頭木弘樹著 「六人部屋の十三年間 病室で出会った忘れられない人たち」

晶文社 2026年5月刊

この著者のエッセイの魅力はなんだろう。自分の無意識の思い込みや、浅はかな思考を揺さぶられる感じだろうか。

難病を患っている著者の体験や日常は、入院どころか風邪も引かない頑丈な私には想像すらしたこともないことばかり。

たとえば通院には精神力もかなり必要だという。

 たとえば仕事で、「三分間だけ時間をやるからプレゼンしてみろ」と言われたら、なかなか難しいだろう。患者はそれを求められるのである。三分診療だから。

p219

え、でも準備すればいのでは? 紙に書いておく手もあるし、などと思って読み進めるとこうある。

 よく準備をしておけば、たとえ三分でも、ある程度は医師に思いを伝えられるのではないか。そう思ってしまうが、そうはいかない。温度差があるからだ。恋愛でもそうだが、一方だけ熱くなっていて、温度差が激しいと、どう気持ちを伝えたところで、うまくいかない。

p220

このように反論あるいは疑問を呈されるであろうことに対しては、もうとっくにとことん考え尽くされているのである。思いつきで言っちゃってすみません(実際に言っているわけじゃないけど)と、自分の考えの浅さ、想像力の無さを恥じる。

・・・世の中にはたくさんの難病映画がある。そのストーリーはたいてい、難病でもうじき死ぬ美少女がいて、でも明るく健気に生きていて、一方、健康なんだけど、生きる意味や意欲を失い気味の男がいて、なぜか恋仲になり、男が女性の死を悲しみ、生きる意欲を取り戻す、というような内容だ。
 つまり、死んでいく人を踏み台にして、生きる意欲を高める。そういう心理が人にはある。(中略)
 それにしても、そうした難病映画などでよくある、「オレ、彼女の分までがんばって生きていくよ」というようなセリフは、さすがにひどいと思う。(中略)
 もし私の死んだ後で、私の知り合いがそんなことを言ったら、なんとしても化けて出て、「勝手に人の分まで生きようとするな!」と言ってやりたいものだ。

p129−130

「なんとなくいい(ことにされている)話」に対して、自身の体験から、それはおかしいだろ!とメッタ斬り。私は人の分までがんばって生きようとしたことはないが、なんとなくそういうものか、とスルーしていたものに対して立ち止まる。

本書「はじめに」にあるように、入院する予定のある人、ない人、入院中の人、入院している人のお見舞いに行く人におすすめ。

「アクト・オブ・キリング」というドキュメンタリー映画が紹介されていて(p106)、その結末というか結果というか、それが衝撃的で気になっている。



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