「気になったもの負け」は、わたしのこだわりでもある。
気になったもの負け……。
つくづく私が思うこと。
今週のロンドンはとにかく暑かった。家庭にエアコンはないので、本当に暑かった。
とある平日。暑い暑いと言いながら夕飯の用意をし、洗濯をし、掃除機をかけ、シャワーにも入り、一人でまったりしているのに、気持ちはずっとソワソワ、ソワソワ。
自閉症スペクトラム+ADHDの娘は、夕飯も食べずに夕方から寝てしまい、夜の21時を過ぎても、暑い中まだ寝ている。次の日も学校……。
娘が生まれてから、私が本当にリラックスできるのは、娘と一緒に一日をすっきり終えたあとだ。娘の一日の生活タスクが終わることで、私もやっと一日が終わったと感じられる。
その娘は、汗ばんだ体のまま、夕飯も食べず、シャワーも浴びず、歯磨きもせずに寝ている。由々しきことだ……。
母の脳内では、非常ベルが鳴りっぱなしである。
一方で夫は一切気にしていない。最近は特に、「もう15歳なんだから、もっと自立できるように」と言って、基本的には放っておく。
でも、放っておいて娘が自ら動けるなら、それは障害ではないよな、と私は思う。
家事も同じだ。
夕飯の用意も、洗濯も、掃除も、私が気になるから先に動く。そして一つ終えるたびに、「ふぅ」と安心する。
でも相手が娘になると話は別だ。
衛生面が心配でソワソワする。最低限の生活習慣くらいは身につけてほしいとウズウズする。そして時間が経つにつれ、その気持ちはイライラへ、怒りへと変わっていく。
ただ、この日は放っておいてみた。
夫に「私は娘の手助けを何もしないから!」と言った手前、自分から動きにくくなっていた。娘と二人きりなら、きっともう起こしていただろう。
暑い日に汗だくのまま寝ている娘。お昼から何も食べていない娘。歯磨きもしない娘。
そして、それらをほとんど気にしていない夫。
私は歯磨きだけはどうしても気になる。虫歯になれば歯医者で苦労するのは目に見えている。歯医者へ連れて行くのもきっと私。治療になれば、一緒に大変な思いをするのも私だ。
結局、気になった方が動く。
我が家の家事分担は、「気になった人担当」という、なんとも曖昧なシステムである。
夕飯を作って安心して、掃除をしてすっきりして、洗濯を終えてほっとする。
どれも特別好きでやっているわけではない。でも結局は、私が必要だと思っているからやっているのだろう。放っておく方が、私にはつらいから。
夫も娘も、そこまで気になっていない。
だから、同じ土俵に立とうとしても無理なのだ。
気になっていない人に、私が気になっている家事をお願いする工夫が必要なのだと思う。
そして娘が生活タスクをこなせるようになるためにも、根性論ではなく、本人に合ったテクニックや環境づくりが必要だ。
絶対、一日くらいご飯を食べなくても、シャワーを浴びなくても、歯磨きをしなくてもなんてことはない。
そして問題なのは、「気になること」ではなく、「気になるたびに全部自分が背負うこと」なのだ。
私の不安耐性と、家族の不安耐性は違う。
これはもう、私自身の問題でもある。
よく、自閉症スペクトラムの人には強いこだわりがあると言われる。
でも考えてみれば、私にもある。
一日の習慣として、「毎日こなすべきタスク」が終わっていないと、ずっとソワソワしてしまう。
これも、私のこだわりなのだ。
そう思うと、自閉症スペクトラムの人の「強いこだわり」も少し理解できる気がした。
私が感じるソワソワよりも、もっとずっと強く、もっとずっと苦しい感覚なのかもしれない。そう思うと、娘に対しても、誰に対しても、もう少し理解を持ちたいと思える。
娘に障害があるからこそ、一日をすっきり終えるためには、生活動作のほぼ全てに何度も何度も声をかける必要がある。
でも今の娘は思春期でもある。
言われ続けることにうんざりしているのも知っているし、最近では私が名前を呼ぶだけで怒ることも少なくない。
お互いうんざりして、喧嘩になることもしょっちゅうだ。
だから少しずつ、「私が楽になるため」にも、自分のこだわりを意識しながら、タスクが終わっていなくても放っておける耐性を身につけたい。
もちろん、娘には娘に合った工夫や環境づくりは必要だ。
喧嘩にならず、一日の生活習慣を自分で達成できるようなセッティングを整えていきたい。
これも、今のところ私なりの対策の一つだ。
とりあえず今は、怒りや喧嘩につながらないように。
とりあえず、こだわりの大変さが少しわかった今、わたしも娘の数字「56」のこだわりや左右違うodd socksをリスペクトしよう。
娘には「56」。
私には「歯磨き」。
どちらも本人にとっては、なかなか譲れない。
