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文通相手には会わなかった方が良かったかもしれない

 パートナーとの馴れ初めを訊ねた時に、訊ねられた人がゴニョゴニョと口の中で「オンラインデーティングで…」とか「オンラインゲームで…」とか答えて下さっていたのはもうひと昔も前のことである。

 昨今では、あたかもそれがデフォルトでもあるかのように、堂々と、「ネットで知り合って結婚しました」、と言う人も増えて来た、というどころか、「職場で出会った」とか「友人の紹介で」というような現地調達型のカップルには滅多に遭遇出来ないのである。

  それもそのはずで最近は四割近くのカップルがオンラインデーティングで知り合っているということである。友人の紹介による交際は2013年から減少の一途を見せているようである。

 以前の私はオンラインデーティングというものに対しては、かなり懐疑的であった。


 お互い一目惚れしたカップルがそのまま寄り道することなくゴールインすれば万事如意なのであろうが、現実はそう甘くない。数人の候補と話をしたり、実際に会ってみたりして、最終的に一番フィーリングの合う人を選んで真剣にお付き合いを始めたり結婚まで漕ぎつけたりする。

 しかし、最終的に一人に絞るまでの過程は自ずと同時進行となる。その論理は一応理解できるが、私にはどうもその過程が不誠実に感じられ、受け入れられそうにもない。

 この地球上には孤独を感じている人は多く、また滅多に人と接触する機会を持たない人も多い。そのような人にとってはオンラインデーティングは救いの媒体かもしれない。

 またオンラインデーティングには、今の時代、世界中の人と知り合う機会がある、という夢もある。私の周りのオンラインデーティング組の半数は外国から奥方を調達している。

 
 オンラインで未知の人と知り合うという可能性が少なかったころ、学生向けの通信教育の一環として、他の生徒と文通が出来るコーナーがあった。そこで私も気の合った一人の少女と一人の青年と文通をしていた。

 能登半島の少女と東京の青年であった。能登半島の少女の自宅には泊まりにまで行った。彼女の家庭は枕を使わぬ習慣があり、客の私まで枕無しで寝かされたこと、また、彼女と一緒に眺めた羽咋千里浜の深紅の夕焼けは、今でも非現実的なものとして時おり回想される。


 東京の青年と会った時のことは、今でも少し痛みを伴いながら思い出される。会った場所は、今は閉園してしまった遊園地だった。当時はところどころに長蛇の列が見られた。

 初めて会ったこの青年は長身で見栄えも良かった。しかし非常に寡黙であった。雄弁な男性は苦手だが、寡黙にも限度がある。アトラクションごとに一時間以上並んでいる間、彼はただの一言も発しなかった。

 その青年と文通をしている時は、紙上においてはそこそこ話題もあった。しかし、無言でずっと正面を向いている人と一緒に過ごす長時間は苦痛以外のなんでもなかった。多少図々しくなった今では、私から話題を振りかけることも可能であっただろう。しかし、交際しているカップルの存在が学年中の噂になるような田舎の高校に在籍していた当時の私は、男性にはまったく免疫が無かった。

 家に帰って数日経ったあと、私は思い切って筆を取った。

 そして、「文通はこれで終わりにしましょう」、という主旨を綴った手紙を東京の青年あてに送った。果たして青年からは、非常に逆上した返信が長々と綴られてきた。

 この青年が、実際に会った時にもこのぐらい雄弁であれば次回もあったかもしれないのに、と遺憾に感じた、が無言の気まずい長時間を思い出すと文通を続ける気にはなれなかった。

 しかし、そもそも何故、東京の青年と会うことにしたのだろうか。

 お付き合いを前提としていたのであろうか。おそらくそれは違う。片道二時間も掛かる東京の人とお付き合いをする気はさらさら無かった。青年がどのようなつもりであったのかは測りかねる。


 
 それからはしばらく文通という行為からは縁遠くなっていた。

 しかしある日、大人になってから、思いがけないことから「文通」が始まった。


 
 私は空の旅が苦手である。

 最近はかなり緩解されて来たが、一時はかなりパラノイア状態に陥っていた。私はその飛行恐怖症を克服するための情報をネットで検索することが多かった。そんな時に、一人の日本人飛行士のホームページに行き着いたのだ。

 同氏は美しい大空と操縦室の写真をホームページに載せて、「この大空の中に翼を伸ばしている時が至福の時間だ」、というようなことを書きつけられていた。

 私は一瞬の迷いも無く、ホームページの下に記された彼のメールに連絡を取ってしまった。

「貴方様のホームページを拝見いたしました。羨ましくはありますが、私は飛行が非常に苦手です。どのように克服したらよいのでしょう」、と。

 今になってみれば、そのような不躾なメールをもらったら変人と思われ、ブロックされても不思議はなかったかもしれないが、その飛行士は丁寧に返答を下さった。

 どうしたら克服出来るのか、に対する回答は頂けなかったが、ゆったりとした世間話があった。私は少し拍子抜けをした。つかみどころのない感じの方であった。

 私たちの文通はそれから何となく始まった。

 それでも、その飄々とした飛行士は、私が落ち込んでどん底にいる時などは、「人間関係、ボタンの掛け違いで狂ってしまうこともありますからね。でもボタンを掛けなおすことはきっと出来ますよ」、などと、さりげなく元気付けようとする思いやりもあった。

 彼は欧州に飛ぶ時が時々あった。

「一度欧州で会ってみませんか?」、ある日、彼はそう提案した。

 
 彼には奥様も娘もいる。
 しかし既に数年間も文通している文通相手同志が会って話をするのに何の差支えがあるであろう。

 私はマドリード行きの航空券とホテルを予約した。

 彼のスケジュールが土壇場で変わったが、私の航空券とホテルの予約は変更できなかったので、結局、当初の予定の二日間ではなく一晩だけの逢瀬となった。

 昼間、一人で待ち遠しくマドリードの街を歩き、ホテルに戻りシャワーに入っていた時にフロントから電話が鳴り響いた。

「オラー、お客さんがロビーでお待ちしています」

 シャワーの真っ最中である。しかし多忙な人を待たせても申し訳ないため、非常に不本意であったが、髪も振り乱してロビーへ降りて行った。

 彼に関する記事を航空業界の機関紙で拝見していたので、背が低い方だと思い込んでいたが、会ってみたらさほど背も低くはなく、健康的な顔にはソバカスが好感を醸し出していた。少年のように可愛らしい方だとの印象を受けた。私よりは五歳ぐらい年上であっただろうか。

 ホテルの近くのレストランにてご馳走を頂いたあと、私たちは夜のマドリードを徘徊した。昼間は旅行者や芸人で賑わっていたマヨール広場もその時刻には静まり返っていた。

 私は、彼が今後展開しようとしていた航空事業に関して興味深く耳を傾けていた。より迅速な人命救助を可能にするためのプロジェクトであった。

 一緒に歩いている間の彼の印象は、メール同様、悠然としていた。彼は愚痴も一切こぼさない。娘が自分と口を利かない、とぼやいた時の声には多少寂寞の音が聞き取れたが、その他にはあまり自分の感情というものを表さない。

 実物の彼は、メールの文面からにじみ出ていた聖人の印象を裏切らなかった。

 さて、私のホテルのロビーで別れの挨拶をしようとした時、彼は言った。

「僕はこれからタクシーで空港のホテルまで戻ります。とても広くてきれいなホテルですよ」

 そこで彼は珍しく私の顔に真っすぐな視線を重ねた。

 私は次に発せられる言葉が、私の想像するようなものでないことを一瞬願った。

 

 

 しかし、彼の口から発せられた言葉は、果たして私が懸念していたものであった。

「一緒にいらっしゃいませんか?」

 ソバカスに飾られた健康そうな頬は多少綻んでいた。

 私の表情はそれと反して固まっていたに相違ない。

  聖人、そして、実際にお会いしても期待を裏切らない人
   既婚男性、しかしパートナーには知られる由もない
    今晩始めて会った人、しかし何年間にもわたる心の友
     空港は遠い、明日の観光には街の中心のこのホテルのほうが便利
      
  何年ものプラトニックな美しい文通、壊したくない
 
 しかし…   


 

「残念ですが…」
 
 通常は、なかなかNoと言うことが出来ない私であった。

 
 その返答を確認したあとでも、彼の表情に落胆の色は見られなかった。ソバカスは相変わらず愛嬌に溢れている。

 私は文面の中の彼もその実物も嫌いではなかった、むしろ好感の持てるタイプであった。


「ようやくお会い出来たのに残念ですね」

 彼はそう言うと笑顔で握手を求め、ロビーをゆっくりと出て行った、飄々と。

 
 こうして私たちの数年間の文通は終止符を打った。
 
 私はそれを後悔しているか。
 文通が止まってしまったことに関しては、後悔している。

 しかし、仮に彼に付いてホテルに行っていたとしたら、

 文通はやはりそこで終わっていたであろう。

 私たちの文通は文通のための文通であったのだから。

 すなわち、私たちの、少なくとも、私にとっての文通は、それによる余白を愉しむものであったのかもしれない。そしてその余白は、常に無損であり、静謐であるべき領域だったのだ。


 最近、くだんの飛行士から一通のメールを頂いた。

「先日、ストックホルムまで飛びました」、と書かれたそのメールと一緒にストックホルムの写真が添付されてあった。すでにストックホルムを去ったあとに連絡を下さったのは何故であろう。あとになって思い出したのか、それとも…。

 添付された写真がかなり傾いているところが、ソバカスに覆われた彼のはにかんだ顔を懐かしく思い出させた。