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とっとりから世界へ——加藤隆志

その東京スカパラダイスオーケストラで、取り上げたい人物がいる。
ギタリストの加藤隆志くんだ。
実は私の高校の同級生だ。

1971年、鳥取県鳥取市気高町生まれ。
鳥取東高校、神田外語大学を卒業。

高校時代の加藤くんは、決して派手な存在ではなかった。
あの時代は空前のバンドブームで、みんながこぞってバンドを組み、文化祭もバンドで出演するのが当たり前だった。
そんな中、加藤くんはギターデュオで「Sound of Silence」を歌った。
正統派の演奏と歌声は別格だった。
文化祭のコンテストでぶっちぎりの優勝だった。

スカパラに入るまでは、地元・鳥取の友達と組んだ「lost CANDI」というロックバンドで活動していた。
本人はこう語っている。
「そのバンドが僕の礎になっています。そのバンドをやりながら、一人でギターの仕事をもらいながら活動していた時期があったんです」
そんな中、スカパラの川上つよしさんと青木達之さんがプロデュースするシンガーソングライター・高橋徹也さんのバックサポートを務めることになり、そこでスカパラと出会った。
出会いは1997年。
本人はこう語っている。
「初めて一緒に音を出したのですが衝撃を受けました。『プロミュージシャンってこういうことか』と肌で感じたのは、スカパラとの出会いが大きいです」
1998年、ギターの寺師徹さんが脱退し、サポートとして加入。
2年間ツアーを廻り、2000年に正式加入した。

正式加入の前年、1999年に大きな出来事があった。
ドラムの青木達之さんが急逝した年だ。
加藤くんはサポートとしてそのツアーに参加する予定だった。
本人はこう語っている。
「僕はその時『このツアーはキャンセルだな』と勝手に思っていたんです。その日に事務所の会議室に呼ばれて、メンバーの会話を聞いたのですが、誰一人としてツアーを止めようと言わなかったんです。ドラムがなくても、リズムマシーンでもやろうみたいな話をしてて。『何だこのバンドは!』って思いました」
このときの衝撃を、加藤くんは「プロミュージシャンとしての原点はスカパラのメンバーですね」と振り返っている。

Threads投稿には、読者の方からも貴重なエピソードが寄せられた。
加藤くんがサポートメンバーのオーディションを受けたとき、メンバーを睨みつけていたという。
その眼差しが印象に残り、合格につながったというのだ。
別の方からは、メンバーの一人がお酒に呑まれるような飲み方をしていたとき、加藤くんが胸ぐらを掴みながら「酒をやめろ」と説得したというエピソードも寄せられた。
高校時代は決して目立つタイプではなかった彼が、こんな熱さを持っていたとは知らなかった。

ちなみに「加藤チャーハン」という呼び名がある。
中村達也さんが名付けたものだが、由来は「加藤茶」さんからではないかという説を、読者の方が教えてくれた。

加藤くんが長年使い続けているギターが、フェンダー・カスタムショップのシグネイチャーモデルとして製品化された。
通称「流木(RYUBOKU)」。
フェンダー・カスタムショップのシグネイチャーモデルを持つ日本人ギタリストは、布袋寅泰さんなど数えるほどしかいない。

快挙はギターだけじゃない。
2013年、日本人として初めてコーチェラ・フェスティバルのメインステージに立った。
前年のメキシコでのライブを、主催者がたまたま観ていたことがきっかけだった。

そして2026年6月、加藤くんは
「とっとりふるさと大使」に就任した。
任命式の会場には、鳥取和牛や鳥取のスイカが並んでいたという。
私が住む、鳥取県の大使だ。
本人はこう語っている。
「いろんな土地に行った。遠くに行けば行くほど、ふるさとへの思いがどんどん強くなる」
「50歳を過ぎ、ふるさとに恩返しできないかと考えていた。お客さんとかにも鳥取の良さを伝えるのが本当に楽しい」

世界中のステージに立ち続けてきた男が、ふるさとを語るとき、その言葉に少しも気負いがなかった。
高校時代、ただ静かにギターを弾いていた同級生は、結局ずっと変わっていなかったのかもしれない。

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