施設生活で俺が向き合った、お金と依存症と人生について、心の葛藤編【ギャンブル依存症の回復施設物語⑨】
今回は、俺が施設に入って、自分とどう向き合い、依存症について、借金について、人生について、これからについて、いろんな心の葛藤があったことを書きたいと思う。
たぶん文章としてまとめるのは難しいけど、思い出せる範囲で、施設生活で、何を思い、何をしながら、つらい施設生活を1年以上耐えたのかについて少し触れたいと思う。
まず、施設に入って3日には、もうこんな生活は無理だと思い、誰になにを言われても、何を思われてもいいから、やっぱ無理だってなったことは書いた。
一応その時は「今日だけ」という言葉に縋って、なんとか耐えることはできたけど、そのまま気持ちが収まったわけじゃない。
ずっと、辛く苦しかった。寂しかったし、退屈だったし、なんでこんなとこに、いつまでもいないといけないのか?
早く出たい、ここに居ても時間を無駄にしているだけじゃないか、っていう考えがずっと続いていた。
たとえ1年以上施設にいる仲間も、ほとんどが早く出たい。
どうやったら退寮できるか、といった話を多くしていた。みんなの関心事はそれが一番比重を占めていたと思う。
毎日、今日だけって思いながら施設生活を我慢し続けるだけでも、かなりきつかった。
1年以上いる仲間の話を聞いても、まだ退寮できそうじゃない。なかなか進まない。いつ退寮できるか分からない。
そんな暗い話ばかりだった。
だから、月に2、3度は誰かしら痺れを切らして、我慢できなくなって脱走していた。それくらい、施設生活は辛く厳しい生活だった。
今思えば、1年ちょっとという仲間の中ではトップレベルに入るくらい早い退寮だが、俺にとっては長く辛い生活をよく耐えたなって、自分を誇りに思っている。
俺は施設に入った理由が、借金整理と人生のリセットして一から再出発することだった。だから、早く借金整理して、自己破産終わったら出よう。
それまでなんとか我慢しようと思って、債務整理を進めたいってスタッフと話し合いを進めた。
でも、借金問題は手をつけないというのが、依存症回復の基本方針だった。
依存症の自分と向き合って、依存症の回復、心の回復と精神的回復と身体の回復が先決問題という治療プログラム。
病気になったら、対処療法でどうにかその場を凌ぐんじゃなくて、病気になった原因を治さないと、また再発するって話。しごくもっともな話だから、頭では理解できるが心は納得しない。
俺はもう大丈夫。借金整理して、気持ちも落ち着いたら、もう大丈夫だって浅はかに思ってしまう。
なかなかそんな思考から脱却できなかった。ずっとその葛藤と向き合ってきた。
8月に入寮して、やっと弁護士に借金整理の相談ができたのが11月か12月の初めだった。これでも、俺は運が良かったというか、そんな早く借金問題に手をつけた仲間は今でもいないんじゃないかな。
俺は借金整理と回復の両輪を目的に施設に自分の意志で入ってきたから、両方進めないと意味がないってスタッフに言い張った。
何回も話して、しぶしぶではあったが、法テラスを利用できる弁護士相談までこぎつけた。
でも、自己破産って相談から依頼して決定が出るまで、約8〜1年ぐらいは見ておかないといけない。どれだけ早くても半年はかかる。
その頃の俺は、11月に相談してなんとか施設生活1年で退寮することだけを心の支えにしていた。それだけが唯一の希望だった。
なんとしても1年で退寮するって心に決めていた。そんな早く出たやつはいないって言われても、そんなの関係ない。人は人、俺は俺って思っていた。
それでも、11月12月ぐらいは波が来て、しんどかった。もういいやって何度も思った。もう帰って楽になりたいって。
もう3か月も依存症について学んで、ミーティングもして、プログラムも受けて、自由がない生活もして、毎日退屈な日々を我慢できた。
それだけでも、今までの俺に比べれば、十分我慢して耐えることができた。成長したって思い込むようになった。
俺はそれまで、ずっと人生で自由を一番大事に生きていた。なににも縛られず、束縛されず、自由に生きることを第一の信条として生きてきた俺が、一番つらい自由が全くない環境を3か月も我慢できたんだ。もう十分だろって正直思った。
なぜか不思議と、みんな同じ精神状態を得てしまうらしい。
まず、施設に入ってすぐ、その後は3か月周期で、施設生活が苦しくなる時期が来るってみんな言ってた。
もう出ていいって自分で思うようになったり、慣れて退屈で嫌になったり、もう仕事して社会復帰したくなったり、早く家族との修復や借金整理をしたくなったり、3か月周期で、その人それぞれの問題と向き合う時期が出てくるようだった。
俺はそれがたまたま自己破産と、もう自分はある程度回復したから大丈夫っていう思いが強くなっていたこと。
施設生活に飽き飽きして、一刻も早く帰って自由になりたかったこと。その思いを毎日抱きながら、ただ日々を耐えてただけだった。
毎日、帰りたい、もういいって思わない日はなかったけど、周りの仲間と話したり、みんなも耐えてるんだって、必死でなにかと戦っているんだって思うと、俺だけ逃げるのもかっこ悪いなって気持ちと、自己破産終わるまでは我慢した方がいいって言い聞かせた。それでも心はずっとしんどかった。
だから、俺は毎日、自由時間は瞑想と散歩と読書をしていた。一緒に瞑想や散歩する仲間もできたし、ずっと依存症や施設生活や出てからの夢や希望なんかを話して、お互いを励まし合った。
その頃の俺は、銀ちゃんの「天を味方につける生き方」という本をバイブルみたいに思って、何度も読み返した。
俺の今までの人生は、金で人生をどうにかしようとしてた。自分の努力や実力、能力を磨くよりも、金の力で強引に理想の生活・人生を手に入れたいって思い込んでいた。
だから、それが間違いだったって受け入れた時、もうお金を追う人生は金輪際やめよう。人生はお金じゃない。お金は道具であって、手段であって、それが目的になったら、本末転倒で、人生を狂わすだけだって、やっと悟った。
だから、お金がなくても生きていける力、サバイバル力、生命力がほしい。自給自足的な生活に憧れが強くなってた。
今回はここまで。施設生活3〜4か月まではそんなことを悩み葛藤しながら生活してたって話でした。続きはまた次回に。
ここで、一つだけGAの回復ステップについて紹介します。
依存症の回復には薬物もアルコールもギャンブルも、すべてに回復の12ステップというプログラムがある。その最初の3ステップを施設生活で繰り返しやる感じ。4以降は、退寮してから、ずっと続けていくというのが基本的な回復ステップになる。
俺はもうやってないけどね(笑)ゆういちとかは、今でもスポンサーをつけて、ちゃんと12ステッププログラムをやってる。だからやめ続けていられるんだろう。俺はそこまで回復できなかったんだろう(笑)
まあいいや。俺は俺の回復の道を歩くだけだ。
【回復のための12ステッププログラム】
私たちはギャンブルに対して無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
自分を越えた大きな力が、私たちの考え方や生活を健康的なものに戻してくれると信じるようになった。
私たちの意志と生き方を自分なりに理解したこの力の配慮にゆだねる決心をした。
恐れずに、徹底して、モラルと財務の棚卸しを行ない、それを表に作った。
自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。
こうした性格上の欠点全部を、取り除いてもらう準備がすべて整った。
私たちの短所を取り除いて下さいと、謙虚に(自分の理解している)神に求めた。
私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった。
その人たちやほかの人を傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め合わせをした。
自分自身の棚卸しを続け、間違ったときは直ちにそれを認めた。
祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。
私たちのすべてのことにこの原理を実行しようと努力を続け、このメッセージをほかの強迫的ギャンブラーに伝えるように努めた。
基本的に施設では3までしかやらない。これは1をクリアできないと2に進めないというか、2に進んでも意味がないって考えられてる。
だから、1ステップずつクリアしながら取り組み続けるって感じ。
そもそも1を受け入れるだけで、人によっては数年かかったりする。
もう長くなったから、今回は紹介だけしておきます。
こんな話だれか興味あるのかな?
役に立つのかな?
読んでくれるのかな?
って不安に思いながら書きました。
だからコメントで、感想書いてくれると嬉しいです😊
お前の話はもういい!とか、
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なんでもいいのでコメントください!
次回からの参考になるので😊
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