中原克宏の街角ポエム ─ すれ違っただけの人たち ─第5日|介護施設の職員
家の近くに、小さな介護施設がある。
ランニングコースの途中、ちょうど折り返し地点の少し手前にあって、朝と夕方、その前を通るのがなんとなく僕の習慣になっている。
玄関の横には、よくある明るい名前の看板と、季節の花が植えられたプランター。
だけど、その奥にある少し曇ったガラスの窓を見るとき、僕の胸の中にはいつも言葉にしづらい感情がゆっくりと浮かんでくる。
ある朝、いつものようにゆっくり走りながら施設の前を通りかかると、大きな窓の向こうに、一人の若い女性が見えた。
淡い色のポロシャツに、ベージュのズボン。
胸には名札。
腰にはナースコール用の小さな端末。
彼女は、車椅子に座ったおばあさんの横で、ゆっくりと髪をとかしていた。
窓越しなので、言葉は何も聞こえない。
でも、その口の動きから、何か優しいことを話しかけているのはなんとなく伝わってくる。
おばあさんは、表情ひとつ変えないようにも見えるし、ほんの少しだけ目尻がゆるんでいるようにも見える。
どちらが本当なのか、僕には分からない。
正直に言えば、介護施設の前を通るとき、僕はいつも少しだけ胸がざわつく。
「ありがたい場所」だと思う反面、どこかで昔話に出てくる“おばすて山”みたいな寂しさも感じてしまうからだ。
家ではなく、施設という場所で最期の時間を過ごす人たち。
それを支える職員の人たち。
この建物の中で、いったいどれだけの“やりきれなさ”と“優しさ”が毎日ぶつかっているんだろう。
窓の向こうの彼女は、おばあさんの髪を整え終わると、今度はそっとその肩に手を置いて話しかけている。
「今日はいい天気ですね」
「お散歩に行きましょうか」
そんな当たり障りのない言葉かもしれないし、
「昨日、眠れました?」
「痛み、どうですか?」
と、ちょっと踏み込んだ会話をしているのかもしれない。
あるいは、
「若いころ、どんな仕事してたんですか?」
「恋人、何人いました?」
なんて、少しだけ茶目っ気のある会話で笑わせようとしているのかもしれない。
音のないガラス越しのやり取りは、僕の想像を好きなだけ膨らませてしまう。
介護の仕事は、きっときれいごとだけじゃない。
夜中のナースコール、オムツ交換、食事介助、入浴介助。
何度も同じことを説明して、何度も同じ質問をされて、時には怒鳴られたり、涙を見たり。
心も身体も、毎日すり減っていく瞬間がきっといくつもある。
それでも、朝になればまた制服を着て、「おはようございます」と施設のドアをくぐる。
誰かの一日が始まる場所で、自分の一日も始めている。
ランニングのペースをほんの少しだけ落として、僕は窓の前を通り過ぎる。
彼女の手が、おばあさんの肩をポンポンと軽く叩いたかと思うと、今度は別の利用者さんの方へゆっくり歩いていくのが見える。
一人ひとりに名前があって、背景があって、家族がいて、それぞれの“歴史”がある。
その全部を、彼女が知っているわけじゃない。
でもきっと、カルテや家族からの話や、日々の会話の断片を集めながら、
「この人は、どんな人生を生きてきたんだろう」と少しずつ想像しているのかもしれない。
僕がいま、窓の外から彼女を見て同じようにしているみたいに。
夕方、同じ道を帰り道として走ると、施設の前に送迎車が停まっていた。
スロープのところで、朝の彼女らしき職員が車椅子をゆっくり押している。
一日の終わりに向かう人を、自分の一日の終わりかけの力で支えている。
その背中には、「仕事」という言葉だけでは片づけられない何かが確かにまとわりついている気がした。
疲れと、責任と、小さな誇りと、そして、誰にも見えないところでこぼれ落ちたため息たち。
僕は、介護の現場で働いたことがない。
テレビやニュースで見る断片的な情報と、施設の前を走り抜ける数秒の景色だけで、この世界を分かったような顔をするのはきっと違う。
それでも、ガラス越しに見える彼女の姿を見ていると、「ありがとう」と言われる回数と同じくらい、「どうして私ばっかり」と心の中で呟いている日もあるんじゃないかと勝手に思ってしまう。
そして同時に、そんな日も飲み込みながらここに立ち続ける強さを、僕は勝手に尊敬してしまう。
すれ違っただけの人たち。
その中の一人、介護施設の窓の向こうで誰かの髪をとかし、肩をさすり、呼びかけ続ける彼女は、たぶん自分では特別なことをしているつもりなんてないのかもしれない。
それでも、彼女がそこにいてくれることで、救われている心がいくつも、いくつもあるはずだ。
──ランニングの足音が施設の前を通り抜けていく。
ガラスの向こうの彼女は、きっと僕の存在なんて気づいていない。
でも僕は、走りながら心の中でそっとつぶやいている。
今日も、お疲れさま。
あなたが積み重ねている一日一日が、誰かの「最期の一日」や、「まだ続いてほしい明日」に静かに寄り添っていますように、と。
