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コンセプターの始まり_1

僕はよく「デザイナーですか?」と聞かれる。
だが、正確には違う。もちろん絵は描ける。でも、あえて描かない。
なぜならデザイナーが線を引いた瞬間、発想は〝自分の描けるスキルの範囲〟に閉じてしまう。
僕は、もっと広くイメージを拡張したい。
だから、自分の仕事を「デザイナー」ではなく〝コンセプター〟と呼んでいる。
長年、数えきれない現場でこの肩書きを使ってきた。
そもそも〝コンセプター〟は、僕と友人が発明した言葉だ。
僕の役割は、デザインより前、企画より「上流」にある。まだ誰も言語化していない価値を見つけ、入口をつくり、形にする。
要は未定義の市場に〝0→1の扉〟を開ける仕事だ。
このコンセプターという仕事が何なのか。
それを初めて確信したのが、1983年の日産自動車との出会いだった。
当時の僕は40歳で、車に特別な興味もなく、免許すら持っていなかった。
だからこそ日産は、むしろ〝外の人間〟としての僕を面白がったのだと思う。
僕がいたファッション・ビジネスの世界は、いまのIT業界のように、誰でも起業できる新興産業だった。
一方、自動車産業は国家権力にもっとも近い〝重厚長大〟の代表格。
価値観は真逆で、僕はトヨタとホンダの違いすら語れなかった。
まさに未知の領域だった。
おそらく日産のカーデザイナーたちも、僕らを「異星人が来た」と思って見ていたに違いない。
日産からは、当初マーチのリニューアル・プランの提案をWATER STUDIO(ウォータースタジオ)に求められた。
当時は日産のマーチと、ホンダのノッポのシティーがリッターカーとして同じセグメントにいた。
だが僕らは、単なるデザイン案を出すつもりはなかった。
そこで僕が行ったのは、次のようなことだった。
 
 
WATER STUDIOは、坂井直樹が1972年に創立(後にWATER DESIGNに社名変更)。87年、日産Be-1(ビー・ワン)、89年にはPAOを世に送り出し、フューチャーレトロブームを巻き起こす。

1.  根回しの構造設計
 大企業では、どれだけ優れたデザインでも、経営者(最終意思決定者)まで届かなければ採用されない。
そのためには、キーマンを見つけ、重層的な説得の構造をつくることが必要だった。
当時の日産では、園田善三副社長を、清水潤氏(後のデザインセンター長)と渋江建男氏(デザインセンター)が説得する。
そして櫻井眞一郎氏(スカイラインの産みの親)も園田副社長を説得した。山本明氏(電気技術の部長)も横から応援した。
この多層的な根回し(説得)の構造づくりに成功したことで、プロジェクトは動き始めた。続く→ 来週火曜日 →[コンセプター_2]

ピークではなく、谷を歩く。
Walking the Valley — A Life Built with Failureから引用
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