AIのおかげで、私は初めてオタクになれた
こんにちは、neonです。
私は長年、オタクであることに少しだけコンプレックスがありました。
アニメを見る。漫画を読む。ゲームをする。
ずっとそういうものが好きでした。
別にオタクだから学校で友達がいなかったとか、そういう話ではありません。
自分では何も作っていない事にコンプレックスがありました。
コミケの話を見たり、同人誌を作っている人を見たり、イラストを描いたり小説を書いたりしている人を見ると、どこか一段上のオタクに見えたのです。
好きなものを消費するだけではなく、自分でも何かを作っている。
それが、私にはずっと眩しく見えていました。
私は地方に住んでいて、特にオタク友達がいるわけでもありません。
創作サークルに入っていたわけでもない。
絵も描けない。
小説を書いた経験もほとんどない。
ただ一人でアニメを見て、漫画を読んで、ネットで感想を見る。
そんな、ぼっちオタクでした。
そこにAIが来ました。
最初から小説が書けたわけではありません。
こういう話を書きたい。
このキャラクターを動かしたい。
この場面をもう少し面白くしたい。
頭の中にぼんやり存在していたものを、AIと話しながら少しずつ文章にしていきました。
そうして、曲がりなりにも「小説のようなもの」が出来上がりました。
もちろん今は、何か作品を出せばすぐに、
「これはAIだ」
「AIっぽい」
と言われる時代です。
私自身、他人の作品を見てそう感じることもあります。
AIを使えば何でも創作になるのか、と言われれば、そんな単純な話でもないでしょう。
それでも、私にとって忘れられない瞬間があります。
カクヨムに、自分の小説を投稿した時です。
投稿画面に自分の作品が並んでいるのを見て、妙なことを思いました。
ああ、私は初めてオタクになれたんだ。
作家になれた、ではありません。
オタクになれた、です。
長い間、私はオタク文化の外側から作品を受け取るだけの人間だったような気がしていました。
でもその日、初めて自分から何かを外に出しました。
誰かが読むかもしれない。
面白くないと思われるかもしれない。
AIで作ったものだと思われるかもしれない。
それでも、自分が好きなものから何かを作り、それを公開した。
私にとっては、それだけでかなり大きな出来事でした。
最近、「推し活」という言葉をよく聞きます。
私はこの言葉に少し違和感があります。
もちろん、推しのグッズを買ったり、ライブへ行ったり、作品にお金を使ったりすることを否定するつもりはありません。
ただ、最近のファン文化はどこか、消費を中心に語られすぎている気がします。
いくら使った。
何個買った。
何回現地に行った。
どれだけ公式にお金を落とした。
企業がそういう指標でファンを見るのは分かります。
でも、ファン自身までそれを内面化しているように見える時があります。
私が昔から思っていたオタクは、もう少し勝手な存在でした。
好きだから絵を描く。
好きだから小説を書く。
好きだから異常に詳しいサイトを作る。
好きだから誰も頼んでいない考察を延々と書く。
そこには必ずしも、お金は必要ありません。
上手である必要すらありません。
好きだから、自分なりの形で外に出してしまう。
私は、そういうものをオタクだと思っていました。
そして私は長い間、そこに参加できませんでした。
AIは、その入口を作ってくれました。
AIによる創作には、これからもいろいろな批判があると思います。
質の問題もあるでしょう。
著作権の議論もあるでしょう。
創作とは何なのか、という話も続くでしょう。
それでも私にとってAIは、
地方で一人、何も作れずにいたオタクを、初めて「作る側」に連れていってくれた道具でした。
完成した作品がどれほど立派だったかよりも、
自分の中にあった「好き」を、初めて形にして外へ出せたこと。
私はこの先も、そのことをずっと覚えていると思います。
