駐車場の缶ビール
19歳の息子は、今、浪人している。
去年、第一志望に届かなかった。
あの春から、彼はもう一度、
助走をつけ直している。
ある日の予備校帰りの夕方。
隣のコンビニの駐車場で、スーツ姿の男が
三人、ビールを飲みながら大声で笑い、空き缶を道路に向かって放り投げていたらしい。
周りの人は迷惑そうに見ていた。
息子は中学一年から高校二年の終わりまで、
ボクシングをやっていた。
別に喧嘩っ早いタイプではない。
むしろ普段は淡々としている。
ただ、少しだけ向こう気が強いところがある。
だからその日も、
周りが目を逸らす中で、
一歩前に出たのだと思う。
「何やってるんですか、迷惑っすよ。」
相手は笑いながら言ったらしい。
「ああ、後で拾うよ。」
息子は言った。
「いや、今すぐ拾ったらどうですか。」
「・・・」
少しの間があって、
男たちは缶を拾いに行った。
それで終わり。
家に帰ってその話をしたら、
妻はすぐに言った。
「そんな変なことに首突っ込まないで。
喧嘩になったらどうするの?」
母親として、正しい。
本当に正しい。
息子は言った。
「周りの人ら迷惑そうやったし、
誰か言わんとあかんやろ。
ていうか、俺、別に悪くないやろ。」
間違っていない。
今回の彼の行動は、間違っていない。
でも僕は、その夜、少しだけモヤモヤした。
丸一日、頭のどこかでぐるぐると考えていた。
缶ビールを投げていた三人組も、
きっとその日、何か『やるせないこと』が
あったのだと思う。
仕事かもしれないし、家庭かもしれない。
社会の風に吹かれて、どこにもぶつけられない何かを抱えていたのかもしれない。
19歳の息子は、まだ社会に出ていない。
もちろん思春期の悩みはある。
でも「社会の風」に真正面から当たったときの痛みとは、少し種類が違う。
今回の息子の行動は間違ってはいない。
それでも僕は思った。
これから先の人生で、息子にもきっと、
コンビニの駐車場で大声を上げて、
缶ビールを放り投げたくなる、
そんな『やるせない日』が来る。
絶対に来ると思う。
その時に、今回缶ビールを投げていた人の
気持ちも、少しは分かるようになって欲しい。
そしてその時、息子の近くに寄り添って
優しく声をかけてくれるのは、
もしかしたら、今回の三人組のうちの
誰かのような、一度どこかでハメを外した
ことのある大人かもしれない。
翌日、その話を少しだけ息子にした。
そして最後に言った。
「間違っても、昨日のことを
武勇伝みたいにしゃべるなよ。」
息子は言った。
「わかってるわ。
そんなダサいことせえへんよ。」
親バカかもしれないけれど、
男としては、まず合格点かなと思った。
そして同時に、
僕自身もまだ、男としても父親としても、
途中なんだな、と感じた。
浪人生の帰り道より、
44歳の帰り道のほうが、
少しだけ、風は複雑だ。
でもできれば彼には、
正しさを忘れずにいてほしい。
そして、いつか
少しだけ正しくいられなくなった日も、
誰かに優しくしてもらえる人間であって
ほしい。
