西海市崎戸町百話#008〜クジラ
第八話 クジラ
「勇魚」と書いて、いさなと読む。
これは、鯨の古い呼び名である。
私は、この言葉を佐伯泰英の小説『交代寄合伊那衆異聞』で初めて知った。物語の舞台の一つが長崎へ移る中で、この美しい言葉に出会った。
その文字を見た瞬間、不思議なことに私の頭に浮かんだのは『岩魚(イワナ)』だった。
『勇魚』と『岩魚』。
字は一文字違うだけなのに、一方は広い海を泳ぐ巨大な生き物、もう一方は山あいの渓流に暮らす魚である。
「勇」という字には、昔の人たちの思いが込められているように感じる。
今のような大きな船や機械がない時代、鯨は人の命を奪うこともある巨大な生き物だった。
だからこそ、その相手に挑む人々にも、それ相応の勇気が求められたのではないだろうか。これは私の想像に過ぎない。
崎戸で捕鯨の歴史に触れるようになってから、『勇魚』という二文字が以前とは違って見えるようになった。
そして、そのたびに、なぜか『岩魚』を思い出す。
海の魚と山の魚。
一文字違いの言葉が、私の中では海と山を静かにつないでいる。
園崎咲人
