水分の多い粥。得体の知れない野菜。ほんのわずかな肉片。水。

運んできた女は、完全に感情を消した無表情のまま器を置き、何も言わずに去っていく。  

だが、その動作は拒絶ではない。極限まで限られたものの中から、余所者であるこちらにも分けるという意思だけが、そこに確かにある。

生存に必要な最低限の熱量だけを、静かに差し出す。その控えめさが、かえって骨身に沁みる。

わたしは黙々と食べる。  味はひどく薄い。

だが、消耗しきった身体には十分すぎるほどであった。

小屋の向こうでは、子どもが泣いている。どこかで不吉な咳が続く。

鍋の蓋が鳴る。誰かが低い声でボソボソと話す。  

その生活音の向こうに、ときおり不自然な沈黙がストンと挟まる。

夜になるたび、ここにいる誰もが、無意識に耳を遠くの闇へ向けているのかもしれなかった。

昨夜の銃声は、この場所の方向から来たのである。キャンプの人々がそれを忘れるはずがない。

ただ、日常を壊さないために、それを言葉にしないだけである。

火が灯る。  煙が地面を這うように低く流れる。  薄暗い中で見るキャンプは、昼よりもさらに仮の姿をしていた。

竹も、布も、ビニールも、みな火の赤い色を受けて柔らかく揺らぐ。

だが、その揺らぐ柔らかさのすぐ下に、逃れようのない冷たく硬い現実が沈んでいることを、わたしはもう知っている。

竹の床に横になる。  床はしなり、体重を受けて不満げにわずかに鳴る。

背中の骨が一本ずつ硬い竹へ乗る感触がある。

疲労は限界を超えている。目を閉じれば、すぐにでも深い眠りへ落ちそうでもあった。  

だが、頭の奥のどこか一箇所だけが、冴え冴えと起きている。

今日も、手に入らなかった。  見えた。だが取れなかった。

しかも二度とも、こちらの都合とは無関係な理由で遠ざかったように思える。

そのことが、鉛を飲んだように腹の底へ重く残っている。

そして、もうひとつ。  ここが、ただの「森の縁」ではないという確信である。

難民たちのギリギリの生活。武装した冷たい視線。遠くの爆音。罠の残骸。

そうしたもののすべてが、この土地では互いに矛盾することなく、まったく同じ泥の地面の上に重なっている。

そのことを、今日一日で嫌というほど見せつけられた。

わたしは、ただの虫を追って、ここまで来たはずだった。  

だが、気がつけば、底なしの暴力と死が日常として消費される世界の、もっとも深く暗い縁(へり)に立たされている。

虫の声が、夜の底を隙間なく満たしていく。  どこかで赤子がまた泣く。

誰かがあやす低い声がする。  

その向こうで、森は人間の営みなど一切気にも留めず、濃い闇のまま息をしている。

わたしは目を閉じる。  眠りは、すぐには来ない。  

だが、やがて竹の床のしなりと、煙の匂いと、遠くへ広がる死の気配の重なりの中で、意識は少しずつ泥の中へ沈んでいく。

明日、さらに奥へ入るのか。  それとも、正気に戻ってここから引き返すのか。  

その判断は、まだ形を持たない。

ただ、重苦しい夜だけが、静かにこの仮設のキャンプの上へ降りていた。

第七章へ続く

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