【Back to the 過去】1992 第7話「聞こえなかった言葉」
《57歳の教育家「山口さん」が、若い頃の「山口先生」を思い出す話。【登場人物】谷村先生・・・山口青年と同期。低学年部門「どきどきスタディ」担当。毛馬先生・・・山口青年より3歳年上。元ヤンだが面倒見がよく、神戸大学卒の人気講師。ちょくさん・・・教え子で今は「居酒屋ちょくちょく」のマスター》
期末テストが終わる。
生徒たちは解放感いっぱいだ。
でも、ほっとしているのは、生徒だけではない。
わたしたち塾講師も同じだった。
定期テスト前になると、中学校別に時間割を組み替え、対策授業を増やし、自習室を開放する。
土日は朝から夜まで、対策授業や自習室の管理、質問受付に追われる。
いつもより仕事は何倍も増える。
だから、期末テストが終わると、教室全体がほっとした雰囲気に変わる。
その日の仕事終わりだった。
「せっかくだし、ご飯でも行こうか」
そんな話になった。
メンバーは同期の谷村先生、本部で経理を担当する松田さん、そして三歳年上の毛馬豪(けまごう)先生。
夜十一時過ぎ。
開いていたファミレスで遅い夕食をとることになった。
料理が運ばれてくると、自然と仕事の話になる。
松田さんが言った。
「そういえば、毛馬先生って本部でも結構有名ですよ」
「えっ、そうなん?」
毛馬豪先生が少し驚く。
「すごいやり手の先生がいるって、本部でもよく話題になってます」
「わたしも聞いたことあります。神戸大学卒なんですよね」
谷村先生も噂は聞いていた。
話題は自然と毛馬先生に集まった。
当の本人は苦笑いしながら、
「いやいや、学歴なんて関係ないって」
「人気があるかどうかなんて、自分じゃわからんわ」
そう言ってドリンクバーのコーヒーをすすった。
山口青年は黙ってジュースを飲んでいた。
(やっぱり違うな……)
本部でも名前を知られている毛馬先生。
それに比べて自分は、保護者面談でも失敗ばかり。
授業も毎日手探り。
二十二歳だったわたしは、同期と自分を比べては、小さく落ち込んでいた。
食事を終えると、谷村先生の車でカラオケへ向かった。
最初は少し遠慮があった四人も、歌い始める頃には自然と敬語が減っていた。
毛馬先生は矢沢永吉を歌い、続いてBOØWY。
マイクを持つ姿まで絵になっていた。
「やっぱり似合うなぁ」
誰かが笑う。
谷村先生は松田聖子の『青い珊瑚礁』。
続けて『赤いスイートピー』。
松田さんは平松愛理の『部屋とYシャツと私』、そして谷村有美の曲。
部屋の空気は、仕事帰りとは思えないくらい和やかだった。
山口青年は爆風スランプの『Runner』を思い切り歌った。
そして最後に選んだのは、海援隊の『贈る言葉』。
この歌だけは、どうしても歌いたかった。
夢中で歌っていた、その時だった。
松田さんが、小さな声でつぶやいた。
「山口先生って、本当に先生という仕事が好きなんですね」
谷村先生がうなずく。
「うん。見てたらわかる」
毛馬先生はビールを一口飲み、歌っているわたしの背中を見ながら笑った。
「不器用やけどな」
二人が毛馬先生を見る。
「あいつ、授業終わっても子どもの話」
「昼飯食ってても子どもの話」
「休憩中も子どもの話」
「最後に歌うのが『贈る言葉』やろ」
三人が少し笑う。
毛馬先生は静かに続けた。
「今はまだ荒削りや」
少し間を置いて、
「でも、ええ先生になるわ」
さらにビールを飲んで、小さく笑った。
「少なくとも、俺よりはな」
谷村先生は静かに笑った。
「わたしも、そう思います」
松田さんも、小さくうなずいた。
その頃のわたしは、サビを夢中で歌っていた。
三人がそんな話をしていたことなど、まったく知らずに。
※※※
「今日は、この夜を思い出してた」
居酒屋『ちょくちょく』で、五十七歳のわたしはジョッキを置いた。
ちょくさんが穏やかに笑う。
「先生は、その話を聞いていたんですか」
「いや、全然」
「何年もしてから、谷村先生に教えてもらった」
ちょくさんは少し考えてから言った。
「見てくれている人って、案外近くにいるものなんですね」
わたしは静かにうなずいた。
二十二歳のわたしは、誰かと比べて落ち込んでいた。
でも、本当は。
自分では気づかないところで、仲間はちゃんと見てくれていたのだ。
