最期に記憶に残ること
遠方に住む私の祖母に家族で会いに行ってきました。
ほんの1年前までは、一人暮らしで、ご近所のお友達と遊びに行くほど元気だったのですが、転んで骨折してしまったことを切っ掛けに今は施設に入居していて、認知に支障をきたしつつあります。
曾孫たちのことはもちろん、何度も会っている我が夫のことも覚えておらず、私のことはかろうじて小さい時の姿を記憶しているようでした。
おばあちゃんはゴルフ場のキャディーさんの仕事をしていました。
「お給料がいいから募集したら20人くらい集まってね。でも残ったのはたった3人だった。こんな平らなところじゃなくて、坂の急なところだからね。ゴルフクラブを背負って歩くの。みんなきつくて、やめちゃったんだよ。おかあさんはそこで何年も働いたんだよ」
この話を、1時間ほどの面会の中で4回くらい…
でも…
この話、まだ記憶がはっきりしていた頃にも何回もしていたなぁ!
大変な仕事でも、一生懸命働いた。
おばあちゃんの人生の中で、たとえ記憶が曖昧になっても、忘れることのない誇れることの1つなんだろうと思います。
おばあちゃんは、よく、何十年も前に別れて数年前に旅立ったおじいちゃんのことを愚痴っていました。
おじいちゃんのお葬式でさえ、
「生きてる時は何にももらえなかったからね!お香典全部もらって逃げようかな!」
なんて言っていたくらい…
(面白いおばあちゃんでしょ)
そんなおばあちゃんだけど、色んなことを忘れてしまった今、残っているのは、誰に対しての愚痴でもなく、悪口でもなく、恨みでもなく、「自分が一生懸命に働いていたこと」っていうのが、客観的にすごくいいと思うんです。
おばあちゃんのループする話を聞きながら、同時に、
「もし将来自分が、こんなふうに色んなことを忘れてしまった時、さいごまで語ることって何なんだろうなぁ」
そんなことを考えていました。
それが何なのかは、その時の私には解らない訳ですけれど、おばあちゃんのようだったらいいなぁと思います。
話しをしているうちに誰だか解らなくなっているであろう目の前の曾孫たちに、「めんこいねぇ」「大きくなったねぇ」と笑い掛けている、92歳のおばあちゃん。
この人の血が、私にも、子どもたちにも受け継がれているのだと思うと、ただ嬉しいのです。
今回は以上です。
お読みいただきありがとうございました。
