遠野 俳句2句
大変暑い日が続いています。できるだけ秋には秋の句を投稿しようと思っていますが、多少ずれることがあります。今回はあまりの暑さゆえ東北に逃れましょう。「遠野」です。民話の古里とも言われ、柳田國男の『遠野物語』で更に全国的に知られるようになったところです。河童、座敷童(ざしきわらし)、天狗、山男などは今でも身近に語り受け継がれているようです。私が訪ねたのは結構以前のことですが、印象はかなり残っています。その当時は句を作ろうとしたものの完成させた記憶がありませんので、今回改めて完成させました。いずれも夏(晩夏)の句となります。
遠野来て河童の住まぬ川やある
*東京から訪ねると列車も乗り換えが必要で、初めてということもあって、やはりその名に違わず遠くに来たなと思いました。町中には幾本もの川が流れていますが、民話と『遠野物語』に誘われてはるばる来た者には、有名な「カッパ淵」だけではなく、遠野ならばどの川にも河童の家族が住みついているようにも感じられました。また遠野なら河童だけでなく座敷童や山男や天狗などもそこここにいても不思議ではなく、まさに遠野はどこもかしこも民話の古里でした。 なお、「遠野来て」に「遠く来て」が掛けられているととってくださってもいいかと思います。
ちいかわの座敷童や夕涼み
*「ちいかわの座敷童」というのは「ちいかわのように小さくて可愛い座敷童」という意味です。諸説ありますが、座敷童はおおむね5歳前後の男女の子供でおかっぱ頭だそうです。夜に足音を立て、枕をひっくり返したり、お供え物を動かしたりしていたずらをするようです。座敷童が住む家は栄え、いなくなるとその家は衰退するそうです。またその姿を見るのは主に子供で大人は滅多に見ることがないそうです。
旅館で夕方涼んでいると、可愛い座敷童たちもそろそろ現れて、夜中いたずらを始める前に、今はまだ大人しくちょこんと隣りにでも座って一緒に涼んでいるかもしれないねとちょっと心楽しく想像しました。かつて訪ねたときに詠んでいたならこのような形になることはなかったですね(笑)
それにしても毎日せちがらく即物的に魂をすり減らしながら生きることを要求される現代では、遠野のような非日常性を少しでも感じさせてくれる場所はますます貴重であると言えるかもしれませんね。
