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僕たちを縛っていた常識はコロコロ変わる

「普通はこうするものだ」

私たちは、いつの間にかそんな言葉に縛られて生きている。

学校では勉強する。
卒業したら就職する。
会社に入ったら定年まで働く。
結婚して、子どもを育て、家を買う。

そして、安定した会社に入って、毎月給料をもらい、銀行にお金を預けておけば安心。

少し前まで、多くの人が当たり前のように信じていた生き方だ。

しかし、冷静に考えてみると「常識」というものは、驚くほど簡単に変わっている。

しかも、その変化は数十年単位ではない。

わずか10年、20年で、昨日までの「普通」が今日には古い考え方になっていることすらある。

だから私は、今の常識だけを見て、自分の人生を決めてしまうのは少し怖いと思っている。

ガラケーからスマートフォンへ


分かりやすい例が携帯電話だ。

少し前まで、日本ではガラケーが当たり前だった。

電話をして、メールを送る。

写真を撮る。

着メロを設定する。

それだけでも十分便利だった。

「携帯電話なんて電話とメールができればいい」

そんな感覚を持っていた人も多かっただろう。

ところがスマートフォンが普及すると、状況は一変した。

電話やメールだけではない。

SNS、動画、地図、ネットショッピング、銀行、証券取引、ニュース、ゲーム。

今ではスマートフォン一台で、昔なら何台もの機械やサービスが必要だったことができてしまう。

そして面白いのは、スマートフォンが登場した当初から、現在の生活を完全に予想できていた人はほとんどいなかったということだ。

つまり、

「今はこうだから、これからもこうだろう」

という考え方は、案外あてにならない。

中学生の部活動だって変わる


学校生活にも同じことがある。

「中学生になったら部活に入る」

そんな時代を経験した人も多いだろう。

放課後になれば学校に残って練習する。

土日も部活動。

顧問の先生が指導する。

大会を目指して毎日練習する。

それが「普通の中学生」の姿として語られてきた。

しかし現在は、部活動の地域移行などによって、その形そのものが変わり始めている。

「学校の先生が部活動を指導する」という仕組みも、永遠に続くものではない。

これも少し前までなら、

「そんなことができるのか?」

と思われたかもしれない。

しかし、社会が変われば、学校の仕組みも変わる。

「昔からそうだった」という理由だけでは、未来の形を決めることはできない。

仕事の仕方も変わった


仕事も同じだ。

少し前まで、

「会社に行って働く」

というのが当たり前だった。

朝に家を出て、電車に乗り、会社へ行く。

決められた時間まで働き、帰宅する。

これが一般的な働き方だった。

ところが、パソコンやインターネット、クラウド、オンライン会議などが普及すると、その前提が崩れ始めた。

会社に行かなくても仕事ができる。

自宅で働く。

カフェで仕事をする。

オンラインで会議をする。

副業をする。

フリーランスとして働く。

会社に所属しながら、別の収入源を作る。

さらにはAIの発達によって、「人間がやっていた仕事」の一部まで変わり始めている。

10年前には当たり前だった仕事のやり方が、10年後にはまったく違っている可能性だってある。

それなのに私たちは、ときどき現在の働き方を「永遠に続くもの」のように考えてしまう。

投資だって、昔とは違う


そして、お金の世界も大きく変わった。

昔は「投資」と聞くと、一部のお金持ちや専門家がやるものというイメージが強かった。

株を買うには証券会社へ行く。

株価を確認するために新聞を見る。

企業の情報を集めるのも大変。

今とはまったく違う世界だった。

しかし現在では、スマートフォンから証券口座を開設し、株式を売買できる。

少額から投資できる商品も増えた。

NISAのような制度も整備され、投資を始めるためのハードルは以前より下がっている。

つまり、

「投資は一部のお金持ちがやるもの」

という常識そのものが変わってきた。

もちろん投資にはリスクがある。

株を買えば必ず儲かるわけではない。

むしろ、知識のないまま大きなお金を投入すれば、大きな損失を出す可能性もある。

それでも、「投資という選択肢を持てる人が増えた」という事実は大きい。

昔なら「給料をもらって貯金する」ことが資産形成の中心だった人でも、今では「働いて得たお金を投資に回し、資産にも働いてもらう」という考え方ができるようになった。

これも時代の変化だ。

「普通」は誰かが作ったもの


ここで考えてみたい。

そもそも「普通」とは何なのだろうか。

実は、普通というものは自然界に存在しているわけではない。

社会の中で、多くの人が同じ行動をするようになり、それがいつの間にか「普通」と呼ばれるようになる。

つまり、常識とは、その時代の人々が共有しているルールのようなものだ。

そしてルールである以上、変わる。

昔はスマートフォンがなかった。

今ではほとんどの人が持っている。

昔はオンライン会議など珍しかった。

今では普通に使われている。

昔は投資を始めるハードルが高かった。

今ではスマートフォン一つで始められる。

昔は「一つの会社で定年まで働く」という生き方が強かった。

今では転職、副業、フリーランスなど、選択肢が増えている。

時代が変われば、普通も変わる。

だから「今の常識」に人生を縛られすぎない


これは何も、

「常識なんて全部無視すればいい」

という話ではない。

常識には、先人たちが積み重ねてきた知恵も含まれている。

ルールを守ることも大切だし、社会の中で生きていく以上、他人との協調も必要だ。

ただし、

「みんながそうしているから」

という理由だけで、自分の人生まで決めてしまう必要はないと思う。

特に気をつけたいのが、

「昔はこうだった」

という言葉だ。

昔はスマホがなかった。

昔はネットで買い物をする人も少なかった。

昔は在宅勤務なんて一般的ではなかった。

昔はNISAもなかった。

昔は今とは違う社会だった。

だから「昔の常識」をそのまま現在に持ち込むと、どうしてもズレが生まれる。

そして未来は、さらに変わっていく。

10年後の「当たり前」は何だろう


考えてみると面白い。

10年後には、今当たり前だと思っているものの中にも、消えているものがあるかもしれない。

逆に、今は「そんなことある?」と思っているものが、普通になっている可能性もある。

AIが今以上に仕事へ入り込んでいるかもしれない。

現金をほとんど使わない社会になっているかもしれない。

働き方がさらに柔軟になっているかもしれない。

今は存在しないサービスが、生活に欠かせないものになっているかもしれない。

そして、その変化を見た未来の人たちは、

「昔の人はそんなことをしていたの?」

と笑うかもしれない。

私たちが今、昔のガラケーを見て「懐かしい」と感じるように。

常識は、私たちを守ることもあれば、縛ることもある


常識には二つの側面がある。

私たちを守ってくれる側面と、私たちを縛る側面だ。

「こうするべき」

「普通はこう」

「みんなそうしている」

「そんなことは無理」

こうした言葉を聞いたとき、一度だけ立ち止まって考えてみてもいい。

それは本当に「絶対に変わらないもの」なのか。

それとも、

「今の時代ではそうなっているだけ」

なのか。

ガラケーからスマートフォンへ。

学校の部活動のあり方も変わる。

会社に毎日通う働き方も変わる。

そして、お金との付き合い方まで変わってきた。

これだけの変化を経験してきた私たちが、なぜ「これからも今と同じだ」と考える必要があるのだろう。

未来は、現在の常識の延長線上にあるとは限らない。

むしろ、現在の常識が大きく崩れた先に、新しい「普通」が生まれる。

だからこそ、私は「常識を疑う」という姿勢を持っていたい。

何も考えずに常識に逆らうのではない。

なぜ、それが常識なのかを考える。

そして、本当に自分に必要なのかを考える。

その上で、自分に合った選択をする。

社会が変われば、正解も変わる。

昨日までの非常識が、今日の常識になることもある。

そして今日の常識が、明日の非常識になることもある。

我々を縛っていた常識は、思っている以上にコロコロ変わる。

だったら、自分の人生まで「昔から決められた普通」に合わせ続ける必要はない。

時代が変わるなら、自分も変わっていい。

むしろ、変化できる人のほうが、これからの時代を自由に生きられるのかもしれない。

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