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みんな古文の勉強法、間違えてます。──「外国語として学ぶ」をやめたら、古文はもっと面白くなる

はじめまして!
東大生がつくる国語特化の個別指導「ヨミサマ。」代表の神田直樹です!

高校に通わず、完全独学で東京大学に合格し法学部を卒業後、McKinsey & Companyでコンサルタントを経て、ヨミサマ。を作りました。

さて、今回の記事は、ヨミサマ。としてはちょっと珍しく「古文」の話をしていこうと思います。

先日、YouTubeの収録で『古文単語315』(桐原書店)を手に取りながら話をしていたのですが、収録後に改めて思ったことがあります。それは、
「古文が苦手な子のほとんどは、古文の勉強法そのものを間違えている」
ということでした。

「間違えている、とまで言い切ってしまうの?」
と思われるかもしれません。

しかし、これは私が受験生時代から現在に至るまで、多くの生徒さんを見てきて確信していることでもあります。今回はその「勘違い」の正体と、そこから抜け出すためのヒントについて書いていこうと思います。


なぜ、みんな古文でつまずくのか

早速結論から入りましょう。
多くの受験生・保護者様が古文でつまずいてしまう最大の理由は、
「古文を、英語と同じような”外国語”として勉強してしまっているから」
だと私は考えています。
実際、多くの生徒さんの勉強の様子を見ていると、

  • まずは単語帳をペっぺっとめくって、単語を1対1対応で覚える

  • 次に文法書で活用や助動詞を頭に叩き込む

  • そして問題集を開いて、いざ入試レベルの文章にチャレンジする

という流れを取っています。
まさに英語学習と同じ順序です。

ところが、いざ入試問題を開いてみると、まったく歯が立たない。
このパターンで悩んでいる生徒さんは、本当に本当に多いのです。

ここで一度、冷静に考えてみていただきたいのです。
もし本当に「古文=外国語」なのだとしたら、古文で苦労する意味がわからないはずなんです。

たとえば、大学受験の英単語であれば、上位校を目指すのなら7,000〜8,000語程度の語彙が必要と言われています。 一方で、古文単語は『古文単語315』が示している通り、関連語まで含めても600語ちょっと。英単語の10分の1以下しかありません。

しかも文法にしても、英語は日本語との連続性がほぼゼロなのに対し、古文は現代日本語との連続性が確実に残っています。 それなのに、なぜみんな古文でこんなにも苦労してしまうのか。

答えはシンプルで、
古文は英語とは「まったく別の難しさ」を持った科目だから
なのです。

「単語=意味」の1対1対応という問題

古文が英語と異なる、決定的なポイントの1つ目は、
「単語と意味が1対1対応にならない」
ということです。

英単語であれば、ある程度のレベルまでは極端に言えば
apple=りんご
plant=植物
のように、1対1で覚えていけばなんとかなる場面が多い。
(もちろん、これは”ある程度”のレベルまでであり、英語ですらこのような1対1対応的な世界観では早晩限界が来るとは思いますが)

だから英単語帳は、赤シートで隠しながら「この単語=この意味」とペっぺっと覚えていく作りになっています。見開きで10単語程度を覚えるような作りになっているものが多いと思います。

しかし、これを古文で同じようにやると、致命傷になります。
たとえば「ありがたし」。
この単語の意味を、皆様はいくつ挙げられるでしょうか。

  • 珍しい

  • (珍しくて)素晴らしい

  • 滅多にないほどひどい

  • (存在することが)難しい

……といったように、現代の私たちからすると真逆にすら思える意味が、1つの単語のなかに同居しています。

なぜかと言えば、古文単語というのは、より時代による意味の変遷や、当時の文化・常識に根ざして成立している言葉であるためです。

もちろん様々な意見はあると思いますが、現代における日本と英語圏との文化・風俗の差異に比べれば現代日本と平安時代の日本の差異の方が大きいのではないかと僕は思っています。

だからこそ、「ありがたし=珍しい」と一問一答的に覚えてしまうと、 文章のなかで意味が通らなくなった瞬間に、その先の読解がすべて崩壊してしまう。 そして特に入試で問われるのは、まさにその「一筋縄ではいかない部分」ばかりなのです。

古文単語で本当に大切なのは、その単語が持つ”語源的な、大元の意味”を押さえること

「ありがたし」であれば「(そもそも存在することが)滅多にない」というコアイメージがあり、そこから意味のレンジが広がっていく。 このコアさえ掴めていれば、文脈に応じて「珍しい」にも「ひどい」にも柔軟に振れるのです。

その意味で、『古文単語315』はよくできた本だと思っています。
1つの単語にしっかりスペースを割き、語源やコアイメージを文章で丁寧に説明してくれる。さらにイラストで視覚的に印象づけてくれる。

私自身、10年経った今でも「あ、あのページのあのイラストの単語だ」と思い出せるものがいくつもあります。

人間は、単語の意味を厳密な言葉ではなく、”手触り”や”ふわっとしたイメージ”として理解しているもの。そのイメージを掴むのに、この単語帳の設計はとても優秀だと感じています。

敬語だけでは、主語は決まらない

古文が英語と異なる、もう1つの決定的なポイント。
それが「主語同定」の難しさです。

英語であれば、主語がわからずに悩む場面はそう多くありません。

ところが古文では、
「この動作、いったい誰がやっているの?」
「この発言、誰が誰に向けているの?」
という問いが、頻繁に立ちはだかります。

学校の授業では、「主語同定は敬語で判断する」と教わることが多いですよね。 もちろんそれは間違いではありません。ただ、私自身が受験生として、そして講師として多くの生徒を見てきた立場から言うと、 敬語で主語がクリアに決まる場面は、実はそこまで多くありません。

古文の世界は、皆様ご存知の通り、けっこう人間関係がドロドロしています。 登場人物が2人しかいなくて、しかも身分差がハッキリしている──というシンプルなシチュエーションであれば、敬語で判別しやすいでしょう。

しかし実際の古文では、複数の登場人物が入り混じり、噂話のなかにまた別の人物が現れ……ということが日常茶飯事。 そうなると、敬語だけでは主語は決まりません。

では、何で決まるのか。 それは「論理」です。

たとえば「ある男が別の男に拳銃を撃った。のた打ち回っている」という文章があれば、敬語がなくても、のた打ち回っているのが誰かは自明ですよね。

古文もこれとまったく同じで、
「こういう発言をされたのだから、次の反応はこの人だろう」
「こういう文脈だから、動作主はこの人物だろう」
という論理を積み重ねて主語を追いかけていく必要があります。

大学側だって、機械的な敬語の当てはめだけで解ける問題を作りたいわけではありません。
むしろ、古文を通じて論理的に文脈を追いかける力を測りたいと考えているからこそ、敬語だけでは処理できない問題を出してくるのです。

それでも古文が難しいのは、「論理」が現代と違うから

ここまで読んでくださった方は、こう思うかもしれません。 「なら、現代語と同じように論理で追いかければいいんじゃないの?」と。
ところが、ここに古文最大の関門があります。 古文の世界の”論理”は、現代の私たちの論理とは、そもそもの前提が違うのです。

  • 方違え(かたたがえ)のような、現代からすると不可解な風習

  • 貴族社会における一夫多妻がごく当たり前という価値観

  • 現代であれば到底許されないような恋愛観

  • 物忌み、方位、季節にまつわる独特の作法

こうした「当時の常識」を知らないまま古文を読むのは、いわばゲームのルールを知らないままそのゲームを攻略しようとしている状態です。うまくいくはずがありません。

そして、ここで英語学習との決定的な違いがもう1つ出てきます。 それは、古文の学習者は、そもそも古文の文章に触れている絶対量が圧倒的に足りていないということ。

英語であれば、教科書、単語帳の例文、長文問題集、リスニング教材……と、意識せずとも一定量の英文には触れています。 一方で古文はどうでしょう。学校の授業で扱うのは、1つの短い文章を数回に分けて読み進めるスタイル。トータルで見て、1年間で読む古文の量は決して多くありません。

だから私は、「現代語訳の多読」をおすすめしています

ここまでの話を踏まえて、私が古文の勉強法として本気でおすすめしているのは、 「現代語訳された古典作品を、とにかくたくさん読むこと」 です。

「え、原文じゃなくていいの?」と思われるかもしれません。 はい、まずは現代語訳でまったく構いません。 なぜなら、私たちが古文で本当に鍛えるべきなのは、当時の人々の息づかい・価値観・論理の流れそのものだからです。原文を舐めるように読むよりも、現代語訳で内容と世界観を大量にインストールしていく方が、圧倒的にコスパが良いのです。

そしてこの勉強法には、もう1つ嬉しい副産物があります。 英語では、多読しても本番でその文章にドンピシャで出会う確率はほぼゼロ。

ところが古文は、出典の総量そのものが限られているため、しっかり多読していれば「あ、これ読んだことある」と本番で出会えることを少しは期待できるかもしれません。 これは、古文というジャンルだけに許された、事前準備が効くという特権です。

もちろん、いきなり原典の現代語訳を読み込むのは、それはそれでハードルが高い。

だからこそ、最初の1歩として『古文単語315』のような、コアな単語と一緒に具体的な文脈(2〜3行の例文)まで一緒に載せてくれている単語帳を「パラパラ読む」くらいの気持ちで手に取ってみてほしいなと思っています。 単語と一緒に、その時代の空気感が少しずつ入ってくる。それだけで、古文への抵抗感はだいぶ和らぐはずです。

まとめ:古文は「外国語」ではなく、「今の日本語と地続きの、論理の科目」

長くなってしまいましたが、今回お伝えしたかったことをまとめると、次のようになります。

  • 古文を「外国語」として、英語と同じ勉強法で攻略しようとするのが、そもそもの間違いのはじまり

  • 古文単語は「1対1対応」ではなく、コアイメージからの意味のレンジで捉えるべき

  • 主語同定は敬語ではなく、最終的には論理で決まる

  • ただし、その論理は現代とは前提が違うため、当時の世界観に触れる圧倒的な量が必要

  • そのための一番の近道は、現代語訳の多読。単語帳もその入口として非常に有効

古文は、決して縁遠い異国の言葉ではありません。 今の日本語と地続きの、「論理の科目」なのです。 そう捉え直すだけで、古文はぐっと得意になりますし、なにより、楽しくなります。

ヨミサマ。は普段、現代文をメインに指導している国語特化の個別指導塾ですが、季節講習期などでは古文もこの考え方に基づいてお伝えしています。 「対話で国語を学ぶ」というヨミサマ。のメソッドは、実は古文とも非常に相性が良いのです。

古文について、また文法や読解のコツについても、これから何回かに分けて書いていく予定です。 もしご興味を持ってくださったなら、ぜひ次回以降もお付き合いください。
それでは、また。

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