【性と悪】誰かを傷つけるものが、誰かを救うとき
人々に批判され、拒絶されながらも
『性』の一部として在り続ける。
婚外
売春
それは様々なカタチを持つ。
たとえ法による制裁があったとしても
消えることのない存在。
必要性を見出す人がいるかぎり。
一般的には『悪』なのかもしれない。
だが、その悪で救われる人がいるのも事実。
否定する側の論理は、
まず公平性の毀損に集約される。
不倫や婚外の関係は、
当事者の一方が知らぬ間に
契約を破られている状態だ。
結婚という制度は感情の独占だけでなく、
経済的な信頼や
子どもの養育環境をも含む合意である。
それが秘密裏に崩されるとき、
被害者は単なる感情的な傷だけでなく、
生活基盤そのものを揺るがされる。
日本でも不貞行為は
民法上の不法行為として
慰謝料請求の対象になり、
裁判例は数多い。
制度が罰則を用意している時点で、
社会がこれを許容されない逸脱と
位置づけている証拠だとも言える。
売春についても、否定派の論点は明確だ。
買われる側の多くが経済的困窮や依存症、
あるいは人身取引的な構造の中に
置かれているケースが後を絶たない。
表面上は『本人の自由意志』に見えても、
選択の余地がほとんどない状況下での意思決定を、対等な取引と呼べるのかという疑問は根強い。
国際的にも、スウェーデンが導入した
『買う側だけを処罰する』モデルは、
売る側を被害者と位置づける発想に基づいている。
この立場からすれば、
必要悪という言葉自体が、
構造的な搾取を覆い隠す
便利な免罪符になりかねない。
一方で、肯定側には
まったく異なる現実が見えている。
たとえば江戸期の遊郭は、
単なる性の売買の場ではなく、
当時の社会が抱えていた
『行き場のない欲望』を
制度の中に囲い込む役割を担っていた。
歴史学の議論では、こうした公認の仕組みが存在しない社会では、性犯罪や強姦が別の形で噴出していた可能性が指摘されることもある。
オランダやドイツのように売春を合法化し、
労働として保護している国では、
性風俗従事者の健康管理や安全確保が
むしろ進んでいるという報告もある。
禁止すれば消えるという単純な話ではなく、
地下に潜ることで
より過酷な搾取が生まれるという皮肉な現実が、
肯定派の根拠になっている。
不倫についても、肯定的な語りは存在する。
長年連れ添った夫婦の間で、
性的な関係も感情的な交流も
すでに失われているにもかかわらず、
経済的事情や子どものために離婚という
選択肢を取れない人は少なくない。
そうした人にとって、婚外の関係性が
精神的な支えとなり、
結果として家庭そのものが
維持されているという逆説的な状況も、
現場ではしばしば語られる。
もちろんそれは倫理的な正当化とは別の話だが、
壊れかけた家族を、別の場所で得た安らぎが支えている
という背景は、単純な善悪では割り切れない。
起こりうる結果
ひとつは、規制を強化した場合の着地点。
表向きの数字は減るかもしれないが、
需要そのものが消えるわけではないため、
非合法な仲介業者や
人身取引のリスクが高まる可能性がある。
取り締まりの網の外に置かれた人々は、
労働環境の改善も法的保護も受けられず、
むしろ弱者がさらに弱い立場に追いやられる。
もうひとつは、
部分的に容認・制度化した場合の可能性。
健康診断の義務化や
労働者としての権利保障が進めば、
従事者の安全性は向上しうる。
しかし同時に、
性を売買することへの
心理的なハードルが下がり、
需要自体が拡大するという指摘もある。
オーストラリアの一部州のように
合法化後に業界規模が拡大した例もあれば、
逆に社会的な傷が根強く残り、
制度と実態が乖離したままの地域もある。
不倫に関しては、法的制裁を強めても、
心理的な欲求や関係性の摩耗という
根本原因は解決されない。
慰謝料制度や不貞の可視化が進むほど、
当事者は発覚を恐れて
関係を巧妙に隠すようになり、
むしろ発見や介入が難しくなるという
逆効果も考えられる。
結局のところ、
これらの現象を【必要悪】と呼ぶかどうかは、
何を守りたいかという
価値観の優先順位に左右される。
制度としての結婚や公的な性道徳を守りたいのか、それとも個々人が置かれた
現実の苦しさを軽減したいのか。
この二つは必ずしも両立しない。
だからこそ、
この問題に単一の正解を求めること自体が、
そもそも難しいのかもしれない。
そんなことはどうだっていいから
おっぱいください。
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