「答えのない問いを抱え続ける力(ネガティブ・キャパシティ)」Part2
現代人が抱える「生存の虚無」と知性の退化を越える処方箋Part1の続きになります。
フランクルが示した「同調」と「服従」の罠を打ち破り、「システムという幻影を離れ、生の摩擦の中に主体性と精神性を取り戻す」という問いを、アート、文学、映画、絵本などの具体的表現へ昇華させ、過去の巨人やAIを超革新(ブレイクスルー)していくためには、システムという巨大な幻影の中で「思考停止」していた人々の皮膚を揺さぶり、「自分は生きているのだ」という恐怖と歓喜を同時に思い出させる「覚醒装置」となるはずだと思える。
「人間側の限界」
利便性と快適さの麻薬性
システムが提示する「利便性」「安全」「不快の排除」は、人間の生存本能に直接訴えかける強い麻薬となってしまう。
先人たちがシステム(近代文明・効率主義・知性の外部化)に抗いながらも、結果的にそれを止めることができず「敗北した」あるいは「回収された」ように見えるのには、時代の構造に根ざした明確な理由があった。それは、「反逆」すらもシステムの商品(コンテンツ)として消費され、システムは彼らの危険な思想や「生の摩擦」すらも「刺激的なアート作品」「面白いカルチャー」としてパッケージ化し、商品として流通されてしまう。 反逆のポーズそのものがシステムに買い取られ、安全な娯楽へと無毒化される。ソーローや三島由紀夫は、システムから脱走しようとして敗れた(あるいは摩擦の中で散った)
アンディ・ウォーホルなどは、システムの悪魔的完璧さに完全に同化することで、その空虚さを暴いて見せた。
先人たちの「敗北」の先にある、私たちの時代の優位性
しかし、彼らの試みは無駄な歴史ではない。先人たちの「敗北」を踏まえることで、現代の私たちだけが持っている決定的なアドバンテージが見えてくる。
1.AIという「完璧な鏡」の出現
かつての先人は「人間の知性や精神とは何か」を曖昧な感覚で語るしかなかった。しかし現代には、人間の過去の知をすべて模倣するAIが出現し、AIが存在するからこそ、「AIには絶対に置き換えられない純度の高い人間性(摩擦・痛みの領域)」が歴史上最も鮮明に浮かび上がっている。
2.システムの全貌が見えてきた現在
先人たちは暗闇の中でシステムと戦っていたが、私たちはすでにシステムが人間をどう去勢し、虚無に追い込むかの「結末」を知っているかと思う。
先人たちの敗北は、「外側からシステムを叩き壊そうとしたこと」にあった。
今、私たちが求められているのは、システムを破壊することではなく、「システムを使いこなしながら、自分の内側にシステムが手出しできない「生の摩擦の聖域」を密かに保持する」という新しい生き方の提示であり、それこそが現代における真の表現(ブレイクスルー)になるかもしれない。
(更に、次回に続く)※投稿日未定
補足※映像や文献の多くは「システムがいかに人間を侵食しているかという告発」で終わってしまい、そのシステムの中で生きる私たちが、今日からどうやって地に足をつけ、生の摩擦を取り戻して生きるのか?という実践的・日常的な処方箋(生き様の提示)までは至っていないものが多い。(システムの異常さを鋭く可視化・言語化することには大成功している)
こうした映画や文献などが描き出した「絶望の診断書」を踏まえた上で、その先にある「希望(泥臭い生の手触り)」を投じるための重要な空白地帯に位置しているかの問いかけは続くだろう。
ただ問題なのが、「言葉(システム)」から「生き様・身体」への飛躍 、それをただの「テキスト(情報)」として終わらせず、私自身の生活、手作業、作品、あるいは逃れられない「生の摩擦」という実体へどう落とし込むかなのです。つまり、わたしがどの領域に足を踏み入れ、何を手で創り出していけるのかです。「密かな聖域」が単なる「自己満足の逃避」になってしまうのは避けたいわけです。
