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顔を消しても、身体は語ってしまう。


思わず目を奪われる。


そんな経験は誰にでもあると思う。


赤ちゃんの動き。

一流アスリートのパフォーマンス。

優れたダンサーの身体表現。


なぜか釘付けになり、目が離せない。


以前の僕は、

その理由を重心の安定や、

軸のブレなさにあるのだと思っていた。

もちろんそれも間違いではない。


けれど最近、

とても興味深い研究を読んだ。



ある研究で、

男性のダンス動作をモーションキャプチャで記録し、

顔も表情もないアバターへ置き換えた。

性別すら判別しにくい、

ただの人型のシルエットだ。

その映像を女性たちに見てもらい、

「魅力的かどうか」を評価してもらった。


結果は意外だった。

評価が高かったのは、

難しいステップを踏む人でも、

派手な動きをする人でもなかった。


首と体幹を大きく、

そして多様に動かしていた人たちだった。



ここで面白いのは、

研究結果そのものではない。

その前提だ。


顔を消した。

表情を消した。

性別の手がかりも消した。


それでも、

何かが伝わった。



これは「魅力」の話である以上に、

「伝達」の話なのだと思う。


人は情報の多くを顔から受け取る。

だから恋愛も、

第一印象も、

つい顔や見た目の話になりやすい。



けれど、

顔という最大の情報源を取り去ったあとでも、

身体は何かを伝えていた。



しかも、

本人は伝えようとしていない。

魅力的に見せようとして、

首を動かしているわけではない。


無邪気に動いているだけだ。

それなのに、

何かが漏れ出る。

隠そうとしても隠しきれない。

溢れ出てしまう。


魅力という言葉が近いのかもしれないし、

存在感という言葉が近いのかもしれない。

いずれにしても、

身体は勝手に語ってしまう。



赤ちゃんにも、

トップアスリートにも、

共通するものがある。


どちらも、

動きの天才だ。

赤ちゃんは、

まだ余計な制御を持たない。

全身がひとつながりに動いている。

一流のパフォーマーも同じだ。

長い年月をかけて、

もう一度その連続性を取り戻している。

だから目を奪われる。



臨床の現場でも、

似たようなことを何度も経験してきた。


歩き方。

椅子に座る瞬間。

立ち上がるタイミング。

挨拶で頭を下げる速度。

言葉を交わす前から、

すでに多くの情報が伝わっている。

本人は見せているつもりなどない。


むしろ、

意識していない部分ほど、

その人らしさがそのまま現れる。

構造が漏れる。

履歴が漏れる。

生き方が漏れる。



「目を奪われる」という現象を、

見た目の良し悪しだけで説明すると、

大事なものを見落としてしまう。



人は、

動きの大きさに反応しているのではない。

派手さに反応しているのでもない。

おそらく、

動きの連続性に反応している。



体幹だけが動いて、

首が固まっている人を見ると、

どこか不自然に感じる。

首だけが動いて、

体幹が止まっていても同じだ。

今回の研究で評価された動きは、

首と体幹が別々に頑張っていたのではなく、

ひとつの波としてつながっていたのだろう。

奥から始まった動きが、

表層まで途切れずに伝わっていた。



これは僕の仮説だが、

人が思わず目を奪われる瞬間というのは、

動きの大きさよりも、

動きの途切れなさに反応しているのかもしれない。

途切れない動きは、

見ている側にも安心感を生む。

逆に、

引っかかる動き。

奥が止まっていて、

表層だけが動いている動きは、

どこか落ち着かない感覚を残す。



顔のないアバターを使った研究は、

少し奇妙で、

少し滑稽にも見える。


けれど、

そこまでして顔を消さなければ見えなかった事実がある。


私たちは普段、

顔という圧倒的な情報量に頼りすぎていて、

身体が語っていることを見落としているのかもしれない。



もし誰かに目を奪われたなら、

その理由を

「なんとなく素敵だった」

「カリスマ性があった」

で終わらせないで、

少しだけ観察してみる。

何が動いていたのだろう。

どこから始まっていたのだろう。



おそらく、

顔よりも先に、

もっと奥の方が動いていたはずだ。

そして、

あなたは無意識のうちに、

それを感じ取っていたのだと思う。



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